YAGOPIN雑録

世界あくせく紀行

ヴェネツィア

● ヨーロッパ編・エピローグ


 何を言ってもいいわけにしかならないことは承知で言うが、僕はあのとき確かにおかしいと感じていたんだ。前にも言ったとおりシュヴェービッシュ=ハル駅はローカル線の駅なので、シュトゥットガルトに行く亜幹線に乗るためにはシュヴェービッシュ=ハル=ヘッセンタル駅で乗り換える必要がある。ディーゼルの到着した1番線から、3番線に停まっている列車に乗り換える。このとき僕は2番線から発車するのが正しいのではないかと確かに思ったのだ。

 ヘッセンタルに着いたのは21時55分。そしてこの列車は22時10分にシュトゥットガルトに向けて発車する予定だった。すいている車内の一角を陣取り、僕らはすっかりくつろぎモードに入っていた。そう、あの瞬間が来るまでは。

 ・・・がたん。

 鈍い衝撃とともに列車は動き出した。あれ、もう15分経ったのか? 少し驚いて時計を見た。まだ22時03分だった。僕はシートから立ち上がった。景色が・・・景色が反対に流れていった。僕らが乗ったのは、シュトゥットガルト行きの上り列車ではなく、反対側のどこか知らない町へ行く下り列車だったのだ。

 3人寄れば文殊の知恵というが、文殊の知恵にもやはり限界というものはある。僕らはそれからトーマスクックの時刻表を前にあらゆる可能性を検討したが、すべて絶望的だった。乗るはずだった上り列車とは既にすれ違ってしまった。次の上り列車は1時間以上あとで、これに乗ってもシュトゥットガルトには0時を過ぎて到着、予約していた23時35分発の寝台列車にはとうてい間に合わない。次の夜行は北ドイツ方面へ向かう列車でパリへは行かない。もう少し前なら、じゃあ北ドイツへ行こうかということになったのだろうが、そろそろ東京へ帰る日が近いので飛行機に乗るパリに戻らなくてはならない。どこからか酔っ払いの群れが乗り込んできて、右往左往する僕らに早口でなにかアドバイスをしてくれる。大学ではフランス語選択だった中山と久世くんは、運悪くただひとりドイツ語選択だった僕に対して「ドイツ語で交渉しろ!」などと無茶を言うが、結局僕に聞き取れたのは「aussteigen=降りる」という動詞ひとつだった。しかし。もちろんどこで降りたらよいのかは分からなかった。

 彼があらわれたのはそのときだった。ドイツ鉄道の制服を着て丸い眼鏡をかけた、まさに「実直」ということばを擬人化したような若い車掌氏。僕らがパリ行きの列車に乗り遅れた哀れな東洋人旅行者だと悟った彼は、一通り検札を終えると再び僕らのところに、さまざまな時刻表を挟み込んだ分厚いファイルとともに帰ってきた。僕らの向かい側に腰掛け、変なアクセントの、しかし分かりやすい英語で話し掛けながら時刻表のあちこちのページを繰っていく。トゥエンティスリー・フォーティーファイヴ? フィフティーン・ミネッツ・ビフォア・トゥエルヴオークロック。「この列車なら23時45分、12時の15分前にシュトゥットガルトに戻ることができます。あなたがたの乗る予定だった23時35分発の列車に乗ることはできませんが、あなたがたはそこであなたがたの乗るべき列車を探すことができるでしょう。シュトゥットガルト中央駅の案内所は24時間開いています」

 どっちにしてもパリ行きの夜行は諦めなくてはならなかったが、親身になって列車を捜してくれたこの車掌氏の姿に僕らはずいぶんほっとさせられた。異国の空の下でも僕らはけっして僕らだけではない。きっとどうにかなる。ほら。トラベル・イズ・トラブルということばだってあるじゃないか。

終着駅にて
終着駅にて

 結局、その列車に終点まで揺られ、車掌氏の教えてくれた列車で戻ることになった。シュトゥットガルトまで行かない途中止まりの列車でトーマスクックの時刻表にも乗っていない列車なのだが、Sバーン(国電)に接続していてシュトゥットガルトまで行くことはできるのだそうである。真っ暗な山の中の終点駅、あとで地図で調べたらクライルスハイムという駅だったのだが、その駅のホームで照明に照らされて光る鉄路を眺めながらひとりベンチで列車を待つ。最後の望みをかけて織野くんの寮に電話をかけに行っていた中山と久世くんが戻ってきたが結果はやはり×だった。不在。菅原さんとそのまま飲みに行ってしまったのだろうか、もちろん彼らは僕らが無事に夜行に乗ったと思い込んでいることだろう・・・。

 戻りの列車もまた同じ車掌氏が勤務していた。

 「終点のバックナンク駅に着いたら同じホームに停まっているSバーンのS3系統に乗りかえてシュトゥットガルトに戻ること。私はシュトゥットガルトまで同行できないが、もしわからないことがあったらあの人たちにきいてくれ」

 ふたたび詳しい説明をしてくれた彼は、さらに親切なことに、また間違った乗換えをしないように同じ車両に乗り合わせていた乗客に僕らのことを託してくれていたのだった。

 ホームの雑踏の中に消える、制服の上にリュックサックを背負った車掌氏の背中を見送りながらシュトゥットガルト方面のSバーンに乗り換え、こんどは無事にシュトゥットガルトまで戻ってきた。夜行列車には10分差で乗れなかった。イタリア国鉄ならこのくらいは遅れてくれたかもしれないが、そこは正確なドイツ鉄道である。さて、これからどうするか。調べたところではパリに行く道は2つあった。1つは次のパリ行きの夜行列車を待つというもの。パリには午前中に着くことができるが、これはしかし朝4時まで4時間以上もシュトゥットガルト駅の待合室で待つことになり、やや治安上の不安があった。もう一つは北ドイツ方面の夜行に乗り、途中でベルギー方面行きの始発列車に乗換え、ブリュッセルからパリ行きの特急「タリス」に乗るというもので、これだと待ち時間は少なくなるが、パリに着くのが昼過ぎになってしまうことと、夜中から朝にかけて2回も乗換えがあり、また乗り過ごしを避けるためにほとんど睡眠がとれないところに難があった。すこし迷ったが、結論は前者のパリ行き夜行に決まった。日本でいうならヤンキー兄ちゃんというべきガラの悪い連中が待合室にはたむろしていて、我が物顔に大声で話し笑い転げていたが、そんななか若い女性を含めかなり多くの旅行者が列車を待っていたのでそれほど危険はなさそうだった。じっさい夜中の1時ごろには鉄道警察風の制服を着た数人が「GUTEN MORGEN!!(おはようございます!)」と声高に叫んで待合室に入り、切符をもっていない彼らを外に追い出してくれた。それから3時間は長い長い時間だったが、3時45分ごろになって、その列車はゆっくりとシュトゥットガルト中央駅のホームに入線した。実は僕らがこのルートを選んだのには、この列車の列車名に惹かれたからでもあった。その名前は「オリエント・エクスプレス」。

パリに着いた!
パリに着いた!

 オリエント急行といっても、別に特別仕立ての列車が走っているわけではない。ハンガリーの首都・ブダペストからパリまで走るため、ハンガリー・オーストリア・ドイツ・フランス、と4カ国の車両が一緒になって走っているところが国際色豊かではあるが、しかし編成は2等座席が中心で、ちょうど日本でいうなら青森行きの急行「八甲田」あたりに乗るような感じだった。久しぶりに乗るフランス国鉄の客車に乗り込むと、僕はすぐに荷物をチェーンでシートに縛り付け、そのままシートに横になって久しぶりに至福の安眠に入ることができた。シェンゲン協定によってEU内のほとんどの国ではパスポート検査が廃止されていることを知らずに、夜半、きっぷの検札にやってきた車掌にまちがってパスポートを見せて失笑をかった以外は何事もなく、再び目を覚ました時にはすでに列車はパリ近郊を走っていた。旅の始まりの地・パリ。もう一度ルーブルに行こう。オルセーも見てみたい。エッフェル塔から夜景が見たい。フォンテーヌブロー城にも行って見よう・・・。ヨーロッパの6つの国をめぐったこの旅も、あとはパリでの2日間を残すのみだった。

【完】

(左上)ルーブル美術館
(上)フォンテーヌブロー城
(左下)ライトアップされたエッフェル塔
(下)エッフェル塔からモンパルナス方面を見る

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