YAGOPIN雑録

世界あくせく紀行

サンフランシスコ市庁舎

● サンフランシスコ編・ヨセミテ

9月19日(日曜日)

 「はーい、改めまして、皆さん、おはようございまーす。」

 うとうとしかけているときに、ガイドのおっさんの太い声がツアーバスに響き渡った。時計を見ると、朝8時になろうかというところ。サマータイムのサンフランシスコにもようやく日が昇ってきた。1時間前には、小田と私とガイドと運転手しか乗っていなかったこのバスも、サンフランシスコ中のホテルからツアー客をかき集めて、今はほぼ満員になっている。バスの行き先はサンフランシスコから西へ約300kmのヨセミテ国立公園。片道5時間もかかるのでは、行って帰るだけでほとんど時間は残らないが、道中、アメリカの広さを味わってくるのもよかろうと、日帰りのバスツアーに参加することにした。

 バスはサンフランシスコ湾を東西に横断するベイブリッジに差しかかった。全長13.5kmのこの橋は、途中にヤーバ・ブエナ島を挟み、西側が吊り橋、東側はトラス橋となっている。西側の吊り橋は1988年に瀬戸大橋ができるまで世界一の吊り橋だった。東側のトラス橋は1989年の大地震で一部が崩れて長く通行止めとなったため、現在、耐震のための架け替え工事が行われている。完成すればこちらも吊り橋と高架橋を組み合わせた構造になる予定である。

 ベイブリッジが架けられたのは1936年のことで、完成当初は上段を自動車、下段を鉄道が走るようになっていたが、鉄道は1958年に廃止されて、現在は上段が西行き、下段が東行き、片側5車線ずつの自動車専用橋となっている。ガイドのおっさんの話によると交通量は1日平均30万台だといい、それがほんとならば東京近辺の東名高速道路の倍以上である。橋はサンフランシスコとオークランドという両岸の大都市をつないでおり、遠くニューヨークまで延びる州際高速道路(Interstate Highway)80号線の一部にもなっているため、30万台というのもあながち大げさな数字でもないだろう。

ベイブリッジ(吊り橋部)
ベイブリッジ(吊り橋部)
BART
BART

 橋を渡りきって、580号線に入る。通勤時間帯のためか、反対側のサンフランシスコ市内に向かう道路は大渋滞している。道路の隣の線路を駆け抜ける銀色の電車は、ベイエリア高速鉄道。BART(バート)の略称で知られるこの鉄道は、サンフランシスコ湾をトンネルで横断して、サンフランシスコと、オークランドやバークレーなどの周辺都市を結んでおり、昨年にはサンフランシスコ国際空港に直結する路線も開通した。BARTの線路が途切れ、周囲の建物が少なくなると、高速道路はアルタモント丘陵に差しかかる。丘の上は牧草地となっていて、建物の代わりに白い風車がたくさん建っている。牧草地に風車というとなにか牧歌的な感じだが、実はここはウインドファームと呼ばれる風力発電施設なのである。発電用の風車は全体で数千基ほどもあり、10万世帯分の電力をまかなうことができるそうだ。丘陵の先には広い広い平野が広がっており、はるかはるか遠くではシエラネバダ山脈の山並みが空と地球の間に境界線を引いている。

 「この平野には北海道がまるごと2つ、関東平野ならなんと28個入ってしまうんですねー。」

 と、ガイドのおっさんが言う広大な平野にはピスタチオやブドウなどの畑が広がり、ところどころに町があったり、大きな工場が建っていたりするが、中には真っ黒に焦げた大地が続くだけのところもある。乾燥しているカリフォルニアでは、山野を焼きつくしてしまうほどの大火災がしょっちゅう発生しており、こうした焦土はその跡なのだそうである。いつの間にか州道に入って、ジョージ=ルーカスの生まれ故郷であるモデスト市の近くで一度休憩。バスから降りて伸びをすると、駐車場の隣には緑の葉を茂らせたトマト畑がどこまでもどこまでも続いている。まったくこれいったいどうやって収穫するんだろうな。というか、こんなにたくさんトマトばかり作ってどうするんだろう。バスに戻り、次にマリポサという町で休憩するまではずっと寝ていた。ここからはだいぶ細くなった道を山の方へずっと登っていき、ゲートを通ってヨセミテ国立公園の中に入っていく。バスは渓谷を一望する「トンネルビュー」と呼ばれるポイントで停車した。時刻は12時半を回っている。

どこまでも続く平野
どこまでも続く平野
トンネルビューより。左手に「エルキャピタン」
トンネルビューより
左手に「エルキャピタン」

 左手に高さ1,095mの壮大な一枚岩「エルキャピタン」、その奥に饅頭を2つにすっぱりと切ったような「ハーフドーム」という岩がそびえるここからの眺めは、ヨセミテを代表する風景である。大きさからは「山」と表現した方がいいようなこれらの巨岩の間に入り込むヨセミテ渓谷は、長い時間をかけて氷河が岩々を削って創られた。“神々の遊ぶ庭”とも呼ばれるこの雄大なU字谷を含む一帯、約3,000k㎡は1890年に国立公園に指定され、1984年には世界遺産にも指定されている。しかし一方で、サンフランシスコやラスベガスから日帰りで行くことのできるヨセミテ国立公園には、年間400万人にも及ぶ観光客が押し寄せ、環境破壊が深刻な問題となっている。今から100年ほど前には、サンフランシスコ都市圏の水需要をまかなうため、国立公園内に巨大なヘッチヘッチーダムの建設が計画されたこともある。建設の可否をめぐっては、全米に論争が巻き起こり、ダムは結局建設されたものの、その後、アメリカの国立公園内にダムの建設が行われることはなくなったという。

 渓谷の中にあるヨセミテ・ロッジでバスを降りて、しばらく自由時間になる。足元ではリスがちょこまかと走り回り、土産物屋に入り込んでは店のおばさんに追い立てられている。背の高いセコイアの木が混じる林の中から広い草原の中に出て、後ろを振り返ると、真っ青な空にはハーフドームの饅頭が白くぽっかりと浮かびあがっている。渓谷の中を流れているマセド川のほとりに下りていくと、大きな青い鳥が川べりの木から飛び立った。浅い川にはきれいな水が流れ、靴を脱いで川の中に入ると、その水は驚くほど冷たい。川の中から向こうの岩壁を見上げると、その真ん中には縦に太い筋のような模様がついている。6月くらいにここに来れば、模様の場所には雪解けの水を集めたヨセミテの滝がごうごうと流れ落ちていたはずなのだが、9月の今では雪解け水はすでにすべて流れつくしてしまい、滝には一滴の水も流れていない。

ハーフドーム
ハーフドーム
マセド川。後方の岩壁中央に滝の跡
マセド川。後方の
岩壁中央に滝の跡

 “神々の遊ぶ庭”での時間はあっという間に過ぎ、集合時刻になった。最後にバスは、エルキャピタンの真下まで我々を連れていってくれた。高さ1,000m以上にも及ぶ絶壁。下から見上げるととてつもない高さである。

 「えー、岩の真ん中へん、斜めにヒビが入っていて、ちょっと陰になっているところがありますね。あすこになんかくっついているのが見えますか。あれ、ロッククライミングする人たちの基地なんですねー。その上のほう、もーっと小さい粒みたいの、見えますかー。あれ、人間でーす。あの人たちは何日もかけてエルキャピタンを登っていくんですよー。よく見るとそういうちっちゃい粒みたいな人影があっちこっちにくっついてるのが分かるはずです。皆さん、何人見つけられますかー。」

 私には2~3人しか見つけられなかったが、こんな絶壁を何日もかけて登っていくなんて、とんでもない忍耐力だと思う。エルキャピタンに登るのには許可が必要であり、それなりに経験を積んだ人でないと登れないようなのだが、私が行った翌月には、ここで日本人のロッククライマーが凍死する事故があったと聞いた。

 帰りは、行きとは別の道を行く。途中の休憩場所で、スイカやメロンなどの入ったフルーツのパックを売っていたので買ってバスの中で食べる。みずみずしく、甘くてとても美味しかった。夜の宴会のつまみにしようとナッツも買っていったが、このあたりではナッツなんて山ほどとれるであろうにしてはちょっと高めの値段で、いかにもヨセミテ観光客向けの商売という感じだった。あとは休憩もなく長い道のりを走り続け、午後8時、とっぷりと日が暮れるころ、バスはようやくベイブリッジまで戻ってきた。夕闇の中、わずかに残ったオレンジ色の光に、サンフランシスコのシルエットが浮かび上がっている。朝、この橋を通ってサンフランシスコを出発してからおよそ12時間。ヨセミテはやっぱりちょっと遠かった。今回はさわりしか見られなかったので、この次はできればゆっくり見て回りたい。滝にも水が流れている時期に。

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