YAGOPIN雑録

世界あくせく紀行

サンフランシスコ市庁舎

● サンフランシスコ編・サイクリングと大リーグ

9月22日(水曜日)

 ゴールデンゲートブリッジやベイブリッジが架かるまで、半島の突端部にあるサンフランシスコへは、フェリーを使うのが便利だった。1898年に建てられたフェリービルディングは、いわばサンフランシスコの玄関口であり、町のメインストリートであるマーケット通りもフェリービルディングの前から始まっている。アーチを多用したグレーの石造りの建物に白い時計塔を乗せたフェリービルディングは、港町らしく、重厚な中にも軽快な感じのある建物で、内部は、昨年、さまざまな店が並ぶマーケットプレイス(市場)にリニューアルされている。

 フェリービルディングの前を、クラシックな路面電車が行き交っていている。以前、フェリービルディング前を通る海沿いの通りには、高速道路の高架橋が被さっていたのだが、高架橋は1989年の地震で被害を受けたため、安全性の観点から撤去された。高架橋の代わりに通りには観光用を兼ねた路面電車が走ることになり、昔、サンフランシスコで走っていた電車や、シカゴ、ボストン、ニューオリンズなど全米各地、さらにはミラノ、モスクワ、大阪など世界各地の古い電車が集められたのである。停留所にやってきた緑色の電車は、1914年製造のサンフランシスコ市電で、車内の壁は木製だった。海側の車窓から見える埠頭には、石造りの倉庫が建ち並んでいる。小田と二人、土産物の店などが集まるフィッシャーマンズ・ワーフで電車を降り、ここからはレンタサイクルを使うことにする。

フェリービル
フェリービル
フェリービルの前を走る路面電車
夕暮れ時、フェリービルの
前を走る路面電車

 「ブレイジング・サドルス」というレンタサイクルショップで借りた自転車は、サドルを最低まで調節しても、足が地面に届くか届かないかだった。しかし、こぎ出してしまえば、そんなこと関係ない。朝9時半、空はからりと晴れ上がって、そよぐ風も照りつける太陽も心地よい。港にはたくさんのヨットが停泊し、沖にはアルカトラズ島、正面にはゴールデンゲートブリッジ。これは素敵なサイクリングになりそうだ。最初の目的地、国立海洋博物館にはあっという間に到着し、白い船をかたどった博物館の建物の前に自転車を停める。船に関係する事物を紹介するこの博物館の片隅には、かの「マーメイド号」の実物が展示されている。1962年、当時22歳の堀江謙一さんが単身、太平洋を横断したときのヨットで、その著書「太平洋ひとりぼっち」は、石原裕次郎主演の映画にもなった。ヨットの全長はわずか6mほどで、広大な太平洋に比べてみればあまりにも小さい。何が起こるか分からない大海原に挑んでいくという冒険心もさることながら、こんな小さな船に閉じ込められて3ヶ月も航海するという根性にも恐れ入る。

 軍の駐屯地の跡地であるフォートメイソン地区を越えると、あたりには瀟洒な住宅地が続いている。1915年のパナマ・パシフィック博覧会のモニュメントだったパレス・オヴ・ファインアーツの前からは、ビーチ沿いの遊歩道をゆっくり進む。ビーチでは親子連れが水遊びをしていたり、大型犬が波打ち際を駆け回っていたり、中にはもう9月だというのに泳いでいる人までいる。自転車をこぐにつれ、ゴールデンゲートブリッジがどんどん近づいてくる。案内標識に従って、途中からはえっちらおっちらと坂道を登っていく。

マーメイド号
マーメイド号
アルカトラズ島をバックに波打ち際を駆ける犬
アルカトラズ島をバックに
波打ち際を駆ける犬

 全長2,789m(うち吊り橋部1,966m)、中央支間長(主塔間の長さ)1,280m、主塔の高さ227m、海面から橋げたまでの高さ67m。1937年に建設されたゴールデンゲートブリッジは、1964年まで中央支間長が世界最長の吊り橋だった。1936年建設のベイブリッジが全長では世界最長であったから、当時、サンフランシスコは世界一の橋を2つも持っていたことになる。シルバーグレーに塗られたベイブリッジに対し、ゴールデンゲートブリッジは、霧の中でも目立つよう朱色に近いオレンジ色(“インターナショナルオレンジ”と呼ばれる。)に塗られている。橋の名は「ゴールデンゲートブリッジ」だが、「ゴールデンゲート」は橋が架かる海峡の名前であって、橋自体が金色になっているわけではない。さらに紛らわしいことに、この「ゴールデンゲート」はイスタンブールの金角湾(ゴールデンホーン)に似ていることから名付けられたもので、カリフォルニアのゴールドラッシュとも関係がないのである。

 15分ほど坂を登ると橋の上までたどり着いた。ゴールデンゲートブリッジには、車道の両側に歩道が付いているが、曜日や時間帯によって通れる歩道が決まっており、今の時間帯は向かって東側の歩道を通行することになっている。西側の歩道からは太平洋しか見えないはずだが、東側の歩道はサンフランシスコ湾の方を向いており、高層ビルの建ち並ぶサンフランシスコからオークランドにつながるベイブリッジ、白い航跡を引いて海上を滑りゆく船々やアルカトラズ島など、湾内の美しい風景が一望できる。ゆっくりと自転車をこいで南側の主塔の真下までやってきた。吊り橋の主塔といえばシンプルな門型のものが多いが、ゴールデンゲートブリッジの主塔は柱や桟の太さ・長さに変化がつけられ、単調になりそうな部分には凹凸の模様が入れられていて、なにか鋼鉄製の巨大なモニュメントといった趣である。歩道から見上げると主塔のてっぺんまでは160mほど。逆に手すりから覗き込むと60mほど下の海面を遊覧船が通り過ぎるのが見える。歩道の上には観光客がたくさんいたが、この南側の主塔で折り返してしまう人が多いらしく、だんだんと人通りが少なくなってきた。左側の鉄柵の向こうには片側3車線の車道をひっきりなしに車が行き交っており、大型車が通ると路面が大きく上下に震動する。主塔から下がってくる太いケーブルが路面に最も近づくあたりが橋の中央部で、路面もこのあたりが一番高くなっている。12時半を過ぎてなんとなくお腹がすいてきた。記念写真もたくさん撮ったことだし、後半は自転車で一気に駆け抜ける。

ゴールデンゲートブリッジ
橋上からサンフランシスコ遠望
主塔をバックに
主塔をバックに

 ゴールデンゲートブリッジの両岸一帯はゴールデンゲート国立公園となっており、橋を渡りきってマリン郡に足を踏み入れると、あたりには茶褐色の丘が続くばかりとなっている。展望台から今一度、橋を眺め、ミネラルウォーターで喉を潤してから、今度はスピードを上げて坂道をどんどん下っていく。途中でサウサリート市に入ったことを示す看板が現れた。下り坂は終わりになり、住宅地の中を通って海岸沿いの商店街に出る。サウサリートは海辺のリゾート都市。海に突き出た桟橋にもシーフードレストランなどが建っているが、昼食は、田澤夫妻に勧められたハンバーガー屋で買って食べることにする。自転車を停めて町を歩き出すと、そのハンバーガー屋はすぐに見つかった。肉を焼いている狭い店内に並び、ハンバーガーとコーラを受け取って、波止場近くの公園に行く。ハンバーガーは、一口にほお張ろうとすれば顎が外れそうなほどに分厚い。灰色のカモメが2~3匹、食事中の小田と私の周りをうろうろして、そのおこぼれに預かろうとしている。後ろは芝生、前は海。はるか遠くにサンフランシスコ。ハンバーグは焼き立てで温かい。10kmの道のりをはるばる自転車でやってきた甲斐があったというものだ。

対岸から見た橋
対岸から見た橋
ハンバーガー(食べかけですみません。)
ハンバーガー
(食べかけですみません。)

 サウサリートの中心街にはカフェやレストラン、その他さまざまなお店のほか、ギャラリーが多く並んでいる。丘の上は緑の多い住宅地となっていて、町全体がちょっと小洒落た雰囲気になっている。もともと、ゴールデンゲートブリッジにつながる高速道路が、サウサリートの目の前の海上を通過することになっていたのだが、住民の反対で計画が変更になり、サウサリートの景観が保全されることになったそうだ。町をぶらぶらしている間にフェリーの時刻になった。サウサリートとサンフランシスコを結ぶフェリーには自転車を積み込むことができるのである。フェリー最下層の自転車置場に自転車を置いてデッキに出る。サウサリートからゴールデンゲートブリッジ、そしてサンフランシスコと、午前中に見た風景が逆回しになって、フェリーはフィッシャーマンズ・ワーフへと我々を連れ戻してくれた。

 自転車を返して、桟橋の上に土産物店の集まるピア39(第39埠頭)で休憩する。海べりには、たくさんのアシカが寄り集まってひなたぼっこをしている。彼らはどういうわけか1990年ごろからここをすみかにするようになり、特に芸をすることもなく寝そべっているだけで観光客の人気者になった。名物のクラムチャウダーはややしょっぱい感じもしたが、濃厚な味でなかなかいける。ピア39よりも海に近いところには、真っ白な真新しいリゾートホテル風の建物が建っている。…と思ってよく見たら、ホテルに見えたのはなんと巨大な豪華客船。三菱重工の長崎造船所で建造された“サファイア・プリンセス”だった。全長290m、乗客定員2,674名という日本で建造された最大級の客船であるサファイア・プリンセスは、建造中の火災という不幸な事故を乗り越えて、今年(2004年)の5月に就航したばかりであり、この日はメキシコクルーズの乗客を乗せるためサンフランシスコに寄港していたのである。

ピア39にはアシカがたくさん
ピア39には
アシカがたくさん
サファイア・プリンセス
サファイア・プリンセス

 夕方、いったん田澤家に帰り、今度は田澤くんと小田と私の3人で外へ出る。10分ほど歩いて到着したのは、SBCパーク。大リーグ サンフランシスコ・ジャイアンツのホームグラウンドである。なかなかとれないチケットを入手してくれた田澤くんに感謝、感謝。

 2000年にオープンしたこの球場は、内野席が3層構造になっていて、1層しかない外野席よりも圧倒的に多く確保されているのが特徴となっている。名物のガーリックフライ(ガーリックをまぶしたポテトフライ)とビールを手に席を探すと、我々の指定席は、ホームベースに近い内野の最上層で、バックネット裏、というよりはバックネット上、といったほうがよいような場所だった。眼下に広がる人工芝のグラウンド。ライトスタンドの裏はなんとサンフランシスコ湾に直接続いており、遠くには対岸のオークランドの灯がまたたいている。ライトスタンド裏の海上にはカヌーやプレジャーボートが何艘も浮かんでいて、「スプラッシュヒット」と呼ばれる海に飛び込む場外ホームランを待っている。スプラッシュヒットのホームランボールは大変な価値があり、特にそれがジャイアンツの4番打者・バリー=ボンズのものであれば、オークションでとんでもない値段がつくそうだ。今シーズンのボンズには、ハンク=アーロン、ベーブ=ルースに続く、大リーグ史上3人目の700本塁打達成の期待がかかっており、ひょっとしてその瞬間が見られるかもしれないと思いながらこの旅行を企画していたのだったが、残念ながら700本目の本塁打は出発前日の9月17日に、ここSBCパークのレフトスタンドに飛び込んでしまった。

SBCパーク
SBCパーク
観客席より
観客席より

 プレイボールは19時15分。今日の対戦相手はヒューストン・アストロズである。ジャイアンツには、かつて新庄選手(現・北海道日本ハムファイターズ)が在籍していたが、今は両チームとも日本人選手はいない。日本の球場では、打者ごとに応援歌を歌ったり鳴り物が響いたりしているのが当たり前の光景だが、こちらはせいぜい「Let’s Go Giants!」の掛け声がかかる程度で、どちらかといえば静かな応援である。1回表アストロズの攻撃は無得点に終わり、1回裏ジャイアンツの攻撃。1番2番といきなり2アウト取られてしまったが、3番フェリスが2ベースを打ったところで、4番ボンズの登場である。豪快なバッティングで打ったボールは右中間へ。フェリスが返ってまずは1点先制である。点が入ればスタンドはさすがに盛り上がる。ボンズは3塁へ進んだ。

 その後、ボンズの出番は4回あったが、敬遠、敬遠、敬遠と続く。1塁付近に「139」と数字の入ったボードがあり、敬遠のたびに数字が1つずつ増えていく。そう、これはボンズが今シーズン敬遠された数なのである。ボードの隣には黄色い鳥の人形がずらりと並べられており、観客もブーイングしながら、鳥の人形をぐるぐると振り回している。鳥は「チキン」、すなわち弱虫を意味する。ボンズの5打席目、スプラッシュヒットの最後のチャンスも残念ながら敬遠。敬遠の数字は143まで増えてしまった。試合は2回表にケントのホームランが出てアストロズがいったんは追いついたが、ジャイアンツが5回に1点、6回に3点を入れ、5対1と突き放してゲームセット。上々の試合結果で喜色満面のサンフランシスコ市民に混じりSBCパークを後にした。

敬遠されるボンズ
敬遠されるボンズ
今シーズン143個目の敬遠だった。
今シーズン143個目の敬遠だった。

(アメリカの郡と市町村について…一般的に、郡が州の下部機構的な組織であるのに対し、市町村は住民の意思に基づき設置される自治体である。したがって、市町村のないエリアも多く、そうした場所では郡が市町村の担うべき行政も行っている。また、サンフランシスコは郡と市の領域が同一で、郡・市が一体となっている。)

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