YAGOPIN雑録

世界あくせく紀行

ヴェネツィア

● ヨーロッパ編・ハイデルベルクの風景


 翌朝はドイツ方面への列車が発着するヴィーン西駅からの出発となる。今朝ついたらしい日本人観光客にユースホステルの場所を聞かれ、地下鉄の路線を教える。僕らが乗り込んだのは8時50分発のEuroCity64列車。「モーツァルト号」という愛称のついた、オーストリアを東西に横断する列車である。うす曇りの天気を除けば快適な汽車旅は3時間続き、そのモーツァルトの生まれ故郷、サウンド=オヴ=ミュージックの舞台ともなったザルツブルクに着いたのが11時55分。ただ、ここで観光している時間はなく、乗換えの間に残ったオーストリアの硬貨で昼食を買込み、あわてふためきながら駅構内を移動する。ザルツブルクは国境の町、次に乗る列車はオーストリア国鉄ではなく近年ドイツ国鉄から民営化されたドイツ鉄道(DB)の列車である。連絡改札に毛の生えたような国境検査を通りぬけて、少し離れた21番線ホームへと向かうと僕らの乗るべき列車はすでに出発の準備を整えていた。

 オーストリア国鉄からドイツ鉄道への乗換えは同時にヨーロッパ特急EuroCityから地方特急InterRegioへの乗換えになり、ゆったりとしたオープン座席からコンパクトなガラス張りのコンパートメントへと移ることになった。小さな川を渡ったのが国境だったのか、次の駅は既にドイツ連邦共和国領だった。今までは長距離列車の途中で国境を越えていたが、今回は国境で列車も変わったので本当に国が変わったという実感を伴う。とはいえ、この付近にはザルツブルクのほかに大きな町はないからこちらのドイツ領の人もオーストリアへ頻繁にでかけているのだろう。言葉も同じだし、同じEU加盟国だ。むしろ南ドイツの人たちにとっては、宗教の違う北ドイツや政治体制が違った東ドイツに比べれば隣国オーストリアの方がずっと身近であるのに違いない。

Ihr Fahrplan

 各シートに「Ihr Fahrplan」というパンフが置いてあってこの列車の停車駅と停車時刻、それに乗換え列車の案内が載っている。ドイツ語なんか忘れたが「あなたの時刻表」というような意味だろうか、とても親切だ。距離も書いてあるので時速も分かる。表定時速がだいたい60km弱、地方特急なので速度はあまり速くない。ドイツ南部を横断してカールスルーエまで行く列車だが、途中のミュンヘン中央駅で乗り換えることにする。乗り換える先は白い車体にピンクと赤のラインを入れたちょっと太目の流線形車両。ふとこの国の首相(当時はCDUのヘルムート=コール氏)の顔を思い出してしまう大柄なこの車両こそドイツの誇る高速列車ICE(InterCityExpress)の車両なのだ。

ドイツ新幹線ICE
ドイツ新幹線ICE

 スリムでスマートなフランス新幹線TGVの車両に比べるとICEは比較的ゆったりとした造りになっているので車内も快適だ。かなり席は埋まっていたのだが、運良く予約のひとつも入っていないコンパートメントがまるごと空いていたので3人で占領する。欧米の座席指定方式は、指定席車が区別されているのではなく予約の入っている座席にだけ予約済みを示すカードが入っているので、日本のように自由席が満員なのに指定席ががらがら、またはその逆、という理不尽な状況がおきないのがいい。ミュンヘンまでは新幹線が延びていないので在来線を走るのが残念だったが、それでも途中のウルムでさっき乗っていた地方特急を追い越し、2時間ほどで230km離れたシュトゥットガルト中央駅に到着した。

 実はシュトゥットガルトでは待ち合わせをしている。久世くんの高校時代の友達で、今はビール職人になるための修行をしているという織野くんという人だ。駅に現れた織野くんは、ここから60kmほど離れたシュヴェービッシュ=ハルという町で半年ほど語学の勉強をしているということで、ドイツ語はもうぺらぺらと喋れる。両替も寝台列車の予約も織野くんにやってもらったら難なく済んでしまった。

 シュトゥットガルトで最低限の用事を済ませると4人は再び車中の人となって、ニュルンベルクに続く亜幹線をシュヴェービッシュ=ハルへと向かった。列車は1時間ほどで町はずれのシュヴェービッシュ=ハル=ヘッセンタル駅に着き、ここでタクシーに乗り換えてユースホステルへ。さすがにドイツだけあってBMWのタクシーだ、などと感心していたらユースホステルは休業中だった。小さな町で宿などあまりない。近くで見つけたホテルはツインで130マルク(9000円ほど)もする。この旅での宿泊費最高額だがしかたない。僕と中山はそこに泊まり、久世くんは織野くんの寮で寝ることになった。

 織野くんの通う語学学校には、さまざまな国からのさまざまな人たちが集まっているらしい。たとえば織野くんの隣室の人はイタリア系スイス人のロベルトさんという人だったりするのだが、もちろんここでの共通語はドイツ語なので、日本人もスイス人もスペイン人もフランス人もみんなドイツ語で会話している。日本人もけっこういて、その中のひとり、日本の銀行から研修に来ている菅原さんという人と織野くんと僕らでドイツ料理を食べた。スクランブルエッグみたいなもの、ギョーザの様なものが2皿、豆の上にソーセージが乗ったもの、など、とりあえず今ひとつ豪華さに欠けるところがいかにもドイツ料理らしかったが、しかしそれと一緒に飲んだ琥珀色のビールはさすがに美味しかった。Haller Loewenbrau「(シュヴェービッシュ)ハルのライオンビール」という地元のビール工場でつくられたものである。ドイツでは料理はビールのつまみのためにだけ存在しているのではないかとさえ思えてしまう。

 シュヴェービッシュハルには2つの駅があり、1つはシュトゥットガルトからニュルンベルクに行く亜幹線の途中駅であるシュヴェービッシュ=ハル=ヘッセンタル駅。この駅は完全に町から外れたところにあって、町の中心にあるシュヴェービッシュ=ハル駅は、ヘッセンタルの駅からローカル線に乗り換えて1駅行ったところにある。翌日はこちらのシュヴェービッシュ=ハル駅から古城街道に沿ったローカル線に揺られてハイデルベルクに赴く。今日は織野くんに案内してもらう。

ハイデルベルク市内
ハイデルベルク市内

 ドイツで一番古くからある大学のある町、ドイツで一番古い学生の町、ハイデルベルク。今でも人口13万人のうち2万人は学生であるという。石畳の通りの向こうには大戦でも爆撃を受けることのなかった赤茶けた石造りの街並みに古い教会、ネッカー川にかかる白い門のついた橋。街を見下ろす丘の上には街並みと同じ赤褐色の城砦。4マルク払って城の敷地に入ってみれば、かつてプファルツ選帝侯ヴィッテルスバハ家(のちのバイエルン王家で、皇后エリザベートもこの家の出身である)の居城だったこの城も、18世紀には廃城になったとかで建物のあちこちはくずれ、安直なたとえだがロールプレイングゲームのダンジョンに迷い込んだよう。地下には大きな200年以上前のワイン樽があり、ワインの試飲もできる。そのとき試飲したワインの青いグラスは今でも僕の部屋に飾られている。

ハイデルベルク城
ハイデルベルク城
ハイデルベルク城

 ハイデルベルクは今から20年前に歴史的な街並みの残る中心部を全面的に車両通行止めにし、車はその周囲にある駐車場に置くようになっているのでゆっくりと観光できる町である。駅から歩くと町の中までは2kmくらいあってちょっとたいへんだが、路面電車とバスが町を取り囲むように走っているのでそれに乗れば早い。駅へ戻る混雑したバスの中、10歳くらいの女の子が途中から乗り込んできて、僕の座っていたシートの前に立った。たぶんトルコ系なのではないかと想像したが、黒い髪に黒い瞳のとても綺麗な子だった。なんとなく窮屈に感じたので、ここへ座る?と手で合図したが、ううん、と小さく首を振ってどこかへ行ってしまった。

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