YAGOPIN雑録

日々のできごと・思うこと

若草山の山焼き

● 2004年4月~6月


ゆきんこ - 04/06/29 00:49:11

コメント:
YAGOPINさん、こんばんわ。先日高山で、ひたすら名物を食べ歩いてきました。これでもか、というぐらい。(たとえ「名物にうまいものなし」と言われようと「名物」の看板を見ると吸い寄せられる・・・)(笑) 山口県のアドバイスありがとうございます。実はその直前に、山口へ一緒に行く予定の友人からメールがありました。「(今回は)ふたりで楽してバスツアー」を計画したのですが、山陽方面はシーズンオフらしく最小催行人数に達するかどうかが微妙といわれました(なんと私たち二人のみ)(@ @;)。逆に現地はすいていていいのかな?ということで、フリープランになりそうです。こうなったら、ゆっくり・じっくり・たっぷり・満喫したいと思います。


YAGOPIN - 04/06/26 18:00:53

コメント:

 けろりんさん、こんにちは。

 通常、郡上八幡城は「山城」、彦根城は「平山城」に分類されてるようなので、おそらく彦根城よりも高いところにあると思いますよ。眺めはなかなかよさそうです。私もまた行きたくなりました。

 なおさん、こんにちは。

 写真、もう少し画質のよいものを載せたいんですけどねぇ。容量が足りなくて…。


けろりん - 04/06/21 22:08:38

コメント:
ヤゴピンさんありがとうございます。参考になります。郡上八幡城って上の方にあるのか・・・。彦根城みたいな感じなのかなあ。それから郡上おどりがあるんですねー。聞いといてよかったです。実は騒がしいのは苦手なので、祭りは極力避けたいのです。


なお - 04/06/21 00:14:06

コメント:
どうもです。某氏の妹です(笑) 久しぶりにやごぴんさんのサイト来たんですけど改めてすごいですね。旅行雑誌読んでるみたいです。写真きれいだし。なにげに横浜の結婚式写メ感動したんですよ。 また、たまに覗きにきますね♪


YAGOPIN - 04/06/20 17:40:38

コメント:

 けろりんさん、こんにちは。

 私が郡上八幡に行ったときはあまり時間がなくて、ゆっくり見られなかったのですが、そのとき入手したパンフレットを見ると、郡上八幡城と郡上八幡博覧館、そして名水百選に選ばれた「宗祇水」が定番の見どころのようです。郡上八幡城は山の上の方にあるので、少し大変かもしれません(私は時間がなくて諦めました。)。あと、旧役場の建物が残っていて、そこでもなんかしら展示がしてあったように思います。夜まで滞在されるのであれば、7月からは郡上おどりも見られますね。

 ゆきんこさん、こんにちは。

 私が豊田に住んでいたのは5年以上前のこと。当時は豊田大橋やサッカースタジアムはまだ建設中で、駅前は「そごう」と「SATY」でした(笑)。もうずいぶん前のことですが、実は今でもたまに豊田を訪問することがあり(直近では昨年末に立ち寄りました。)、この7月からは東京勤務時代にお世話になった先輩が豊田に転勤になったので、また訪れる機会があるかもしれないなと思っています。

 ところで、旅行記の方はいかがでしたでしょうか。そんなに大したものではありませんので、あんまり無理をしないでくださいね(笑)。


ゆきんこ - 04/06/19 23:13:42

コメント:
はじめまして、生まれも育ちも豊田市民です。(プロフィールに豊田にいたことがあるようなので、思わず宣言)。旅行記でいろいろなところを検索して渡り歩いていたらたどりつきました。旅行記、すごいなぁ、とただ感心するばかり。羨ましい。いいなぁいいなぁ(←指をくわえる)。写真キレイですね。私のつぼにはまりそうなところがいっぱいあったので、これを書き込んだ後、またじっくり読ませていただきます♪今夜は徹夜だー(笑)そして、まだ見ぬ土地に思いをはせようかなぁと。


けろりん - 04/06/19 12:09:19

コメント:
ヤゴピンさん、こんにちわー。旅行する際には必ずヤゴピンさんの見聞を参考にしてます。今度、岐阜のあたりをうろうろして、郡上八幡にも行ってみたいと思ってます。資料館や博物館など、その他の施設でヤゴピンさんお勧めは何かありますか?マイナーなものでも構いませんので、何か知ってたら、教えてください。


YAGOPIN - 04/06/14 01:46:02

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 このところ仕事が切羽詰っているので、日曜日(6月13日)、気晴らしに前々から行きたいと思っていた山口県岩国市まで行ってきた。

 岩国の名物は言わずと知れた錦帯橋。城下町と城とを結ぼうと錦川に橋を架けても洪水で流されてしまうため、川の中に紡錘型の土台を4つ築き、それらの土台と両岸を5連の木造アーチ橋で結ぶ独特な構造になった(正確に言うと中央の3橋は特殊なアーチ橋だが、両側の橋は通常の太鼓橋。)。この橋は1673(延宝元)年の創架以来、276年間、流されずにいたが、1950(昭和25)年の台風でついに流出。現在の橋は1953(昭和28)年に再建され、2001(平成13)年から今年にかけて土台以外全面的に架け替えが行われた真新しいものである。なお、戦後になってから簡単に橋が流されてしまった原因は、戦争中に松根油採取のため、山林が荒廃したことと、米軍岩国飛行場建設のため、錦川の砂利を大量に採取したことが、洪水をひどくさせたためではないかと考えられている。

 梅雨の中休みで天気がよく、しかも日差しが強い割りに比較的涼しいので気持ちが良い。錦帯橋の下を流れる錦川では小魚が群れをなして泳いでいるのが見える。岩国城の堀跡に作られた菖蒲田では一面に植えられた花菖蒲が今を盛りに咲き誇っており、種類ごとに白・桃色・薄紫・濃紺ときれいなグラデーションを形作っている。

錦帯橋
錦帯橋
花菖蒲。山の上に小さく天守閣が見える。
花菖蒲。山の上に小さく
天守閣が見える。

 ロープウェイで山の上に上がるとそこには岩国城天守閣がそびえる。岩国城は元和の一国一条令で山城部分が破却されたため、江戸時代には正式な城とは認められておらず、天守閣は1962(昭和37)年になって再建されたものである。それどころか「城主」の吉川氏は6万石の石高がありながら、関ヶ原の戦いで本家の毛利家を裏切る形となってしまったため、毛利氏が幕府に大名として推挙せず、正式な大名とさえ認められていなかった。しかし、そんな事情はともかく、この岩国城天守閣からの眺めはなかなか素晴らしい。近くは錦帯橋や岩国の城下町、遠くは米軍岩国飛行場や瀬戸内海の島々が見渡せ、さらには四国の石鎚山らしきまでうっすらと見えている。

岩国城天守閣
岩国城天守閣
岩国城天守閣より
岩国城天守閣より

 山を降りて、岩国のもうひとつの名物であるシロヘビを見に行く。目が赤く体の白いシロヘビはアオダイショウの変種で、特に岩国のシロヘビは天然記念物にまで指定されている。性質はとてもおとなしく、観覧施設のシロヘビも時折、舌をちろちろと出すだけでじっとしており、見物客の中には、これほんとに生きているのか、などと言い出す人もいる始末だった。古い武家屋敷や重厚な建物が印象的な岩国徴古館、岩国出身の佐々木小次郎の銅像などを眺めつつ、河原の方に向かうと、そこでは、いにしえの鉄砲隊の格好をしたおじさんたちがどかんどかんと空砲を撃っていて、それを見ていた子供が怖がってわんわん泣いていた(耳ふさごうよ。。。)。錦帯橋を再び渡って旧城下町に赴き、郷土料理の「岩国寿司」を食べる。ちらし寿司を押し寿司にしたような感じで彩りがとても鮮やかである。

鉄砲隊
鉄砲隊
岩国寿司(右下)
岩国寿司(右下)

 行きは岩国駅から市営バスで来たのだが、時間があるので、帰りは最寄りの西岩国駅まで歩いていくことにした。途中の小学校に塔のついた妙な建物が建っているのでのぞいてみると「岩国学校教育資料館」という看板がかかっている。この建物は1870(明治3)年建築の「岩国学校」の建物で、完全な和風建築なのだが、1872(明治5)年に文明開化の象徴として塔をくっつけたのだそうである。内部は膨大な教科書のコレクションや、よくある農機具などの展示など。1階の半分は岩国出身の藤岡市助博士の紹介に割かれている。ぜんぜん知らなかったが、この博士は「電気界の父」「日本のエジソン」と言われ、白熱電灯や電車などを日本に普及させるために尽力し、浅草凌雲閣に日本初のエレベーターを設置した人なのだという。ちなみに市助のほか岩国出身の有名人には、作家の宇野千代や、「課長・島耕作」の作者として知られる漫画家の弘兼憲史氏などがいて、岩国市営バスでは3人にちなみ、「いちすけ号」「おはんバス」「島耕作バス」を走らせている。

 そのまま歩いていくと、岩国刑務所がある。ここは女子刑務所らしく、そのせいかどうか、白い瀟洒な感じの建物である。その刑務所のすぐ前が西岩国駅である。今は岩徳線というローカル線の駅だが、1929(昭和4)年にこの駅ができたときは岩国の正面玄関として建設されたため、とても立派な駅舎である。アーチが多用されているのは錦帯橋のイメージという。山陽本線の岩国駅はここから岩徳線で1駅。旧城下町からは少し離れているが、今は向こうの方が岩国市の中心になってしまっているようだ。

 というわけで岩国の町はのんびり眺めて3時間ほど。広島・宮島あたりとひとくくりにして1~2泊くらいの旅行プランを立てると面白いのではないだろうか。

岩国学校教育資料館
岩国学校教育資料館
岩徳線西岩国駅
岩徳線西岩国駅

YAGOPIN - 04/06/06 21:51:54

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 奈良の唐招提寺は、2000(平成12)年から2009(平成21)年まで金堂の解体修理が行われている。だからしばらくは行ってもしかたがないなと思っていたのだが、鑑真和上の命日である今日・6月6日(正確には旧暦5月6日)は、普段、非公開となっている国宝・鑑真和上像が開扉されるということで、急遽行ってきた(毎年は6月6日の前後1日公開。今年は6月13日まで公開の予定)。

 前に修学旅行で訪れた金堂は既に跡形もなく、解体作業棟の中に礎石だけが残っていた。金堂は元禄年間と明治時代にも解体されており、創建時とは屋根などの構造がだいぶ変わっているようだ。金堂内にあった盧舎那仏と千手観音は仏像修理所に移されて特別公開されている(薬師如来は奈良国立博物館に保管中)。体育館のような建物の中、盧舎那仏は台座から下ろされ、千手観音はたくさんある手の大多数を外されて、なんだかかわいそうなお姿だったが、普段では考えられないほど間近に眺めることができた。金堂の裏にある講堂は実は平城宮東朝集院の建物を移築したもので、なんと現存する唯一の平城宮の建物だそうである。「唐招提寺」の額は孝謙女帝の晨筆という。お目当ての鑑真和上像は御影堂の中にあり、唐から海を渡って日本にやってきた鑑真の事績に基づき、東山魁夷画伯が青い波を描いた襖絵「濤聲」に囲まれて鎮座している。この像は鑑真存命中に造られたと言われる写実的な像で、生前の鑑真和上の雰囲気をそのまま現代に伝えているかのようである。

 今回は唐招提寺だけ見て帰るつもりだったのだが、京都に向かう途中、城南宮に寄る気になって竹田駅で降りる。城南宮は神功皇后の軍旗を埋めたといわれる古社で、平安京遷都後は都の南を守護する神社とされてきた。平安末期にはこの一帯に鳥羽離宮が造営され、院政の中心地となったが、現在では近くを油小路通や名神高速などの幹線道路が通り、京セラ本社ビルも建っていて、白河法皇・鳥羽法皇・近衛天皇の陵墓がわずかに当時の面影を残すばかりである。春に曲水の宴が開かれることで知られる城南宮の庭園は源氏物語に出てくる植物を植えて美しく整備されているが、道路の騒音や周辺の建物が邪魔になるのが残念なところ。鳥羽伏見の戦いのときには城南宮に官軍の陣が敷かれ、近くの小枝橋が戦乱の勃発地となった。今は多少場所が変わっているその小枝橋まで来たところで雨が降り出したのでバス停へと向かった。

唐招提寺金堂「跡」
唐招提寺金堂「跡」
唐招提寺講堂
唐招提寺講堂
唐招提寺御影堂
唐招提寺御影堂
近衛天皇陵。多宝塔は豊臣秀頼の再建
近衛天皇陵。
多宝塔は豊臣秀頼の再建
城南宮「平安の庭」
城南宮「平安の庭」
小枝橋
小枝橋

YAGOPIN - 04/05/30 13:07:14

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 万博公園に行ってきた。公園の前までは何度か行ったことがあるが、いつも閉園日や閉園時間で、中に入ったのは今回が初めてである。1970(昭和45)年の日本万国博覧会の会場跡地に造られた広大な公園で、中央口ゲートの正面には岡本太郎の巨大な作品『太陽の塔』がそびえる。

 どのくらい巨大かと言えば、高さは70m、20階建てくらいの高層ビルに相当する。同じ大阪名物と比べると通天閣は108m、大阪城天守閣は54.8mなので、通天閣よりは小さいけれども大阪城よりは大きい。ちなみにどうでもいいが、ウルトラマンは身長40m、ゴジラ(初代)は50mである。てっぺんについている金色の太陽が「未来の太陽」、真ん中についている太陽が「現在の太陽」を現している。実は裏面にも黒い太陽が描かれていて、これは「過去の太陽」を現しているのだそうな。万博期間中、『太陽の塔』の上には大屋根(高さ30m)がかけられることになっていたが、『太陽の塔』があまりにも大きくなってしまったため、結局、大屋根を突き抜ける形でこの像が立てられた。大屋根は老朽化により解体されてしまったが、「お祭り広場」の片隅に一部分が保存されている。

 今回、万博公園に来た目的は公園内にある国立民族学博物館(みんぱく)の見学である。みんぱくは世界の諸民族の生活について展示された博物館で今年(2004年)の4月からは、大学共同利用機関法人 人間文化研究機構という長い名前の団体が管理している。同じ団体が管理している千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館(歴博)同様、展示物はかなりのボリュームがある。ミクロネシアの海図やカヌー、モアイ像の模型、ペルーの衣装、インドのオートリキシャやフィリピンのジープニーのような乗り物の実物、北京の四合院や奈良の大和棟などの民家の模型、韓国で村の入口などに立てられるチャンスン(「天下大将軍」「地下大将軍」などと書かれた標識)・ソッテ、カザフやモンゴルの天幕などなど、世界の諸民族といいながら、展示物はオセアニアとアジアが圧倒的に多く、ヨーロッパ・アメリカ・アフリカはだいぶ少ないし、各国・各民族の風俗をここに展示された文物で代表させてしまうのもちょっと無理があるようにも思ったが、実物展示が多く、いろいろ面白いものや意外なものが展示されていて、なかなか良かった。10時に入場して、腹が減ったので外に出たら時計は14時を回っていたから、入場料420円でなんと4時間も見学してしまった。

太陽の塔正面
太陽の塔正面
太陽の塔裏面
太陽の塔裏面
国立民族学博物館
国立民族学博物館

YAGOPIN - 04/05/23 21:46:53

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 仕事に関係する法案の審議が行われているため、先週、参議院の某委員会を傍聴する機会に恵まれた。

 携帯電話や印刷物は持ち込みできないのでロッカーに預け、金属探知機をくぐって中に入る。テレビによく出る第1委員会室に比べるとかなり地味な部屋で、永年在職者の大きな肖像画がずらっと並んでいるのが目立つ。見たことのある顔は大臣だけで出席委員は 10人もいないくらい。扉は開け放しで傍聴人、参考人、速記者、秘書、さらに委員本人まで頻繁に出入りがあり、あまり緊張感がない。審議自体も、各党が言いたいことを言い、答弁者は都合のいいことだけを答え、大臣は当事者と思えない感想のような発言のみで、淡々と進んでいった。

 半ば政治的な決着のついた案件であとは手続だけの問題なのだろうが、それでももうちょっとなんとかならんもんかなぁと思った。

傍聴券
傍聴券

YAGOPIN - 04/05/17 01:32:02

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 ゴールデンウィーク中にテレビで映画『梟の城』をやっていた。司馬遼太郎原作、秀吉暗殺を目論む忍者を中井貴一が演じている。ほとんど関西周辺でロケが行われたらしく、聚楽第に二条城があてられたり、彦根城、姫路城や相国寺、知恩院などがそれぞれ別の場所として用いられたりしているが、こうして見ると、やっぱり関西にはそのまま時代劇のセットとして使えるような絵になる場所が多いなあと感心してしまう。

 その中で、おっと思ったのが、堺の豪商・今井宗久の屋敷の場面。ロケ地として使われていたのは、以前にこのサイトでも触れた(こちら)奈良県大和郡山市の慈光院である。上に挙げた城や寺に比べれば知名度はずっと低く、大きな建築などもないが、片桐且元の居城・茨木城から移築された楼門(ほぼ下の写真のようなアングルで登場)など重要文化財の建物や名勝の庭園が、なかなかいい雰囲気を出しているように思う。実際には、宗久暗殺の場面など、画面の外には何の変哲もない市街地が広がっているのだけど。

 そのほか、京都の五条大橋は山口県岩国市の錦帯橋が使われているという。漢城(ソウル)とおぼしき場面は、沖縄の首里城を使っているようだ。ソウルの王宮が使えればもっとリアルなのだろうが、やはり許可が下りないものなのだろうか。

慈光院(旧茨木城楼門)
慈光院(旧茨木城楼門)

YAGOPIN - 04/05/16 23:49:59

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 みいさん、こんばんは。私も、イチハツがどんな花か、インターネットで調べて初めて知りました。御推察のとおりアヤメの一種です。もともとこの場所には水があって、カキツバタが植わっていたのだそうですが、水が枯れてしまったので、乾いたところでも育つイチハツを植えたのだそうです。

 さて、先々週の土曜日(8日)に同僚に誘われて甲子園に行ってきました(阪神対中日)。牽制球で刺されたり、ホームでアウトになったりと(阪神が)チャンスをつぶしてばかりの試合でしたが、9回に金本のサヨナラホームランであっけなく試合終了。今回は外野席だったので、昨年、内野で見たときよりも大盛り上がりでした。

 先週はどうも寝不足気味の上、和歌山やら神戸やら出張が続いたり、昨日も休日出勤だったりして、このコーナーへの書き込みもなかなかできませんでした。今月中はいろいろやることが多く、東京へも行かなくてはならないので、しばらくこんな状態が続きそうです。やれやれ。

今月の写真(上御霊神社のイチハツ)
今月の写真
(上御霊神社のイチハツ)
甲子園球場にて
甲子園球場にて

みい - 04/05/10 02:22:50

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こんばんわ。遊びに来てくださってありがとうございます。

報告遅くなりましたがおかげさまで、無事に帰ってこれました。
ツアーだったので紫禁城も万里の長城も心行くまで堪能出来なかったのが
心残りですが、歴史と遺産の素晴らしさに感動しました。

表紙のお花、色鮮やかできれいですね、アヤメの仲間なのカナ?はずかしながら初めて名前を聞きました。


YAGOPIN - 04/05/06 00:16:44

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 4日・5日で広島県→島根県→鳥取県あたりを回っていました。広島県の山間部で食されているというサメの刺身(地元ではサメのことを「ワニ」という。サメの肉はアンモニアを多く含み、腐りにくいらしい。)を使った丼を食べたり、十何年かぶりに鳥取砂丘に行ったりしましたが、最大の目的地は国宝の三徳山三仏寺投入堂を見ることでした。

 鳥取県三朝町にある三徳山三仏寺は706(慶雲3)年に役行者が修験道の行場として開いたといわれ、断崖の中にはめ込まれるように建っている投入堂は、そのときに役行者が法力で投げ入れたという伝説があります。建っている場所が場所だけに投入堂までの道のりは、木の根に足をかけたり、お堂に結ばれた鎖をたぐったりして岩場を上っていかねばならず、標高差は200mほどですが、相当の体力を要します。もともとが「修行の場」で、全山が国の名勝・史跡ということもあり、登山道にもほとんど手が入れられていないため、昨年秋には滑落して亡くなった方もいたそうです。しかし投入堂はその奇観や由緒からしても、それだけの苦労をし危険を冒しても見に行くだけの価値があると言え、修験者たちの修行の一端を味わえるのもまた貴重な経験と言えます。

 朝方に登ったので、新緑の深山の中、崖っぷちから神秘的な投入堂を眺めたとき、周囲には私ひとりきりでしたが、帰り道には子供からお年寄りまでたくさんの人が登ってくるのとすれ違いました。登山口で書く登山届を眺めると、昨日(4日)は雨だったので4人ほどしか登っていないようでしたが、一昨日(3日)はゴールデンウィーク中ということもあり、600人以上の人が登ったようです。

 三仏寺の創建、そして投入堂の建設からは間もなく1300年を迎えます。それに合わせて三徳山を世界文化遺産に登録しようという動きがあるそうです。それだけの価値はあるように思いますが、有名になってもっと観光客が増えたとき、どんなことになるのかちょっと心配なところもあります。山を降りてからは麓の三朝温泉で慣れない山登りの疲れを癒しました。

ワニ丼。けっこう淡白な味
ワニ丼。けっこう淡白な味
投入堂。私の肩にかかっているのは「六根清浄」と書かれた輪袈裟
投入堂。私の肩にかかっているのは
「六根清浄」と書かれた輪袈裟
砂丘全景。高くなったところが「馬の背」
砂丘全景。高くなったところが「馬の背」

YAGOPIN - 04/04/29 16:37:57

コメント:

 みいさん、こんにちは。

 せっかくの機会ですから、気をつけて楽しい旅をしてきてください。基本的なことですが、手洗い・うがいをよくしてくださいね。


みい - 04/04/26 19:38:14

コメント:
YAGOPINさん、こんばんわ。

北京旅行だけがこの頃の楽しみだったので
政府から渡航禁止が出ない限りは
マスクをお守り代わりに持って行ってきます。
無事(?)帰国した時には報告にきますねっ。


YAGOPIN - 04/04/25 00:14:16

コメント:

 みいさん、こんばんは。

 鳥インフルエンザより厄介なものが出てきてしまいましたね。旅行は5月1日からの予定と聞いておりますが、どうされるんでしょうか。。。


みい - 04/04/23 21:07:34

コメント:
こんばんわ。桜がとってもキレイ。桜を見るとやっぱり四季がある日本でよかったなぁって思っちゃいますね。 今朝のニュースで 北京で新型肺炎SARSが発生したって見ました。遺産の歴史を勉強?したりして北京旅行に思いをはせてた所だったのでショックです。


YAGOPIN - 04/04/18 22:54:12

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 金曜日は休みをとって新平湯温泉に泊まっていました。途中通りかかった飛騨高山は、桜が満開。翌日は2階建ての新穂高ロープウェイで西穂高岳の中腹まで上がりました。

 そのまま実家に帰り、今日は友人の結婚式で横浜へ。港が一望できる式場で、調度も青系にまとめられていて新鮮な感じでした。

高山・中橋にて
高山・中橋にて
港とウエディングケーキ
港とウエディングケーキ
ロープウェイ終点から見た穂高連峰(山の名前はあんまり自信ありません。)
ロープウェイ終点から見た穂高連峰
(山の名前はあんまり自信ありません。)

YAGOPIN - 04/04/11 02:14:19

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 先週の日曜日(4日)、雨が降って寒かったが花見に出かけた。

 最初の目的地は滋賀県マキノ町にある海津大崎。昭和初期、道路の補修作業員の方が自費で桜の植樹を始め、その後、大崎トンネルの開通記念として村が植えた桜の木が、今では琵琶湖岸に4kmに渡って続く桜並木となっている。ここの桜は関西では遅咲きの方なので、まだ5分咲きといったところ。安土城落城時の血のついた木材が使われた阿弥陀堂のある大崎寺に参拝してから竹生島行きの観光船に乗る。なお、マキノ町というカタカナの町名はマキノ町牧野にあるマキノスキー場の名をとったものである。

 琵琶湖に浮かぶ竹生島は弁財天(市杵島姫命)を祀った信仰の島である。竹生島へは京阪グループの琵琶湖汽船と西武グループのオーミマリンという船会社が、海津大崎のほか、今津、長浜、彦根などから観光船を運航している。七福神の一人として有名な弁財天は仏教の神様(ヒンドゥー教の女神・サラスヴァティーが仏教に取り込まれたもの)でありながら、神仏習合によって神道の女神・市杵島姫命と同一神とみなされている。明治時代の神仏分離政策によって、弁財天と市杵島姫命は切り離され、小さな島の中に弁才天を祀る宝厳寺と市杵島姫命を祀る都久夫須麻神社とが別々に存立しているが、もとが同じであるため、国宝の都久夫須麻神社本殿と、同じく国宝の宝厳寺観音堂(唐門)が重要文化財の船廊下で結ばれている。豊臣秀吉の崇敬が篤かったため、これらの建物はすべて桃山時代のもので、船廊下はなんと秀吉の御座船の廃材で造られているというから驚きである。東京・不忍池の中島にある弁天堂は、不忍池を琵琶湖に、中島を竹生島に見立て、ここの弁財天を勧請してきたもの。

海津大崎
海津大崎
琵琶湖に浮かぶ竹生島。建物は国宝の宝厳島観音堂唐門
琵琶湖に浮かぶ竹生島。
建物は宝厳寺観音堂
唐門(国宝)

 竹生島からまた船に乗り、琵琶湖の対岸にある彦根市へ。「彦根ご城下巡回バス」と書かれた赤いボンネットバスで「夢京橋キャッスルロード」に向かう。ここは、6mの道幅を18mに広げる際に造られたまったく新しい街だが、景観は江戸時代風の街並みを再現したものとなっていて、観光の名所となっている。昼食に鮎の塩焼きとあゆ雑炊を食べてから彦根城を散策する。

 彦根城は彦根藩・井伊家30万石の居城。彦根藩は、酒井忠次・本多忠勝・榊原康政に並ぶ徳川四天王の一人、井伊直政に始まり、桜田門外に斃れた直弼など、江戸時代を通じて5人の大老を輩出した譜代筆頭の藩である。初代の直政は当初、石田三成の居城だった佐和山城に入ったが、息子の代に彦根城を築いて移っている。先ほどの夢京橋キャッスルロードにある宗安寺の赤門は佐和山城の城門を移築したものである。また、城内の建物も廃城になった他の城から移築されたものが多く、国宝の天守閣は大津城から、天秤櫓は長浜城から移されており、西の丸三重櫓は浅井長政の居城・小谷城の天守閣が使われているという。お城の周辺は満開の桜で彩られており、雨もようやくあがって薄日がさしてきた。ようやく本来の目的である花見が堪能でき、満足して彦根駅に向かった。

彦根ご城下巡回バス
彦根ご城下巡回バス
小谷城天守を移築したと言われる彦根城西の丸三重櫓
小谷城天守を移築したと言われる
彦根城西の丸三重櫓
国宝の彦根城天守閣
国宝の彦根城天守閣
天守閣より琵琶湖を見る。
天守閣より琵琶湖を見る。
彦根城のお濠にて
彦根城のお濠にて
玄宮園より天守を見上げる。
玄宮園より天守を見上げる。

YAGOPIN - 04/04/01 01:27:45

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 今月の表紙には、日曜日(3月28日)京都に行ったとき撮った桜の写真を載せてみました。このホームページの表紙の写真は、私のパソコンのデスクトップの背景写真と合わせて取り替えているので、私のパソコンも今、春真っ盛りといった趣きになっています。実際には、かなりごたごたとした風景の中で、1本だけ満開の桜をクローズアップしたものなのですが、家に帰ってパソコンを立ち上げてこの写真が出ると、ちょっとだけ華やいだ気分になれるようです。

円山公園の桜
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