YAGOPIN雑録

世界あくせく紀行

サンフランシスコ市庁舎

● サンフランシスコ編・ツインピークス

9月23日(木曜日)

 最終日の24日は飛行機に乗って帰るだけなので、観光できるのは今日23日が最後である。今日は、マキさんが、車で市内を案内してくれることになっている。田澤くんは仕事なので、車にはマキさんとケイちゃん、小田と私が乗り込む。「どこかご希望のところはありますか。」と聞かれて、私は「シビックセンター」と答えた。

 市内の中心部にあるシビックセンターは、日本で言えば官庁街にあたる。その中心をなすサンフランシスコ市庁舎は、列柱を持つライトグレーの古典建築に、金色で装飾されたドームを持つひときわ立派な建物である。市庁舎前の広場には、いろいろな形をしたハート型のオブジェが並んでいる。このハート型オブジェは、企業や個人の寄付によりアーティストが作ったもので、全部で130個作られた。市庁舎前だけでなく市内各所に展示されており、展示後はオークションにかけられて、その収益はサンフランシスコ公益病院の運営に充てられることになっている。市庁舎の前には、図書館やアジア美術館など、やはり同じライトグレーの建物が並んでいて、調和のとれた風景を形作っている。アジア美術館では現在、GEISHA展が開かれているらしく、真っ白に塗りたくられた芸者さんの顔がポスターになっていた。市庁舎の裏側に回ると、こちらにもライトグレーの建物、戦没者追悼記念オペラハウスが建っている。実はシビックセンターで私が見たかったのは、このオペラハウスの建物なのである。ここは、1951(昭和26)年9月4日から8日まで、全52ヶ国が参加して開催されたサンフランシスコ講和会議の会場となった場所。9月8日に当時のソヴィエト連邦などを除く49ヶ国が署名した「日本国との平和条約」、いわゆるサンフランシスコ講和条約は、日本と連合国との戦争状態を正式に終結させ、日本国民の主権を回復させることになった。日本にとって記念すべきこの建物を、外観だけでも見られたことは、日本人として感慨ひとしおである。なお、日本の主席全権としてここで演説を行ったのは、当時の吉田茂首相。2001年に同じ場所で開かれた平和条約署名50周年記念式典で演説を行ったのは、当時の田中真紀子外相だった。

市庁舎とハートのオブジェ
市庁舎とハートのオブジェ
オペラハウス
オペラハウス

 シビックセンターの北側は「テンダーロイン」というあまり治安のよくない地区なのだが、そのさらに北側にはジャパンタウン(日本町)がある。丸い円盤を5つ重ねたようなコンクリートの五重塔が広場の片隅に立っており、「この平和の塔は日本の人々から友情のしるしとしてアメリカの人々におくられたものです。」という説明が付いている。通りの名前を記した看板も「ポスト街」などと日本語で書かれており、その柱には「ガレッジセール」と片仮名で書かれた手書きのチラシが貼り付けられていた。スーパーには日本のお菓子やカップラーメンはもちろん、刺身、豆腐ハンバーグ、とんかつソースなどなど日本食に必要なあらゆる素材が並び、日本酒も各種有名銘柄がそろっている。100円ショップならぬ1ドルショップや、紀伊国屋書店、ラーメン屋などもあって、ここに来れば、サンフランシスコにいても、問題なく日本と同じ生活ができそうだ。しかし、現在、サンフランシスコに住む日本人・日系人は必ずしもジャパンタウンに集まっているわけではなく、かつてはこの町にあった日本総領事館も市内中心部へと引っ越してしまった。そのためここの住民は、アジア人より白人の方が多く、アジア人の中でも日本人より中国人が多い、というのが実態であるようだ。

 ジャパンタウンから南に進み、住宅街を抜けてちょっとした山道を登っていくと、どんどん眺望が開けていった。ここは、標高276mと278mの双子山「ツインピークス」である。夜景の名所として知られる場所だが、昼間の景色も十分美しい。今日も天気は最高のカリフォルニア晴れで、ゴールデンゲートブリッジ、アルカトラズ島、シティホールのドーム屋根、フィナンシャル・ディストリクトの高層ビル群、ベイブリッジと、サンフランシスコの主だった見どころが一望の下である。ツインピークスから見ると、メインストリートのマーケット通りがフェリービルディングまでまっすぐに続いているのが見える。おそらく、最初にサンフランシスコの町づくりをしたときに、ツインピークスを見通せるようにマーケット通りを引き、その直線を基準線としたのではないかと想像する。もしそうだとしたら、平安京における船岡山と朱雀大路、北京における景山と前門大街、ソウルにおける北岳山と世宗大路などの関係に似ていて、ちょっと面白いと思うのだが。

ジャパンタウンの五重塔
ジャパンタウンの五重塔
ツインピークスからまっすぐ伸びるマーケット通りを見る。
ツインピークスからまっすぐ
伸びるマーケット通りを見る。

 ちょうど正午になり、そろそろお昼ごはんに、ということで、ツインピークスからカストロ通りの方へ降りていく。この通りで目立つのは、赤・オレンジ・黄・緑・青・紫の6色に塗り分けられた「レインボーフラッグ」と呼ばれる旗である。旗のほかにも、たとえば信号機の柱とかお店の前の階段とか、町のあちこちにこの6色がペイントされているのが目に付く。実はこのカストロ通りは、ゲイの町として知られるところで、レインボーフラッグは、ゲイやレズビアンなどの性的マイノリティの解放運動の象徴として使われているものなのである。町自体はそんなにアブなそうな雰囲気はなくて、我々も普通にピザ屋に入って食事をしたのだが、なぜか上半身シースルーの格好で通りを歩いているマッチョな男性がいたり、お土産として売っている絵葉書の写真がかなりきわどいものだったりと、レインボーフラッグのほかにも時折、それらしさを垣間見ることができる。ゴールドラッシュ以来、多様な人々を受け入れてきたため、伝統的にリベラルな傾向が強いサンフランシスコは、同性愛者にとっても住みやすい町であるらしく、人口の1割とも2割とも言われる多くの同性愛者が暮らしている。そして、今年、36歳の若さで新しい市長に就任したニューサム市長は、ついに同性愛者間の結婚を認め、市役所には結婚証明書の発行を求める同性愛者の列ができたという。ただ、ブッシュ大統領、シュワルツェネッガー知事はじめ、同性婚に反対する意見も根強く、サンフランシスコ市の認めた同性婚については、結局、裁判に持ち込まれることになってしまった。

 昼食後は、お土産を購入する予定になっていたが、同じものを買うのでも、スーパーの方がずっと安く手に入るから、というマキさんの勧めにより、スーパーマーケットをいくつか回ることにする。車は、高級住宅街のシークリフ地区を通ったり、カリフォルニア線のケーブルカーとすれ違ったり、ノブヒルを下る急坂をジェットコースターのように一気に下ったりと、美しいサンフランシスコ市街を縦横に駆け抜ける。消防車が大好きなケイちゃんは、サイレンの音が聞こえるたびに「しょぼしゃーっ」と叫ぶ。海の方角には霧が立ち込めはじめ、オレンジ色のゴールデンゲートブリッジの主塔が青白い霧の上に頭を突き出している。サンフランシスコ名物のギラデリチョコレートは、コストプラス・ワールドマーケットで大袋入りのものや小分けにしたものをたくさん買い込んだ。コスタリカ産のコーヒーなんて日本では割に珍しくていいんじゃないかしら、というこれもマキさんのアドバイスで、コーヒーもたくさん買っていく。店内は早くもハロウィン(10月31日)関連の商品であふれていて、カボチャのちょうちん(ジャック・オ・ランタン)や可愛いお化けや悪魔のデザインがさまざまなグッズにつけられている。小田はCOSTCOという会員制のスーパーでワインを買った。COSTCOはまるで大型の倉庫のような店舗に箱ごと商品を積み上げて売っているスーパーで、会費で運営する代わりに仕入れ値とほとんど変わらない価格で商品を販売しているそうだ。COSTCOの発音は、「コスコ」に近いが、日本では「コストコ」という名前で、福岡や幕張などに店舗展開している。

 お土産と夕食の材料を買い揃えて田澤宅に戻る。夕食の時間まで、ケイちゃんは、機関車トーマスのおもちゃを手にはしゃぎ回り、小田と私はトーマス用の線路建設に従事する。田澤くんは出席しなければならないレセプションがあるとのことで、帰りが遅くなるという。さっきまでハサミを動かし泡をふいていた大きなカニが、今は真っ赤に茹で上がって大皿におさまり、

「ツヨシくん(田澤くんのこと)が、貯めこんでるワインがあるから、勝手に開けちゃうわ。」

 と、マキさんはコルク抜きを手にした。酒好きの田澤くんは、サンフランシスコに来て以来、ワイナリーに行ってはいいワインをたくさん買い込んできて、マキさんに叱られているようだ。ほろ酔い加減になったころ、やはり少し顔を赤くした田澤くんが帰宅する。4つのワイングラスに笑顔が映り、6日連続となる酒宴は今晩もまた日付が変わるまで続いていった。

【完】

(田澤くん、マキさん、ケイちゃん、本当にどうもありがとう!)

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