YAGOPIN雑録

世界あくせく紀行

ヴェネツィア

● ヨーロッパ編・ヴェネツィアの風景


 ローマ・テルミニ駅で中山と久世くんとはぐれてしまい、ホームが分からなくなって危なく列車に乗り遅れるところだった。列車の方の発車が遅れてくれたおかげで助かったのだ。列車は高速新線を通っているので時速200kmは出ているようだ。日本やフランスの新幹線は新幹線用の列車しか通らないが、イタリアでは、僕らが乗っているような普通の特急列車も、イタリア新幹線「ペンドリーノ」に混じって高速新線を通ることができるのである。白地に緑色とグレーの帯を入れた新型ペンドリーノと幾度もすれ違いながら高速新線区間を終えるとフィレンツェ・サンタ=マリア=ノヴェッラ駅。コンパートメントが空いたのでオープン座席から移動する。ここで方向転換して山岳地帯をトンネルで越え、ボローニャ。そしてフェラーラ、パドヴァを経由して、長い長い橋を渡ってイタリア本土を離れるとそこはラグーナ(干潟)に造られた町ヴェネツィアである。ローマから約5時間の長旅だった。

 ヴェネツィアの中心駅、サンタ=ルチア駅を降りるといきなり目の前は大運河だった。大きな太鼓橋がかかり、その下を大小さまざまな舟が行き交う。ちょっと季節はずれだが、みやげもの屋にはカルナヴァーレ(カーニヴァル)の仮面。ヴェネツィアだ! あこがれのヴェネツィアに着いたんだ!

 もう時刻は夕方。今回も宿探しはてこずったのだが、なんとか3人で12万リラ(9,600円くらい)のところに決まった。ただ・・・、この宿、ダブルベッド+エキストラベッドだったのだ。男ふたりでダブルベッドという事態を避けるべく壮絶なじゃんけんが始まったが、結局僕がエキストラベッドを勝ち取り、中山と久世くんは、ダブルベッドの線引きに苦労することになったのだった。

運河の夜景
運河の夜景

 というわけで宿には若干の不満が一部であったようだったが、でもやっぱりヴェネツィアはすばらしい町だった。かつてアッティラの襲撃から逃れた人々によって陸地から離れたラグーナに造られたこの町は、やがて海上貿易で繁栄し独立の共和国として地中海の覇権を握った。ナポレオンによって自由を奪われイタリア共和国の一都市と成り下がった今は単なる観光都市でしかないが、しかしその現在においてもヨーロッパ有数の海運国であった当時と同じく舟が主要な交通機関である。鉄道橋と道路橋によって本土とつながってはいるが、車は町の入口のローマ広場までしか入れず、町の中では迷路のように入り組んだ細い路地を歩くか、やはり毛細血管のように張り巡らされた水路を通る舟に乗るかしかない。バスの代わりはヴァポレットと呼ばれる水上バス、タクシーの代わりは黒塗りのゴンドラである。

 日は既に暮れ、水面に灯火のゆらめく細い運河沿いに歩きながらレストランを探す。貝のスパゲッティとサラダ、魚のグリルに白ワインを傾ける。やはり運河の見えるバール(喫茶店と簡単な飲み屋を兼ねたようなもの)でカプチーノを飲む。絵にならない男3人ではあったが、それでも、いい雰囲気だった。


←↑大運河に架かるリアルト橋は、かつて
ヴェネツィアの商取引の中心だった。
ヴェネツィア市内
←サン=マルコ広場。ハトの餌を
買うおじさんにハトが群がっている。

 翌日、細い路地を右往左往しながらようやくのことでこの町の中心、海に面したサン=マルコ広場までたどりついた。かつてナポレオンが「世界一美しい客間」と呼んだ広場、今はハトとヒトで埋め尽くされたこの広場を飾っているのがパラッツオ=デュカーレ(元首官邸)とビザンティン様式のサン=マルコ大聖堂。まるでイスラム寺院のような大聖堂には黄金の獅子が輝き、元首官邸の前に立つ柱の上にも獅子の彫像が飾られている。サン=マルコの獅子・・・かつて独立の共和国であったこの町を象徴する紋章であったものだ。柱の上で獅子は海を見つめている。この広場に面した海でヴェネツィアの歴代元首は元首専用の黄金色の舟に乗り、次のせりふとともに指輪を海に落としていた。

「おまえと結婚する、海よ。
永遠におまえが私のものであるように・・・」

 獅子の見つめる海は、かつてヴェネツィアのものであったのだ。いまその海には観光用のゴンドラが漂い、観光客を満載した水上バスが波しぶきを蹴立てて進んでいく。それをぼんやりと見送っていた僕の肩にはえさをもらい損ねたハトが乗っかってクルックーと一声鳴いた。

水上バスの一日券

 水上バスの一日券を買った。24Ore 24Stunden 24Hours 24Heures 伊独英仏の順番にことばが並んでいるのはこの町が観光都市であることを示すと同時に、ナポレオン後のヴェネツィアがドイツ語を話すオーストリアの支配下に置かれていたことを示しているようだ。82系統の水上バスで対岸のサン=ジョルジョ=マジョーレ教会に渡り塔の上からヴェネツィアの町を眺める。海の上に浮かぶその姿はヴェネツィアを愛したターナーやモネの絵にあるのとまったく変わらない。この小さな町がかつて東地中海を席巻し、コンスタンティノープルを占領し、そしてオスマン=トルコ帝国と死闘を繰り広げてきたのだ・・・。

ゴンドラと水上バス。対岸にサン=ジョルジョ=マジョーレ教会
ゴンドラと水上バス。対岸に
サン=ジョルジョ=マジョーレ教会
サン=ジョルジョ=マジョーレ教会から見たヴェネツィア
サン=ジョルジョ=マジョーレ教会
から見たヴェネツィア
ヴィーン行きの夜行列車
ヴィーン行きの夜行列車

 大運河を通る52番系統の水上バスを、駅前で降りたときにはそろそろ陽が傾き始めていた。ぶらぶらと歩きながらイタリアの太陽に最後のお別れを告げ、昨晩泊まった宿の近くにあるレストランに入る。安直だとは思いつつツーリスト・メニューと書かれたローストチキンを食べる。日本語のメニューまで用意されていたと記憶している。さすがは世界有数の観光都市。この国には中世の昔から聖地巡礼の人のための観光設備が整っていたというから旅人への心遣いも筋金入りだ。夕食の時刻には少し早いのでレストランに客は少ない。そういえばヴェネツィアに限らずイタリアでは食事に困ることはなかった。朝はピザにカプチーノ、昼はイカ墨のスパゲッティ、夜はラザニアに仔牛のシチュー。必ずしも美味しいものばかりではなかったが、さすがにパスタはどこへ行ってもうまかった。天気はどこに行っても抜群に良かったし、どこか薄汚れた街並みも旅人の目には旅情あふれる風景。時間が止まったかのような歴史の重み、画集でしか見たことのなかった芸術品の数々・・・。

 20時35分。ヴィーン行きの夜行列車はヴェネツィア=サンタ=ルチア駅を出発した。イタリアでの1週間の滞在は終わりを告げた。

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