YAGOPIN雑録

世界あくせく紀行

昌徳宮

● ソウル編・1


 東京都知事の公約に従って、2001年2月16日より、夜間・早朝のチャーター便に限り羽田空港の国際線旅客便運航が認められることになった。1978年の成田開港以来、羽田空港は「東京国際空港」の名を持ちながら、台湾の中華航空機以外の国際線旅客便が飛ばない国内線専用の空港となっていたから、実に23年ぶりに羽田空港の国際化が実現したことになる。

 それから3ヶ月と少しが経った5月25日金曜日の21時、僕は父親と2人、羽田発のソウル行き大韓航空機を待っている。羽田空港といっても、ここは国内線の発着する「ビッグバード」から、京急バス「空71」系統に乗って5分ほどのところにある国際線専用のターミナル。このターミナルは今まで実質的に中華航空1社の専用だったこともあり、名前のとおり巨大な「ビッグバード」に比べ、必要最小限度の施設しかないこぢんまりとしたターミナルとなっている。あいにく夕食をとってこなかった僕は、唯一ここで入手できた食料である袋入りのあんパンなどをぼそぼそと食べつつ、ついさっき会社を出がけに本屋で買ってきた『地球の歩き方』を今さらのようにめくってみたりしている。父親が旅行会社の誘いに乗って、思いつきのように決めてしまったこの旅行は、日本にいちばん近い外国への旅であるせいか、それとも羽田からの出発であるせいか、なんとなく海外旅行という緊張感を欠いたままにスタートすることとなった。

 我々父子を乗せた大韓航空KE9702便は23時に羽田を飛び立った。乗客はすべて旅行会社が募集した日本人ツアー客のようである。我々の参加したツアーは、参加者15人、3泊4日(といいながら実質は土曜日と日曜日の丸2日間)、日曜日の夜を除き終日フリーというプランだったが、そのほか各種プランのツアーの客を混ぜ合わせて1機に乗せたということらしい。ハングル文字の機内表示、どことなくぞんざいなスチュワーデスのサービス、モニターに映る地図上の「トクド(独島、日本でいう竹島)」「トンヘ(東海、日本でいう日本海)」といった表示から、ようやく外国の飛行機に乗っているという実感を得る。日付けが変わるころにかなり本格的な和風弁当が機内食としてふるまわれ、わざわざ空港であんパンなど食べるのではなかったと少し後悔する。

 ソウル・仁川(インチョン)国際空港に到着したのは、午前1時25分のことだった。仁川空港は、港町・仁川の沖合に浮かぶ永宗島(ヨンジョンド)に造られた空港で、今年3月29日にオープンしたばかりのソウルの新しい国際空港である。現在は4000m級滑走路2本での供用だが、2020年ごろには、5本の滑走路を備えた東アジア最大のハブ空港になる予定という。午前1時過ぎだけに真新しい巨大ターミナルはがらんとしていて、「ハンビット銀行」と「ミニ・ストップ」だけがシャッターを開けている。空港からソウル市内までは50kmほどあり、片側3~4車線の仁川国際空港高速道路がソウルと仁川空港とをまっすぐに結んでいる。真夜中ということもあって、旅行会社のバスはソウル市内のホテルに約1時間ほどで到着した。

 今年から国際化が始まった羽田空港から、今年開港した仁川空港へ。なんとなく将来形の見えない東京の国際空港の整備と、着実に進歩していくように見えるソウルの新国際空港を見比べて、なにか危機感のようなものを感じたというのも事実だが、しかし仁川空港も、従来の金浦空港に比べるとかなり遠くなってしまったことと、現時点では空港につながっているのが高速道路1本しかない(2005年には鉄道アクセスも整備される予定)ことから、アクセス面での不安がないとはいえないように思う。成田空港や、いま検討されている首都圏第三空港も含め、これらの空港のあり方は、21世紀の東京・ソウル2大都市の国際競争にどのような影響を与えていくのだろうか。

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