日光街道の第2回をアップしました。浅草から越谷宿までです。
ふらっと行くには遠いって、もっと遠いところへあちこちふらっと行っているみたいじゃないですか?(笑)
日永だったらいっそのこと伊勢街道に入ってしまうってのはどうです?
東海道は,昨年5月に日永の追分まできたところで停滞してます.東京からふらっと行くには,流石に三重は遠いですから.
そんなわけで,健康のため歩きやすい,ふらっといけそうな街道とということで,日光街道にしてみました.まさか同時期だとは思いませんでしたが(笑).
〒長さん、お久しぶりです。東海道は歩き終わりましたか? また同時期に同じ街道を歩いてしまうとはびっくりです。ちなみに私は5月28日に越谷駅まで歩きましたので、今のところ1駅分私がリードしてますね(笑)。
お久しぶりです.
な,なに?,日光街道ですか?
5月の連休(5日だったかな?)と21日に歩いて,只今南越谷なんです,私(^^;;)
先週から日光街道を歩き始め、浅草の三社祭も少し見てきました。旅行記はこちらです。
せっかくのゴールデンウィークなので、3日から6日まで九州の友人を訪問していました。今回見て回ったのは、福岡及び熊本県内の以下の場所です (福岡市内●、 熊本市内●、 天草方面●、 阿蘇方面●で色分けしています。)。5日の夜から雨になりましたが、概ね天気もよく、海・山・町、自然・歴史・温泉・ご馳走といろいろ満遍なく楽しめた旅でした。
●阿蘇山を望む。(5日)
4日は海の方に向かったので、5日は山の方へ。阿蘇の外輪山にある兜岩の展望台からは阿蘇カルデラが一望できます。右に阿蘇火山の中心をなす高岳、左手には九重連山が見えています。
「京都一周ぐるり旅」の最終回を掲載しました。これで書きかけのシリーズものはいちおう完結。しばらく仕事が忙しくなるはずなので、次のシリーズは夏休み以降になりそうです。
JR宝塚線で起きた脱線事故、出張や遊びにいくとき何度か乗ったことがある路線だし、昨年までの私の通勤路線だったJR京都線と直通していたので、あの型の電車にもよく乗っていた。大阪の電車は速くて通勤も便利だと思っていたのだが、まさかこんなことになるとは…。下に書いたとおり、事故前日、私は転勤以来9ヶ月ぶりに大阪を訪れており、しかも、事故現場のほんの100mほど北にある名神高速を通っているのでなおさら驚いた。事故に遭われた方々やご遺族はもちろんお気の毒だが、自分の会社の起こしたこととは言え、各方面からのバッシングに遭っているであろうJRの社員もそれなりに気の毒である。新聞でも依然として一面トップ記事が続いているし、当分の間は針のムシロ状態だろう。うちの会社がああいった社会的制裁を受けるような事態になったら嫌だなあ、と思ってしまうのは、やはりサラリーマン的発想なのだろうか。
しかし、何しろ大きな事故なので報道が続くのは当然といえば当然なのだろうが、どうも今日あたりは、新しいネタがないのに無理やり記事を書いているような感じがする。壊れた電車や運び出される被害者の写真はもう十分だし、被害者のプライベートに立ち入ったような記事なんかもいかがなものか。さきほど朝日新聞の夕刊を見て、呆れてしまったのは以下の記事。
27日午前10時15分ごろ、京都市下京区のJR京都駅で、野洲発姫路行き新快速電車(8両編成、乗客約450人)が停止位置を約10メートル行き過ぎて停車した。運転士は電車をバックさせ、客を乗降させた。電車に遅れはなかったが、車掌が乗客におわびの車内放送をした。
電車のオーバーランなんて、おそらく毎日どこかで起こっていると思うが、なんでこんなできごとが記事になるんだか。
この週末は、家族で大阪に出かけていました。所用があったのですが、そのついでに土曜日は万博記念公園、日曜日は神戸の布引の方まで行ってきました。
どちらも大阪に住んでいたころに一度訪れていて、万博記念公園は1年ぶり(前回)、布引は1年半ぶり(前回)でした。ただ、今回は大阪万博の政府出典施設だった日本庭園に初めて入り、布引も前回行った布引の滝の上にあるハーブ園の方まで行ってきました。日本庭園は、八重桜や藤や久留米ツツジの花盛り。ハーブ園はそれほど花は見られませんでしたが、天気がよかったので、布引の滝まで、ちょっとしたハイキングが楽しめました。
![]() 万博記念公園(日本 庭園)の八重桜 |
![]() 万博記念公園(日本 庭園)の久留米ツツジ |
![]() 布引ハーブ園 |
昨日今日と花見日和です。多摩川のあたりまでぶらっと花見に出かけてきました。
![]() 満開の桜の大木 |
![]() 多摩川河川敷の桜 |
![]() 歌で有名になった桜坂は 大混雑していた。 |
![]() 丸子川を花びらが流れる。 もう来週には散っていそうだ。 |
1日の金曜日は名古屋に行っていました。日帰りのつもりでしたが、名古屋の同期と飲んでいるうちに帰りの新幹線がなくなってしまい、そのまま同期の寮に泊まりました。
翌日は土曜日だし、どうせならゆっくり帰ろうと、喫茶店でモーニングを食べてから、名鉄電車と東海道線を乗り継いで、静岡県の菊川市へ。東海道線の沿線は、東海道を歩いたときに主な見どころは見尽くしてしまっているので、なるべく東海道から離れた地域がいいと思い、バスに乗って、静岡県最南端の御前崎まで行きます。御前崎は、遠州灘と駿河湾の境目にあたる場所。灯台に登ると、御前崎付近は、海底の平らな土地が隆起した海食台と呼ばれる地形になっているのがよく分かります。
さらにバスを乗り継いで、駿河湾沿いに北上します。相良町には、江戸時代、相良藩が置かれ、本多家などの居所となった陣屋がありました。1758(宝暦8)年には、9代・10代将軍の側近から大名にとりたてられた田沼意次が藩主になり、1万石から1万5千石、2万石へと加増されると、相良城が築城されることとなります。意次はその後も側用人から老中へ、3万石から5万7千石へと出世を続け、権勢をふるいましたが、息子の田沼意知が江戸城内で旗本・佐野政言に刺殺される事件、10代将軍徳川家治の死去などに伴い失脚し、領地没収の上、相良城は破却の憂き目に逢うこととなります。
意次死後、次男の意正が1万石の大名として相良に戻ってきますが、相良城は再建されず、その造作がどうだったかもよくは分かっていないようです。「平成17年10月11日誕生・牧之原市」と横断幕のかかる相良町役場の隣に、お城風の建物になった相良町資料館があり、その前に「相良城阯」の碑が建っています。資料館の内部には意次が書いた八幡宮の社旗や意次・意知父子の書画、博多織や鰤を贈ったという大名からの書状(これって、付け届けなんでしょうか。)、祭りに使う菱垣廻船や樽廻船の模型、などが展示されており、入り口には映画『ウォーターボーイズ』のポスターなどが貼ってあります。なんでも相良町はこの映画のロケ地になっており、高校やプールのシーンは、役場裏手の相良中学校で撮影されたのだそうです。
![]() 御前崎灯台からの風景 |
![]() 相良城阯の碑 後方は相良中学校 |
再びバスと列車を乗り継いで、今度は温泉と漁港のある焼津市へ。温泉に入ってから、漁港前の寿司屋に入り、マグロ・カツオや駿河湾名産のサクラエビ・生シラスなどがてんこ盛りになった地魚定食に舌鼓を打って、満足のうちに新幹線に乗り込みました。
(牧之原市…相良町・榛原町の合併により設置予定)
ゆきんこさん、こんにちは。
さきほどアップしたばかりの今月の写真について、早速のコメントありがとうございます。4月の写真はどうしても早咲きの桜か、去年の桜かどっちかになってしまいますね(今回の写真は、後者です。)。
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4月になりましたね。今月の写真もリニューアル。すごいすてきな写真ですね。