YAGOPIN雑録 世界あくせく紀行
 
 ● ソウル編・5
 
 

 翌日はソウルの郊外へと出てみようと思い、ソウルから南へ30kmほど行ったところにある水原(スウォン)という町まで行ってみることにする。ホテルにいちばん近い駅から最近開通したばかりの地下鉄6号線に乗り、三角地(サムカクチ)駅で4号線に乗り換える。ソウルの地下鉄は1号線から8号線まであり、1号線から4号線までをソウル地下鉄公社、5号線から8号線まではソウル都市鉄道公社が運営している。2つの公社の路線をまたがって乗っても運賃が高くなるということはなく、ソウルの中心市街を移動するだけなら、ほとんどが最低運賃の600ウォン(約60円)で済む。フランスの技術を一部導入している関係で、切符の色や大きさがパリの地下鉄にそっくりである。自動改札を入り案内にしたがってホームへと降りていく。駅の雰囲気は日本の地下鉄とあまり変わらなく、電車も車体幅が若干広めなのを除けば、やはり日本の地下鉄と同じような感じである。いちばん違うのは、日本だと道路も地下鉄も左側通行なのが、韓国では道路も地下鉄も右側通行になっていることくらいだろうか(ただし国鉄と直通している地下鉄は左側通行だったようだ。)。また、儒教の影響が強い国ということで年長者を重んじる風が強く、お年寄りに若い人が席を譲る光景は日本よりもよく見かける。しかし、その代わりというか、車内での携帯電話は完全に自由放任である。

 4号線に乗り換えて2つめの二村(イチョン)駅を過ぎると地下から地上に出て、漢江が見えてきた。道路橋の銅雀(トンジャク)大橋の中央を地下鉄が走るようになっている。しかし、漢江は予想外に大きな川である。地図で測ってみると、東京の荒川放水路の幅がいちばん下流部の湾岸道路のあたりで750mくらいあるが、ソウル中心部での漢江の幅はそれよりも広く800mはあるようだ。ちなみに大阪の淀川が幅500m、ロンドンのテムズ川が幅300m、バンコクのチャオプラヤー川が幅200m、隅田川やパリのセーヌ川は幅150m、大阪の大川は幅100mという程度で、広いなと思った上海の黄浦江でさえ幅600mくらいしかない。その広さゆえか、かつて漢江には橋が少なく、数本の道路橋と鉄道の漢江鉄橋しか架かっていなかったらしい。それが1980年ごろから次々に橋が架けられるようになり、現在ではソウル市内の漢江には20本ほどの橋が架かっているようだ。しかし、突貫工事がたたってか、車が通行中の聖水大橋が突然崩れ落ちるという事故も1994年に発生している。

地下鉄1号線に直通する京釜線の電車 漢江を渡ると電車は再び地下にもぐる。乗換駅のたびに客が乗り込んできて、車内はなぜか新聞紙を真剣に読んでいる乗客で混雑してきた。南泰嶺(ナムデリョン)という駅からは韓国国鉄の果川(クヮチョン)線に入るはずなのだが、完全な相互直通でまったく様子が変わることなくそのまま地下を走りつづける。新聞を読んでいた乗客はいっせいに競馬場(キョンマジャン)駅で降りてしまい、車内はがらすきになった。このあたりでソウル特別市から外れたはずだが地上の様子はまったくわからない。衿井(クムジョン)駅の手前でようやく地上に出た。国鉄京釜(キョンプ)線と合流する。衿井駅で反対側のホームに入ってきた京釜線の水原行きに乗り換える。

 京釜線は、ソウルと韓国第二の都市・釜山(プサン)を結ぶ幹線鉄道であり、超特急セマウル号がソウル・釜山間444kmを4時間ちょっとで走っている。また、フランス新幹線TGVの技術による高速鉄道も京釜線に沿って建設中である。ソウル駅と水原駅の間は複々線になっていて、セマウル号などの長距離列車の走る線路と通勤電車の走る線路が別々になっている。東京近郊の東海道線と京浜東北線みたいな感じである。

 電車は安養(アニャン)市、軍浦(クンポ)市といったソウル郊外の都市を走っている。水田が見えるようになってきた。ソウル外環状高速国道をくぐる。真っ赤なバラの花が線路際を彩っている。韓国ではキリスト教徒が国民の4分の1ほどを占めているため、教会をよく見かける。水田の真っ只中に褐色のゴシック教会が立っている風景は、世界中さがしてもこの国でしか見られないのではないだろうか。
 1時間ほどで終点の水原に到着した。水原市は人口約80万人の大都市で、京畿道の道庁所在地でもある。韓国には日本の県にあたる「道」が9つあるが、「ソウル特別市」と、釜山・大邱(テーグ)・仁川・光州(クヮンジュ)・大田(テジョン)・蔚山(ウルサン)の6つの「広域市」は道に含まれないことになっている。日本で言えば、横浜市や大阪市が神奈川県や大阪府から独立しているような感じである。道の下には「市」と「郡」、特別市や広域市の下には「区」があり、これは日本の地方自治制度と似ているが、市と郡と区が基礎地方自治団体となっているのが日本と異なる(日本では郡や政令指定都市の行政区は自治体ではない。)。また、韓国ではいま日本同様に地方自治体の合併が進められており、各地で市同士、または市と郡の合併が行われているようである。

華虹門 水原にはユネスコの世界文化遺産に指定された「華城(ファソン)」があり、駅前では我々と同様の観光客とおぼしき人々も見かける。華城は1796年に朝鮮王朝第22代の国王である正祖が造らせた城郭であり、正祖は漢城(現在のソウル)からこの華城に都を遷すつもりであったのだが、結局遷都は実現せず立派な城郭だけが後の世に残された。ソウルにも南大門や東大門などの城門があり、また一部には城壁も残っているが、多くの城門や城壁は撤去されて今はない。華城の城郭も朝鮮戦争のときに大半が破壊されてしまっているが、しかし設計図が残っていたため往時の姿そのままに復元され、今に朝鮮王朝時代の都の姿を伝えているのである。

 華城は一周すると5.5kmほどあるため東半分だけ歩くことにして、タクシーで駅からいちばん遠い場所にあたる華虹門(ファフォンムン)に向かった。華虹門は門といっても人が入るための門ではなく、川を城内に引き入れるための門である。水の少ない川の上に7つのアーチを開けた石積みがあり、その上に楼閣を乗せた独特の造りになっている。しかし川の上に石を積んで建物を建てるというのは構造上おもしろくはあっても、洪水になったときには被害を大きくするだけのような気がするし、そもそも町の真ん中に川を通すこと自体が都市防衛上あまり好ましくないようにも思う。

訪花随柳亭 遠足の小学生らしき子供たちがたくさんいて華虹門上の楼閣で休憩している。華虹門のすぐ外には訪花随柳亭(パンファスリョンジョン)という庭園があって、華城を背景に柳の植わった池があるのが異国情緒をかもし出している。小学生に少し後れるようにして城壁沿いを歩いていく。現代の水原は城壁の内外ともなんの変哲もない町並みが広がっているが、城壁は町よりもやや高いところに築かれているため、城壁が町を取り囲んでいる様子がよくわかる。万里の長城に似た感じだが、万里の長城は両側が切り立った城壁になっているのに対して、華城の城壁は町の外側だけが垂直の城壁になっており、内側は町に向かってなだらかに下っている。城壁のところどころにそれぞれ用途の違う見張り台があり、そのうち、内部が空洞になった東北空心ドン(トンブクコンシムドン。「ドン」は土へんに「敦」)やのろしで敵の動きを知らせた烽ドン(ポンドン)などを見ていく。韓国では北からの中国などの侵入と南からの日本の侵入が繰り返されたため、のろしでの通信が発達し、ソウルにもいまソウル・タワーの建っている南山に烽燧があった。烽ドンにはのろしを上げる煙突のような突起が5つついていて、「平時は一炬、賊の形が現れれば二炬、国境に接近すれば三炬、国境を犯せば四炬、接戦すれば五炬」、つまり平常時はいつも1つのろしを上げ、敵が来たときにはその接近状況により2つから5つののろしを上げて知らせることになっていた。今は平時ということでいちばん左側の煙突からだけうっすらと煙が上がっている。

烽ドン 今日は雲一つない好天に恵まれて日差しも真夏のように強く降り注いでいる。見張り台のひとつでちょっと休憩する。姉妹らしい数人の女の子が腰掛けておしゃべりしている。あと少しで駅にいちばん近い八達門(パルタルムン)に着くので、その後の予定はどうしようか、というようなことを父と相談していると、突然「コンニチハ」と声をかけられた。おしゃべりをしていた女の子のうちいちばん年上らしい女の子が話しかけてきたのだった。とはいえ、彼女も「コンニチハ」以外の日本語は知らないらしく、僕も簡単な挨拶と数字くらいしか韓国語がわからないし、あとはなんとかハングルの読み書きが少しできる程度。あわてて「地球の歩き方」の後ろについている「旅の韓国語会話」のページを繰ってみても「おすすめ料理は何ですか?」「税金とサービス料は含まれていますか?」「トイレが詰まりました。」などの文例が載っているだけで、こんなときに使えそうなものはまるでない。なんとか「お名前は?」という文があるのを見つけて、韓国語で「イルミ モエヨ?」と尋ねてみる。最初に話しかけてきた子が「ウンヒョ。」と答えてくれた。発音だけではどうも心もとないので、持っていたレポート用紙にハングルで書いてもらう。大きい順に「チェ・ウンヒョ」ちゃん、「チェ・ウンキョン」ちゃん、「チェ・ウンチェ」ちゃんでこの3人は姉妹らしい。それともうひとりが「キム・チンウ」ちゃんで、この子は「friend」だとウンヒョちゃんが言っていた。「チェ」は漢字で書くと「崔」、「キム」は「金」であろう。「ウン」は「銀」ではないかと思う。そのほかの字はどう書くのかよくわからない。韓国では漢字教育はほとんどなされていないようなので、漢字で書いて、と頼んでも無理そうな気がする。

筆談中? ウンヒョちゃんは少しだけ英語が分かるらしく、あとはカタコト英語で話したり、ハングルで書いてもらったものを読んでその意味を推測してみた。韓国語には日本語同様に漢字語が多く含まれていて、その発音も似ていることが多いのである。ウンヒョちゃんは「フヮホン チョドゥンハッキョ」と書いたが、これは学校の名前らしい。「フヮホン初等学校」のことのようだ。ウンヒョちゃんとチンウちゃんが6年生、ウンキョンちゃんが4年生。ウンチェちゃんはわからなかったが、学校にはまだ行っていないのかもしれない。「How old?」と尋ねると、ウンヒョちゃんは「13」と書いてくれた。「シプサ?」と韓国語で聞いてみると「シプサム。」と訂正された。間違えた。「シプサ」じゃ「14」になってしまう。13歳だと日本では中学1年生か2年生だと思うが、学年の始まる月が違うのか、それとも就学年齢が1年遅いのか、どちらかだろう。手もとの資料(石坂浩一・舘野晢編著『現代韓国を知るための55章』)によれば韓国の教育制度は日本と同じ6・3・3・4制。義務教育は小学校だけだが、ほぼ100%が高校まで進学し、大学進学率も6割に達しているという。その一方でいじめや学級崩壊などが問題化しているのは日本と変わりのない状況であるようだ。

名前、年、学校、誕生日と「大韓民国」の文字。あと謎のサイン(笑)。 こんな程度の会話とも筆談ともつかないやりとり、時間にしてほんの30分くらいだったと思うが、ほんのわずかでも日韓親善に貢献したような気がして嬉しくなった。日本が好きか嫌いかという問いに対して、韓国人の答えは「好き」が10%、「嫌い」が43%。しかし、世代が若くなるに従って「嫌い」は減り、20代では29%(前記資料より)。最近では金大中(キム・デジュン)政権になって映画などの日本文化解禁が進んだり、日韓混成のアイドルグループ「Y2K」が韓国でブレイクするなど、若い韓国人が日本を好意的に見る環境が醸成されつつあるのではないかとも思う。日本でも韓国はいちばん手軽な海外旅行先となっているし、また韓国映画「シュリ」がヒットしたり、焼き肉などの韓国料理が浸透するなどしている。いろいろと解決されない問題はあるにせよ、日韓の相互理解はこれからも確実に進行していくだろうし、またそうでなくてはならない。

 父はデジカメで撮った写真を送りたいと「address(住所)」を尋ねてみたが、それは通じなかったようで、ウンヒョちゃんは「signature(サイン)」などと言いながら、解読不能の文字をレポート用紙に書いてくれるばかりだった。しょうがないので、僕もお返しに漢字とハングルで自分の名前を書いてあげた。いちばん小さいウンチェちゃんが「アギヒロ?」と尋ねた。あ、また間違えた、と字画を書き足した。「アキヒロ!」。こんどはちゃんと読んでくれた。

 最後にウンヒョちゃんが髪をほどいてプラスチックの飾りつきの輪ゴムを僕に差し出した。えっ? くれるの!? ちょっと驚いていると妹たちも真似をして、みんな髪飾りを外して手渡してくれた。韓国人ってのはわりとプレゼントをしたりするのが好きな国民なのかなあ、とか思いながら、僕もなにかあげられるものを探したが、気のきいたものがなかったので、しょうがなく、いま筆談するのに使った地味なボールペンをあげることにした。僕と父は駅の方へ向かって城壁を歩いていく。ウンヒョちゃんたちは城壁から水原の町へ続く緩い下り坂を下っていく。僕たちはお互いの姿が見えなくなるまで手を振りつづけた。

 
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