YAGOPIN雑録 日々のできごと・思うこと ライプツィヒ市庁舎
 
 ● 2005年1月〜3月
 
     
  彰義隊史跡めぐり YAGOPIN     2005/03/21 19:37
   

 昨日は、なぜか彰義隊の史跡をめぐって東京中を歩き回っていました。旅行記というほどでもありませんが、とりあえず記録を書いてみました。


  ベトナム人の名前 YAGOPIN     2005/03/18 01:54
   

 大阪勤務時代はよく職場近くのベトナム料理店でランチを食べにいっていた。ベトナムは、一度行ってみたいと思っている国のひとつである。

 今日は、インターネットで日経新聞を見ていたら「ベトナム首相、6月に訪米へ・戦後初めて」という題で以下のような記事が掲載されていた。

ベトナムのファン・バン・カイ首相が6月に米国を公式訪問し、ブッシュ米大統領と会談することが固まった。(中略)ベトナム政府関係者によると、米国側が昨年11月、サンティアゴでのアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の際、カイ首相を正式招へい。(以下略)

 と、この記事を見て、ふと気付いたことがある。

 ベトナムは現在はローマ字を使っているが、もともと漢字文化圏であり、例えばベトナム人「グエン・タット・タイン」さんの名前を漢字で書けば「阮必成」となる。そして、中国人「フー・チンタオ(胡錦濤)」さんの姓が「フー(胡)」であり、韓国人「ノ・ムヒョン(盧武鉉)」さんの姓が「ノ(盧)」であるのと同様に、グエン・タット・タイン(阮必成)さんの姓は「グエン(阮)」である。ただし、ベトナム人の場合は、三文字目(グエン・タット・タインさんの「タイン(成)」)のみが名であって、二文字目(グエン・タット・タインさんの「タット(必)」)が、姓でも名でもない、ミドルネームのようなものになっているのが中国人や韓国人と異なっている。

 したがって、上の記事に出てくる「ファン・バン・カイ首相」の姓は「ファン」、名は「カイ」であって、同じ記事中に「カイ首相」と出てくるのは、フー・チンタオ(胡錦濤)国家主席をチンタオ国家主席、ノ・ムヒョン(盧武鉉)大統領をムヒョン大統領と呼ぶのと同じようなことになってしまい、ちょっと奇妙な感じがする。

 ただ、これも理由のないことではなさそうで、ベトナムは、苗字の種類が非常に少なく、ベトナム人の約半数が「グエン」姓であるため、名前の方で呼ばないと区別がつかないことによるものと思われる。ベトナムで戦争をやっていた頃は、南ベトナムの大統領は「グエン」さん、副大統領も「グエン」さんであり、北ベトナムの大統領で、現在、ベトナム建国の父とあがめられるホー・チ・ミン(胡志明)の姓も「グエン」さんであった。上に例として挙げた「グエン・タット・タイン」がホー・チ・ミンの本名(最初の名前)であり、「ホー・チ・ミン」は、ペンネームである。ちなみにファン・バン・カイ首相は、中国語のサイトを見ると「潘文凱」という字が当てられているが、ベトナムは漢字を廃止して長い年月が経つため、この字が正しい表記なのか、それとも単なる当て字なのかはよく分からなかった。


  更新情報 YAGOPIN     2005/03/12 16:55
   

 京都一周ぐるり旅の第7回を追加しました。平安京の北に位置するいろいろな神社と、紫野大徳寺などをめぐっています。


  富士山と筑波山 YAGOPIN     2005/03/01 01:23
   

 今月の写真は、先日の北海道行きの飛行機から撮った富士山です。雪の帽子を目深にかぶり、まるで東京の上空に浮かんでいるかのように大きく美しく見えました。

 やがて機首が東に向くと、飛行機の小さな窓からは富士山の姿が消え、今度は北方に筑波山が現れます。その風景は、私が年賀状のお手本に使わせてもらった歌川広重「江戸名所百景」の『深川洲崎十万坪』にそっくり。江戸末期、広重が鷲の目線を想像して描いた景色は、今は飛行機から見られるようになりました。写真は、深川よりやや東の東京ディズニーリゾートを前景に入れたもの。カーブを描いて流れる川は、東京都と千葉県の境を流れる旧江戸川です。

筑波山と東京ディズニーリゾート 江戸名所百景『深川洲崎十万坪』

横浜から浦賀へ YAGOPIN     2005/02/28 00:08
   

 名古屋の友人が急遽やってきたので、横浜中華街でいっしょに中華粥を食べ、そのままバスに乗って、ちょうど梅が見ごろだという三溪園に赴く。三溪園は明治時代の生糸商・原三溪の邸宅だったところである。もともと書画をたしなんでいた三溪は、書画などの美術品とともに、寺院や大名屋敷などの古建築を蒐集して広大な敷地に移築しており、関東現存最古の塔である旧燈明寺三重塔や、紀州藩の別荘だった臨春閣、伏見城の控え所だった月華殿など、重要文化財の建物が数多く見られる。およそ横浜らしくない雰囲気の場所だが、展望台の松風閣に登れば、横浜港に沿って建ち並んでいる火力発電所や製油所の建物が見え、そのギャップに驚かされる。

 その後、横浜の中心部に戻ろうと思ったが、友人は昨年、山下公園やみなとみらいには来ているそうなので、反対方向の三浦半島へと足を向ける。京浜急行に乗って終点の浦賀へ。黒船来航の舞台となった場所だが、往時の名残はあまり残っておらず、吉田松陰と佐久間象山が会談した旅館「徳田屋」跡の標柱を見つけた程度。最後は、バスで夕暮れ時の観音崎を訪れ、浦賀水道を行き交う船や、遠く房総半島の灯を眺めて帰路に着いた。

梅と旧燈明寺三重塔
梅と旧燈明寺三重塔
梅の蜜を吸うヒヨドリ
梅の蜜を吸うヒヨドリ
浦賀・徳田屋跡
浦賀・徳田屋跡
観音崎灯台。房総半島遠望
観音崎灯台。房総半島遠望

  韓流ブーム YAGOPIN     2005/02/26 19:37
   

 ゆきんこさん、こんばんは。

 私は、メールマガジンで韓国のニュースをチェックしてるんですけど、それによると韓流ブームは中国や東南アジアでも広がっているのだそうです。韓国は、東アジアでの存在感を高めていくためのツールの一つとして韓流ブームを利用したい考えのようですね。


  こんばんわ ゆきんこ     2005/02/20 23:06
   

うわさのヨン様雪像が見れて感動です!(別にファンでないですが)韓流ブームにのって(ハリウッドとかけて)、「韓流ウッド(ハンリュウッド)」なるテーマパークを作ろうという構想があるようですが・・・どうなのでしょう?人気出るのかなぁ・・・日本人観光客を狙ってるとしか思えないんですけど。


  Stupid is as stupid does. YAGOPIN     2005/02/20 21:25
   

 この週末は風邪で寝込んでいる。

 昨日、寝ながらテレビ見てたら、『フォレスト・ガンプ 一期一会』をやっていた。昔、時間つぶしに映画館で見たときは別になんとも思わなかったけど、10年ぶりに見たら、意外と面白い。たぶん示唆的に出てくる実在の人物や事件、社会問題などに当時はあまり気付かなかったのかもしれない。ガンプの母の教え「バカなことをするのがバカなのよ。(Stupid is as stupid does.)」も、ダン中尉やジェニーの行動と合わせて見るとなるほどと思わせる。

 ちなみにまったく関係ないが「バカ」という言葉は、サンスクリット語起源の仏教用語だそうである。moha=釈迦の教えが分からない愚か者、で「莫迦」と書くほうが原義に近い。さらに「馬鹿」という当て字は、秦の趙高の故事に由来するというから、なかなかバカにできない言葉である。


今度は札幌へ。 YAGOPIN     2005/02/14 00:41
   

 見事に何も予定がなかったこの三連休の初日、昼過ぎに起きてだらだらとテレビを見ていたら、小泉首相がさっぽろ雪まつりに行ったというニュースをやっていました。あー、雪まつり一回行ってみたいなー、と思った次の瞬間、航空会社のサイトを開いて翌日の空席情報の検索を始めている私でした。

 ということで、翌土曜日(2月12日)の午後に札幌に着き、まずは「自衛隊前」駅まで地下鉄に乗ります。ここには、自衛隊の駐屯地を使ったさっぽろ雪まつり真駒内会場があるのですが、自衛隊の任務繁多のため、真駒内会場の使用は今年が最後になってしまうそうです。内容はどちらかというとお子さま向けといった感じで、4つの雪像のうち、すべり台を設置したキャラクターの雪像が3つ。残る1つが日韓国交正常化40周年を記念した水原華城(スウォンファソン。こちらの旅行記を参照。)の大雪像でした。

水原華城の雪像
水原華城の雪像
雪深い豊平峡温泉

雪深い豊平峡温泉

 寒さは思ったほどではなかったのですが、それでも東京に比べればだいぶ寒い。少しあったまろうと、真駒内駅でバスに乗り換えて約1時間の定山渓温泉へと向かいます。定山渓はいちおう札幌市南区にあるのですが、道は途中から完全な山道になり、あたりは一面の銀世界になってきました。大きなホテルの建ち並ぶ定山渓からさらにタクシーに乗り換えなければならない豊平峡温泉が今回の目的地です。

 「お客さん、豊平峡は初めてかい? 今の時期はきっと最高だと思うよ。」

 というタクシーの運転手さんの言葉どおり、源泉かけ流しの露天風呂は、すばらしい雪見風呂になっていて、粉雪が闇夜に舞い落ちる様も風情があります。再びバスで1時間、今度は大通公園の会場に並ぶ雪像を眺めに行きました。こちらの会場では、ドラゴンに乗るミッキーマウスや、ライプツィヒ市庁舎などの大雪像がライトアップされており、そのほかホンダのロボット・アシモの雪像など変わった像もたくさん並んでいます。「冬のソナタ」の名場面を集めたという雪像群や、そのものずばりヨン様の雪像もありました。

ドラゴンに乗るミッキー&ミニー
ドラゴンに乗るミッキー&ミニー
ライプツィヒ市庁舎
ライプツィヒ市庁舎
ヨン様像
ヨン様像
ホタテバターコーンラーメン
ホタテバターコーンラーメン

 今度は札幌ラーメンであったまってから、青森行きの夜行列車に乗り、今日(2月13日)は秋田を経由して東京まで陸路で帰りました。雪で列車が遅れ気味で、新幹線の切符もうまくとれなかったため、結局どこも観光せずに帰ったのでしたが、秋田できりたんぽ鍋を食べていると、どういうわけか予備校時代の友人にばったり会ってしまうというおまけがつきました。

 …という旅行記を書いていたら、さっそく書き込んでくれているね(↓)。今度の「美和の会」のいいネタになるかも(笑)。


  偶然てすごい サクラバ     2005/02/14 00:31
   

今日は秋田駅でばったり出くわしてしまってびっくりしました。あんなところできりたんぽ鍋を食べていようとは!
今度秋田に来るときはメールしてね。


九州出張 YAGOPIN     2005/02/05 17:07
   

 先週は九州支社への出張だったので、先々週の土曜日(1月31日)に東京を出て、土日で熊本あたりを回ってきた。

 熊本市の中心街・通町筋で高速バスを降り、まずは鶴屋百貨店の裏にあるラフカディオ=ハーンの旧居跡へ。ハーンといえば松江滞在のイメージが強くて、私も松江の旧居には行ったことがあったが、熊本にもいたことがあったとは知らなかった。1891(明治24)年、松江の寒さに弱ったハーンは熊本の第五高等中学校の教師として転任してきている。日本に心酔し、日本人と結婚していたハーン(後に帰化して「小泉八雲」と名乗る。)は、生活も日本式だったようで、この家にはわざわざ神棚まで追加させている。

 ハーンが熊本を離れた2年後には夏目漱石も第五高等中学校の教師となっており、熊本市内には漱石の旧居もある。熊本を離れたハーンは、その後、論説記者を経て東京帝国大学の英文科講師となったが、因縁の深いことに、外国人退任の方針により辞職させられたハーンの後任の講師となったのが漱石だった。ハーンは学生にたいへんな人気があったらしく、まだ若手だった漱石はプレッシャーで相当参ったらしい。

 熊本ラーメンを味わってから、12年ぶりに熊本城にやってきた。熊本城は、日本三名城のひとつと言われ、西南戦争でも西郷軍の猛攻を防いで落城しなかった。熊本城を造った加藤清正は、朝鮮半島の蔚山(うるさん)城での籠城戦の経験を生かし、食料や水に困らないようさまざまな工夫をしたといい、西南戦争のときもその工夫が役に立ったそうだ。天守閣前の大銀杏もギンナンを非常食にするために植えられたものという。もっとも、落城しなかったとはいえ、多くの建物は西南戦争で焼失してしまい、天守閣も1960(昭和35)年に再建されたものである。さらに1998(平成10)年からは50年後を見据えた壮大な復元計画がスタートし、今は本丸御殿などの建設が行われている。また、西南戦争で焼け残った建物のうち、重要文化財の宇土櫓は大天守・小天守に次ぐ第三の天守と呼ばれるほど大きな櫓である。関ヶ原の戦いで敗れた小西行長の居城・宇土城の天守閣を移築したものと言われていたが、最近の調査で移築説は否定されてしまったようだ。

 (日本三名城・・・名古屋城・大阪城・姫路城・熊本城のうちの3つを指すらしい。)

 (蔚山城・・・慶長の役の際、現在の韓国・蔚山広域市中区に豊臣秀吉軍が建設した日本式の城。熊本市内には蔚山町という町があり、この町は清正が蔚山から連れ帰った人々が住んだ場所と言われる。)

ラフカディオ=ハーンの机。目が悪かったため、机だけは洋風。
ラフカディオ=ハーンの机。目が
悪かったため、机だけは洋風。
水前寺成趣園。富士山型の築山
水前寺成趣園
富士山型の築山
熊本城大天守・小天守。西南戦争で焼失し、再建された。
熊本城大天守・小天守
西南戦争で焼失し、再建された。
西南戦争でも残った宇土櫓
西南戦争でも残った
熊本城宇土櫓

 市役所の前から水前寺公園まで市電に乗る。「水前寺公園」と一般に呼ばれる水前寺成趣園は、加藤家に代わって熊本藩主となった細川家(細川元首相のご先祖)が愛でた回遊池泉式庭園である。どの案内にも東海道五十三次を模していると書かれているが、細かい説明がないので、富士山型の築山があるほかは、どういう見立てになっているのかよく分からない。雨が降り出したので、高速バスで人吉に移動する。一昨年の夏に行ったとき、時間が足りなかったので、もう一度来てみようと思っていた町である。

 人吉駅前には人吉城をかたどったからくり時計があって、時間になるとお祭りが始まり、庄屋どんに扮したお殿様の人形が、ご城下で焼酎と温泉を楽しむというストーリーが展開される。やはり人吉に着いたらまずは名物の球磨焼酎を楽しまなくてはならないと、熊本名産の馬刺しをつまみに飲んだ焼酎は「温泉夢」という銘柄で、なんとこれは水の代わりに温泉を使った焼酎だそうである。焼酎と一緒に温泉も楽しむことになってしまったが、翌朝は早起きして、改めて温泉に入りに行く。豊富な湯量を生かして市内には公共浴場がたくさんある。今日はいい天気になった。風呂から出て人吉城跡に向かう。武家屋敷に移築された門ひとつを除いて建物は何も残っていないが、立派な石垣が残っている。高台にある本丸には天守閣の代わりには護摩堂が建っていたそうだ。眼下には青い空を映した球磨川の流れが見える。

 西南戦争で熊本城を落とせなかった西郷隆盛の軍勢は、田原坂の戦いで政府軍に敗れて人吉へ撤退した。人吉城は明治維新後に破壊されていたので、西郷軍が本陣としたのは市内の永国寺だった。永国寺は1408(応永15)年創建の古刹で、境内には13世紀の石塔や文禄・慶長の役の耳塚などいろいろ古いものが残っているが、寺宝として最も有名なのは幽霊の絵の掛け軸である。この幽霊は、夜な夜な永国寺の池に出没した女性の幽霊で、永国寺開山の実底超真和尚がその姿を描き、引導を渡して成仏させたという。観光している間に焼酎工場が開いたので、中を見学させてもらう。焼酎というと最近は芋焼酎が流行りだが、球磨焼酎の原料は米である。人吉藩は領地の一部を幕府に隠しており、表高以上に上がる米を利用して造ったのが球磨焼酎なのだそうだ。すっきりとして飲みやすい感じだが、蒸留酒で長期熟成が可能なため、ウイスキーのように樽で熟成させたものもある。

 人吉からは山を越えて鹿児島に入る。一昨年も通ったルートだが、今回は観光列車「いさぶろう」号を使う。窓が大きく、木を多用した特別の車両で、スイッチバックやループ線の続く難所を越えていく。最高地点にある2,096mの矢岳第一トンネルには逓信大臣・山縣伊三郎の「天険若夷」の石額と鉄道員総裁・後藤新平の「引重致遠」の石額が掛かっている。この路線が開通したことにより青森から鹿児島までの鉄道が関門海峡を除いてつながったことを記念するもので、この列車の名前も山縣伊三郎大臣に由来している。ちなみに逆向きは後藤新平総裁の名をとって「しんぺい」号と呼ばれている。

人吉城から人吉市内を眺める。間に流れるのは球磨川
人吉城から人吉市内を眺める。
間に流れるのは球磨川
永国寺。幽霊の掛け軸(複製)
永国寺
幽霊の掛け軸(複製)
焼酎工場。奥の方で麹を仕込み、手前では米を発酵させている。
焼酎工場。奥の方で麹を仕込み、
手前では米を発酵させている。
矢岳駅に停車中の「いさぶろう」号
矢岳駅に停車中の
「いさぶろう」号

 宮崎県を経由して鹿児島県に入る。昼ごはんは、人吉駅の栗めし弁当と、山越えの途中駅で買った「ねーぼ」を車中で食べる。「ねーぼ(表記がこれで合っているかどうかも分からない。)」は、駅に地元の物産を売りに来ていたおばさんから買ったもので、カライモ(サツマイモ)でつくったという餅の上にきなこをかけたものである。乗換えの隼人駅で時間が開いたので「隼人塚」というものを見に行く。720(養老4)年の隼人族の反乱の際に殺された隼人の霊を祀っていると伝えられる3基の石塔と4体の四天王像を載せた塚で、調査では平安時代後期に造られたものと推定されている。かつては石塔も石像も大きく壊れ、ほとんど原型をとどめていなかったようだが、1996(平成8)年からの発掘調査で、欠けていた石の多くが地中に埋まっていることが分かり、それでも足りない部分を補って、現在のように復元されたのだそうだ。パズルの足りないピースが見つかるように完全な姿を取り戻していく隼人塚を目の当たりにして、復元に携わった方々もさぞや感無量であったことと思う。

 鹿児島中央駅からは九州新幹線「つばめ」号に乗る。木を多用した快適なシートに身をうずめ、八代海を眺めたのも束の間、新幹線はわずか50分で終点の新八代駅についてしまう。博多に行くなら、向かい側のホームに止まっている特急「リレーつばめ」号に乗換えだが、せっかくなのでここで途中下車する。市内への直行バスに乗りそこなったので、列車とバスを乗り継ぎ、八代宮前で下車する。八代宮のある場所は八代城の跡地で、天守台などが残る。堀の向こうの松井神社には、臥龍梅という名木があるが、残念ながらまだ梅は咲いていなかった。庭園のある松浜軒や市立博物館は既に閉まっていたので、球磨川沿いに立つ河童渡来の碑を見に行く。河童は仁徳天皇の時代に中国から泳いで八代に渡ってきたのだそうだ。この付近では河童の絵や像を町のあちこちで見かける。せっかく海に近い町に来たので夕食には寿司を食べて福岡に戻る。

隼人塚
隼人塚
九州新幹線「つばめ」号
九州新幹線「つばめ」号
八代城天守台。堀には黒鳥が泳ぐ。
八代城天守台
堀には黒鳥が泳ぐ。
河童渡来の碑
河童渡来の碑

 九州に来ているというのに、翌日は雪がちらつく天候だった。九州支社へは昼から行けばよいので、ホテルで寝ていようかとも思ったが、やはり福岡まで来て寝ているのももったいない。今回はあまり来たことのない博多の町の方へ行ってみようと思い、キャナルシティを通って、博多の総鎮守・櫛田神社へと歩いていく。節分が近いので大きなお多福のお面が門に飾られており、境内に入るのには、お多福の口を通り抜けなければならない。櫛田神社のお祭りとして有名なのは夏の「博多山笠」で、その様子は神社の門前にある「博多町家ふるさと館」のビデオで見ることができる。大きな曳山を引いて全力で走り、タイムを競うという勇壮な祭りである。このふるさと館は町家風に造った新しい博物館の施設の隣に本物の町家の建物を移設して昔の街並みのように整備しており、なかなか凝った趣向になっている。もちろん町家の内部も見学できる。

 大博通りの東北側は寺町になっている。東長寺には木製の福岡大仏があり、内部に入ると地獄・極楽の様子を見ることができる。この大仏はごく新しいものだが、東長寺自体は唐から戻った弘法大師が創建したと言われる歴史ある寺である。その奥には聖福寺。こちらは栄西禅師が宋から戻って創建した寺院で、山門には後鳥羽上皇の手による「扶桑最初禅窟」の額が掛かっている。博多は大陸との交流の町として古くから栄えた港町であり、よく見ていけばもっといろいろな歴史的な事物が見つかることだろう。しかし、残念ながらこれから私は仕事に行かなくてはならない。大陸から寒波がやってきているそうで、雪はますます強く降ってきた。

櫛田神社。節分のお多福面
櫛田神社
節分のお多福面
博多町家ふるさと館。手前は博物館、奥は町家
博多町家ふるさと館
手前は博物館、奥は町家
聖福寺三門。後鳥羽上皇の扁額が掛かる。
聖福寺三門。後鳥羽上皇の扁額が掛かる。

  京都一周ぐるり旅 YAGOPIN     2005/01/23 01:40
   

 新コーナー「京都一周ぐるり旅」を掲載しました。合わせて、以前掲載していた「東京・町の歴史」も復活させることにしました。


  官報 YAGOPIN     2005/01/15 00:01
   

 最近、地理好きの私の関心を引いてやまない話題が市町村の合併なのだが、市町村合併は最終的に官報の告示が出て決まるので、時々インターネット版の官報をチェックしている。

 官報…。一般の人がまず見ないであろう代物だが、法律も、政府の決めたことも、官報に掲載されることによって、国民に知らされたことになるのであるから、非常に重要である。私は、一時期、官報と関わりのある仕事をしていて、官報に載せる原稿を作成したりもしていたのだが、改めて官報をよく見てみると、1月21日に国会の常会を東京に召集する、なんていう記事から、身長何センチ、何歳くらいの人がどこどこで行き倒れになってたので、遺骨を何とか寺で預かってます、とかそんな記事まで多種多様な記事が載ってて、なかなか興味深い。皇室関係の記事が事細かに載っているのも面白く、今日(14日)の記事で一番目を引いたのは以下の記事である。

 ○宮内庁告示第一号 平成十八年の歌会始のお題は、次のように定められた。 笑み 平成十七年一月十四日 宮内庁長官 湯浅 利夫

 来年の歌会始のお題がもう決まっているとは知らなかった。


  ありがとうございます。 YAGOPIN     2005/01/09 01:58
   

 「た」さん、応援ありがとうございます。世界あくせく紀行・サンフランシスコ編の最終話を追加しました(こちら)。


  応援   URL 2005/01/07 19:55
   

フェスティバルからやってきました。タイトルとかもおもしろいし、応援してます!がんばってください。


  初詣 YAGOPIN     2005/01/02 17:27
   

 ぶらぶらと散歩してたら原宿の方まで来てしまったので、明治神宮に初詣してきました。いくら初詣の参拝客数が日本一だからといっても、もう1月2日だから大丈夫だろうと思っていましたが、やっぱり大変な混雑で、境内に入ってから参拝を終えるまで1時間以上もかかってしまいました。

 ということで、今月の写真は早速、初詣の明治神宮です。皆さまにとっても、今年がよい1年でありますように。

参道は大変な混雑。警視庁のマスコット『ピーポ君』も活躍
参道は大変な混雑。警視庁の
マスコット『ピーポ君』も活躍
明治神宮拝殿
明治神宮拝殿

  新年のご挨拶 YAGOPIN     2005/01/01 00:16
   

 あけましておめでとうございます。本年も当サイトをよろしくお願いいたします。
2005年年賀状

 
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