YAGOPIN雑録 この町を歩く 京都御所紫宸殿
 
 ● 京都一周ぐるり旅
平安京の南端を行く
 
 関西に住んでいる間に、京都を一通り見て回りたいと思っていた。効率的に京都の名所を回る方法はないかと地図を見ていて考え付いたのは、洛中の周囲を囲んでいる九条通、東大路通、北大路通、西大路通に沿って、京都を一周歩くという方法である。京都の著名な寺社は市街地の中心部よりは周囲に点在しているように見えるし、一周歩いてみると京都の大きさみたいなものが実感できるかもしれない。京都と言うと、まず思い浮かぶのは清水寺、金閣・銀閣、平安神宮、三十三間堂といった超有名どころで、それ以外の名所旧跡にはなかなか目が届かないが、京都を一回りゆっくりと歩いていけば、その間にそうした今まで気付かなかった名所にも立ち寄っていくことができるのではないか。そんな風に考えて、2003(平成15)年8月3日、真夏の暑い日に「京都一周ぐるり旅」は始まった。

 初回のこの日は、ちょうど名古屋から友人T氏が遊びに来ていたので、付き合ってもらうことにする。南西の角に近いJR西大路駅をスタート地点として、西大路通を南へ、そして西大路九条の交差点からは九条通を東に向かって歩く。九条通は、かつての平安京の南端を通っていた九条大路にだいたい相当するが、東大路通や西大路通は平安京の東西の端である東京極大路・西京極大路よりも東に位置している(北大路通も平安京とは関係がない。)。平安京は西半分の右京(長安城)が早くに衰退する一方で、東半分の左京(洛陽城)よりもさらに東側の鴨川左岸が都市化していったため、当初の都市計画よりもかなり東にぶれた形で発展することとなってしまったのである。したがって、いま我々の歩いている場所は、京都一周のコース上は南西の角に近いが、平安京の地図を重ねると南端の中央付近に相当している。

 いにしえの平安京では、この付近に平安京の南の大門である羅城門と平安京内唯一の寺院である東寺・西寺が建設されていた。平安京内に当初、寺院が2つしか造られなかったのは、奈良・平城京で仏教が権力を握ったことに対する警戒のためである。まずはこれらの平安京の遺蹟を見て回ることにするが、西寺は1233(天福元)年に焼失し再建されなかったため、今は公園にいくつかの礎石が残るばかりである。 西寺跡からさらに東へ向かうと、羅城門の跡があるが、こちらも980(天元3)年に暴風雨で倒壊した後には再建されず、現在は碑が立っているのみとなっている。倒壊する以前の羅城門も荒れ果てていたらしいことは、『今昔物語』の説話をもとに書かれた芥川龍之介の小説『羅生門』を読めば分かる。その書き出しは以下のとおりである。

 ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。

 広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗の剥げた、大きな円柱に、蟋蟀(きりぎりす)が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。

 何故かと云うと、この二三年、京都には、地震とか辻風とか火事とか饑饉とか云う災がつづいて起った。そこで洛中のさびれ方は一通りではない。旧記によると、仏像や仏具を打砕いて、その丹がついたり、金銀の箔がついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪の料に売っていたと云う事である。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、元より誰も捨てて顧る者がなかった。

西寺跡 羅城門跡
西寺跡 羅城門跡

 「羅城」とは都市の周囲を囲む城壁のことで、羅城門はその門を指す。羅城門から北へは幅28丈(約84m)の朱雀大路が平安宮に続き、南へは「鳥羽の作り道」と呼ばれる街道が通っていた。羅城門跡を過ぎてまた東に歩くと、朱雀大路を挟んで西寺と対称の位置にある東寺に着く。西寺は廃れたが、東寺は嵯峨天皇から弘法大師空海に与えられ、真言宗の道場・教王護国寺となって今日まで続いている。高さ55m、現存最高の五重塔は1644(寛永21)年、徳川家光の寄進によるもの。大日如来を中心に平安時代の仏像を曼荼羅の形に並べた講堂は1491(延徳3)年の再興。そのほか、広い境内には国宝建造物が数多く建ち並び、世界遺産登録もなされている。

 近鉄東寺駅を過ぎ、鴨川とJR奈良線、京阪電車の線路を渡って東福寺。13世紀、摂政九条道家が奈良東大寺・興福寺になぞらえて造営した寺院で、京都の臨済宗寺院では最も格式の高い「京都五山」のひとつに数えられる。14世紀に建てられた三門は、日本最古の三門で国宝に指定されている。三門は空・無相・無願の三つの解脱の境地に至るための門ということで「三門」と呼ばれるそうだが、一般には「山門」と称されることも多い。境内の谷川(洗玉澗)に架かる通天橋は紅葉の名所として知られる。その先にある開山堂(1823年建立・重文)前の石庭も真夏の陽光に白々と冴えて美しい。この辺が南東の隅にあたり、ここからは東大路通を北上する。JR線の陸橋を挟んで南北に広がる一帯は、かつて後白河法皇の御所・法住寺殿があった場所であり、熊野神社を篤く信仰した法皇が造らせた新熊野(いまくまの)神社、法住寺殿の堂宇のひとつとして造られた三十三間堂(蓮華王院)はその名残である。後白河法皇陵も三十三間堂の向かい側にある。

東寺五重塔 東福寺開山堂
東寺(教王護国寺)
500円
9:00〜16:30(3〜9月17:00)
真言宗 世界遺産
主なみどころ:五重塔(国宝・写真)、金堂(国宝)と薬師三尊・十二神将像、講堂と立体曼荼羅
東福寺
400円(開山堂・通天橋)
400円(方丈八相庭園)
9:00〜16:00
臨済宗東福寺派
主なみどころ:三門(国宝)、通天橋、開山堂と庭園(写真)、方丈八相庭園

 三十三間堂は何回か来ているので中に入らず、智積院会館で昼食をとった後、智積院と妙法院の間の坂を登って、豊臣秀吉の豊国廟に参る。標高196mの阿弥陀ヶ峰の頂上にある秀吉の墓までは延々と木立の間の石段(560段)を上がらなくてはならない。大汗をかきながら登り切るとそこには巨大な石塔が立っているが、これは1897(明治30)年の秀吉三百年忌に建てられたもの。もとの廟は豊臣家滅亡の1615(元和元)年に破壊され、墳墓だけが風雨にさらされていたのだそうだ。苦労して登ってきた割にはここからの眺めはあまり良くない。

豊国廟に続く石段 京都国立博物館
豊国廟
50円(登拝料)
9:00〜17:00
京都国立博物館
420円(常設展)
9:30〜17:00
(金曜〜20:00、月休)

 阿弥陀ヶ峰から降りて、京都国立博物館でしばし涼む。この博物館の本館は辰野金吾と並び明治時代の巨匠として知られる片山東熊が設計している。その作品は、迎賓館・国立博物館表慶館・奈良国立博物館など華麗なものが多い。本館前にはロダンの「考える人」の像が置かれている。博物館の隣には方広寺と豊国神社。豊臣秀吉建立の方広寺にはかつて大仏殿があった。地震で倒壊した大仏殿を秀頼が再建した際に新造された鐘は大阪冬の陣の引き金になったことで有名である。すなわち、鐘に刻まれた文言「国家安康」は家康の名を二つに切り裂く呪いの文句であり、「君臣豊楽 子孫殷昌」は、豊臣を君として子孫の繁栄を楽しむ、という意味だと言いがかりをつけられたのだ。大仏は1789(寛政10)年に焼失し、再建された大仏も1973(昭和48)年に再び焼失したが、鐘の方は残っている。また、方広寺のすぐ向かいには「耳塚」がある。秀吉の朝鮮出兵の際、武功の印として首級の代わりに送られてきた塩漬けの耳や鼻を埋めた塚で、韓国から来たらしい観光客がたくさん集まっていた。こうして豊臣家滅亡に至る歴史を駆け足でめぐったところで初日は終了する。

方広寺の鐘 耳塚
方広寺の鐘
「国家安康」「君臣豊楽」の部分は白く囲ってある。
耳塚

(拝観料・拝観時間は変更されている場合がありますので、御注意ください。主なみどころは、作者の独断によるもので、作者が見ていないものは外していますので、参考程度に御覧ください。)

 
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