YAGOPIN雑録

日々のできごと・思うこと

若草山の山焼き

● 2004年7月~9月


ゆきんこ - 04/09/28 20:33:37

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奈良市内もライトアップされていましたが、今回、行ったのは飛鳥のほうです。三連休の間だけライトアップされました。石舞台古墳もされました。飛鳥寺や岡寺、川原寺跡、橘寺、板葺宮跡の辺がライトアップされたりろうそくで道を照らしたり、オブジェで飾られたりしていました。ちょっと橿原神宮駅や飛鳥駅から離れているため(さらに飛鳥駅からはその時間にバスがない!)ため、どうやって行っていいかわからず、(パンフレットの見方がよくわかっておらず)飛鳥駅から石舞台まで歩きました(レンタルサイクルには電灯がついていない)。飛鳥駅から川原寺跡までは暗いことといったら。帰りもホテルが飛鳥駅のところだったので、歩いて帰りました。それに、地元の人の協力で道のろうそくをつけているようなので、終了時間にきっちり消されてしまい、小さなペンライト一本でホテルまで戻りました。疑問に思ったら、あらかじめ観光協会に問い合わせるのも必要なのかな、と強く思いました。でも、雰囲気、すてきですよ。昼間には感じられない雰囲気が。それに、夕涼みにはちょうどいいと思います。


YAGOPIN - 04/09/27 02:11:04

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 1週間ほどサンフランシスコの友人宅に逗留していました。多少時差ボケ気味です。

 さて、ゆきんこさん、こんばんは。

 お天気がそんなに崩れなかったようで何よりです。飛鳥寺では私も昔、雨に降られました。現存最古の仏像といわれる飛鳥大仏、しっかり拝んできましたか? ライトアップは奈良が中心だったのでしょうか。石舞台とかもライトアップされたのかな。

 ところで、geocitiesのサービス統合に伴い、この掲示板サービスも従来通りではなくなってしまう模様です。当サイトでは掲示板部分のみ別のサービスに移行することを検討していますが、9月27日の掲示板サービス終了から別の掲示板サービスに移行するまで、予定では1週間程度、このページへの書きこみができなくなります(読むことはできます。)。

 流行りのブログ形式に変えることも考えたことがあるのですが、結局、私は今のこの形式が気に入っているので、今後もなるべく同じ形式でサイトを続けていきたいと考えております。サンフランシスコの旅行記も何らかの形でアップしたいと思っておりますし、読んでくださっている皆様には、引き続きご愛顧をお願いいたします。

 なお、同時にURLも変更になる可能性が高いのですが、従来のURLも並行して使用できるようなので、段階的に移行を行っていく予定です。


ゆきんこ - 04/09/20 18:14:55

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飛鳥、行ってきました!二日間かけて、7年前の夏に行った時には見れなかったものや、新たな発見があったものやNHKで特集されていたものなどをみることができました。そして、自転車・徒歩・自転車の自分の体力だけが頼り。なんとか、こなしました!!筋肉痛にも悩まされることなく、夜もぐっすり。心配されていた天気ですが、飛鳥寺と万葉文化館、帰りの電車では降られましたが、それ以外は大丈夫でした。二日目の朝は大雨、という情報にどうなることかと心配しましたが、あけてみれば、ホテルの中でも暑いぐらい(笑)日射病の方が心配。あっというまに日焼けしました。ライトアップは、ちょっと情報収集不足のため、あまり楽しむことができませんでした。遠くから見た感じではすごくよい雰囲気だったので、もう一度リベンジをしたいと心に誓って、来年もチャレンジ!!(宣言ばかりです。その前に、来年もあるのかな?)したいです。古代米も食べ(おいしかった)、秋の草花も楽しみました。満喫。でも、きっと、NHKなんかで飛鳥の特集が組まれると、また行きたくなって行っちゃうんだろうなと思います。


YAGOPIN - 04/09/17 00:56:50

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 ゆきんこさん、こんばんは。

 私も7年前のちょうど今頃、飛鳥に行ってサイクリングしてきましたが、それほど大変ではなかったですよ。むしろお天気の方が心配ですね。今のところ関西の週末の天気予報は曇り時々雨のようです。少しでもいいお天気になるといいのですが。。。


ゆきんこ - 04/09/15 20:26:47

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すみません。コメントを書く前に送信してしまいました。あらためて、こんばんわ、です。先日、インターネットを見ていたら、今週末に奈良・飛鳥がライトアップされている、という記事を見かけました。急遽計画し、お宿がとれたので、週末は飛鳥をサイクリングです。体力が持つかかなり心配です・・・その前に、天気も心配です。一緒に行く友人と二人で旅行すると、必ずどこかで雨が降る・・・。でも、6,7年ぶりなので楽しみです。


ゆきんこ - 04/09/15 20:21:13

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YAGOPIN - 04/09/13 00:12:24

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 3日ほど、千葉の研修所に缶詰になっておりました。

 さて、けろりんさん、こんばんは。

 わさびソフトは、やっぱりダメでしたか。悲しみを味わって、と言われても、美味しくないと分かっているものを食べるのは勇気が要りますね(笑)。熊野古道は今ブームになっているので、おそらく私が歩いたときに比べれば観光客は激増していると思います。でも山道ですので、それなりの格好をしていってくださいね。

 なおさん、こんばんは。

 ダンディさんのスーツは今のところ私にぴったりなはずですが、このごろ東京に戻って安心したせいか体重が微増傾向にあるので注意が必要です。お兄さんとは先日職場周辺でお会いしましたが、お宅にはお邪魔してません。東京の反対側ですしね。


なお - 04/09/11 09:40:01

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こちらには久々の書き込みです。今日は1時出勤なので午前中はゆったりです。 さて、特にどうと言うわけではないのですが、ダンディさんのスーツがやごぴんさんにぴったりというところに大笑いしてしまい書き込んでいるだけです。ぜひ「げっつ」やってください。 ところで、兄のうちに行きました?私はなかなか日曜に休みがないので、まだですよ。。。お義姉さんが楽なうちに行きたいんですがね。。。


けろりん - 04/09/10 20:03:45

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わさびソフト・・・美味しくなかった。あれほど美味しくないとは思わなかった・・・。だって、わさびの風味も香りも全然しないし、何よりもベースのバニラソフトが水っぽいんだよね。これならイトーヨーカドーのポッポのソフトのが美味しいよー!! だから、もしヤゴピンさんも安曇野に行く機会があったら、絶対絶対わさびソフトを食べてください!! そしてこの悲しみを味わってくださーい。 次は熊野古道を、なんとか門から歩いてみたいんですけど、熊野古道って、危なくないですよね?観光客、歩いてますよね?


YAGOPIN - 04/09/04 15:25:50

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 先日、昼休みにコンビニに行こうと思って会社近くのビルに入ったところ、解団式直後のアテネ五輪選手団に遭遇。次から次へとやってくるので誰が誰やら、という感じでしたが、ひときわ観衆の歓声を浴びていたのが女子レスリングの浜口京子選手でした。観衆の中には「気合だーーっ」などと叫んだ人もいて、ちょっと照れ笑いしていました。


YAGOPIN - 04/08/26 02:28:58

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 今日Yahoo!ニュースに出てた「ダンディ坂野入籍」なんていう記事をだらだらと見てたら一番最後にダンディ坂野のプロフィールが載っていました。

ダンディ坂野(だんでぃ・さかの)本名・坂野賢一。1967年1月16日、石川県生まれ。タキシードにちょうネクタイというスタイルと「ゲッツ」の決めゼリフで注目され、NHK「爆笑オンエアバトル」などで活躍。身長165センチ。体重53キロ。

 誕生日とか出身地とか、有名人と自分のプロフィールの一部が同じだったりすると、素朴にうれしかったりしますが、場合によっては、この人と同じかぁ、などと複雑な気分になることもありますね。

 で、今回、ダンディ坂野と私の間に発見された共通点は誕生日でも出身地でもなく、身長・体重の部分です。身長・体重が一緒ということは、あのタキシードは私が着てもぴったりサイズなんでしょうか…。自分があんな格好をして「ゲッツ」などと言っている様が想像されてなかなか複雑な気分です。

 さて、けろりんさん、こんばんは。

 そういえばこないだの旅行記は食べ物の話ばかりですね(笑)。米沢牛ステーキは2,625円しましたけど、さすがにお肉はやわらかかったですよ。ちょっとしたぜいたくって感じです。

 わさびソフトは美味しいんでしょうか。なんか味が想像つかないんですが。。。

 ゆきんこさん、こんばんは。

 愛知から東北はちょっと遠いイメージがありますよね。北海道だったら飛行機でひとっ飛びなんだけど、そこまでの距離でもないし、という感じでしょうか。ただ東北や甲信越は新幹線をうまく使えば移動時間が短く済むので、ちょっと急ぎ旅になってもいいのであれば、いろいろ回ることができると思います。私は東北はだいぶあちこち回ってしまっており、行ったことのないところということで米沢・山形を選んでみましたけど、このあたりに行くのであれば山寺や仙台周辺などを加えるといいかもしれませんね。

コシヒカリソフト
コシヒカリソフト

ゆきんこ - 04/08/25 23:35:13

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こんばんは。今回の雑録、まだ行ったことがない地なので、行ってみたくなりました。昔から東北一周とか夢見てるんですが・・・夢見るばかりでなかなか。いつ行っても、きれいな感じがするので、一年ぐらいかけてのんびり行きたいなぁ・・・老後のライフワーク・・・にはまだ遠すぎるし。話は変わりますが、けろりんさん、最近ご当地ソフト、増えましたよね♪私もソフトクリームが結構好きでこの間、梅ソフトを岩国で食べました。梅が好きだったので(あまりご当地と関係がないケド)。ただ、どう見ても(味わっても)梅干ソフト、のような気がしました。ちょっと涙。当り外れがあって楽しい?のも「ご当地」の醍醐味かなぁと。できるだけチャレンジしてます。


けろりん - 04/08/24 15:08:35

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米沢牛おいしそー。でも高そう。牛肉なんて牛角でしか拝見できませんよおっ。 宗祇水は飲みませんでした。なんか足元からすくうのはちょっと抵抗がありまして・・・。綺麗なのは分かってはいるのですが。 やごぴんさんはソフトクリームが随分とお好きなようで・・・。私もたまに食べますが、来月に入ったら信州に行こうと思うので、わさびソフトを是非食べたいと思います。やっぱ米沢牛は牛角とは違いますか?


YAGOPIN - 04/08/24 00:25:36

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 大阪に住んでいる間は基本的に西日本にしか旅行していなかったので、久しぶりに東日本のどこかに行ってみようと思い、金曜の夜に「土・日きっぷ(18,000円)」を買ってきた。

 この切符は土曜日曜に南東北と関東甲信越のJR東日本線と北越急行線などが乗り放題になる。新幹線も乗れるのでできるだけ遠くまで行こうと思い、21日土曜日は上越新幹線と特急はくたかを乗り継いで直江津までやってきた。

 新潟県直江津市は1971(昭和46)年に南隣の高田市と合併して、「上越市」となっている。直江津は古い港町で近辺にはかつて越後国府があったと伝えられる。関川の近くに森鴎外の『山椒大夫』で有名な安寿姫と姥竹の供養塔がある。安寿姫と厨子王が山岡太夫に売られるのは「直江の浦」の「応化橋」の下だった。越後国府に流された親鸞ゆかりの五智国分寺を目指し海岸沿いを歩いていくが、かなり遠いようなので計画を変更しバスで春日山へと向かう。上杉謙信の本拠地・春日山城があったところである。

 春日山城は高さ180mの山城で山頂にある本丸へはかなりの山道となっている。登り口に地図が置いてあったので、地図を見ながら登っていく。途中には謙信の住居と考えられている御屋敷、上杉三郎景勝屋敷、直江山城守屋敷、柿崎和泉守屋敷などが建っていた廓が連なる。汗だくになりながらようやく本丸跡に到着。石垣などはなく、建造物も1931(昭和6)年再建の毘沙門堂くらいしかないが、眼下には、日本海から関川に沿って直江津の市街地、高田の市街地が続く、すばらしい眺めが広がっていた。

春日山からの眺め
春日山からの眺め

 春日山の麓にある春日山神社に参拝したあと、新潟産コシヒカリソフトクリーム(米粒が入っているだけだった。。。)をなめながら、謙信が幼少期に修行していた春日山林泉寺へ。惣門は春日山城から移築されたもので、境内裏手には謙信の墓もある(ただし遺骸は米沢の上杉家廟所に葬られている。)。また宝物館には謙信が奉じた毘沙門天像や、謙信が「春日山」「第一義」と書いた山門の扁額などが展示されている。

 謙信は一生独身で子供がなかったため、甥の景勝が養子となって上杉家を継ぎ、豊臣家五大老のひとりとなって会津120万石に移封された。春日山城へは堀氏が入城したが、堀氏は現在の直江津港近くにある福島城に移り、さらに堀氏に替わって福島城に入った徳川家康の六男・松平忠輝は5kmほど南にある高田に新城を築いた。高田城の跡は高田公園となり、天守閣代わりの三重櫓が1993(平成5)年に再建されている。外濠には大きな蓮が一面に植わっている。春は桜が見事だそうだ。

 雪国・高田の町には今も雪除けのアーケードである「雁木」が残っている。雁木はそれぞれの家が自分の私有地に造っているもので、それが連なって通路の役を果たしているのである。どこか1軒でも協力しない家があれば通路にならないわけで、雪国の人々が互いに協力して生活してきたことがよく分かる。

 城下町をイメージしているらしい信越線の高田駅に戻ってきて駅前のホテルで夕食をとる。このホテルなど上越市内のいくつかの飲食店では、この8月の間、戦国時代の調理法を参考に作られた「謙信公のかちどき飯」を提供している(期間後も予約販売される模様)。戦国時代には一般的でなかった醤油や砂糖は使用していないため、刺身なども「ずんだ酢」「煎り酒」という調味料で食す。ご飯はもちろん玄米(黒米)で、糠を仕込みの際に混ぜた「糠味噌」で鰯や筍を煮た「糠味噌煮」など全体に薄味でヘルシーな感じだった。帰りは信越線と長野新幹線を乗り継いで東京に帰る。

林泉寺惣門
林泉寺惣門
高田城三重櫓
高田城三重櫓
雁木の街並み
雁木の街並み
謙信公のかちどき飯・龍の膳
謙信公のかちどき飯・龍の膳

 翌22日日曜日も切符が使える。上杉家つながりということで、今日は山形新幹線に乗り山形県米沢市へと向かう。

 春日山から会津に本拠を移した謙信の養子・上杉景勝は、家康に反旗を翻したため120万石から30万石に減封され、居城の会津若松城も没収された。景勝が新たに居城としたのが、家老・直江兼続の城だった米沢城である。その後、上杉家は藩主の急死により改易の危機に遭い、それはなんとか免れたものの、存続の代償として封地を15万石に減らされてしまう。度重なる減封に伴う財政危機を救ったのが明君・上杉鷹山(治憲)で、その歌「為せば成る為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」はあまりに有名。ケネディ大統領も尊敬した鷹山の改革により上杉家は幕末まで大名として続く。

 米沢駅から2kmほど離れた米沢城跡は、謙信を祀る上杉神社となり、景勝・鷹山も摂社・松岬神社に祀られている。上杉神社の社殿は米沢出身の大建築家・伊東忠太(インド様式の築地本願寺などの設計者)の設計。宝物を納める稽照殿に展示されている遺品類がすばらしい。川中島の戦いの際に着用した白い頭巾など謙信着用の衣類各種や直江兼続の甲冑、謙信在陣を示す「毘」の軍旗、総攻撃中を示す「龍」の軍旗の実物など。川中島の戦いの前に謙信が仏前で記した弾劾状「武田晴信(信玄)悪行の事」には謙信の流麗な筆跡が残る。興味を惹かれたのは明の万暦帝が景勝に贈ったという龍の刺繍入りの赤い明服で、万暦帝はこの服とともに明の位も景勝に贈ったという。詳しい説明がなかったが、文禄の役の後の一時的な講和の際にでも贈られたものだろうか。

 藩主を退き伯爵となった上杉家が移り住んだ屋敷が神社の隣にある。1925(大正14)年に建てられた総檜造・銅板葺きの屋敷は現在上杉記念館として公開されている。浜離宮を模したという庭園を眺めながら、ここで米沢牛のステーキをいただく。午後は山形へ。つばさ号の車窓は田んぼと果樹園ばかり。ぶどう栽培のビニルハウスで丘という丘が銀色に輝いている。

上杉神社参道「毘」の旗
上杉神社参道
「毘」の旗
米沢牛と庭園
米沢牛と庭園

 駅西口にある「霞城セントラル」という24階建てビルの屋上に上がり、市内を一望してから「霞城」と呼ばれた山形城跡に向かう。山形城は伊達政宗のライバル・最上義光の居城だったが、お家騒動のため改易され、その後は譜代大名が続いた。明治になって城跡には歩兵32連隊が置かれ、その後は運動公園となっているが、1979(昭和54)年の市制90周年以降、徐々に復元工事が進められており、水濠の復活、二の丸東大手門の復元に続き、本丸一文字門の石垣復元工事が行われている。

 そのほか城内には明治時代の県令(県知事)三島通庸が建設した病院・済生館の建物が建っており、山形市郷土館として使われている。宮大工が西洋建築を真似て造ったという3階建ての擬洋風建築で3階は8角形の小部屋、2階は16角形の広間、1階は14角形の廻廊となっているのが面白い。もともと市内にあったものを1969(昭和44)年に苦労して移築してきたそうだ。内部は三島が招いた外国人医師・ローレツに関する展示など医学関係の展示が主体である。

 山形からバスで40分ほどの蔵王温泉で疲れを癒し、市内に戻ってから山形名物・冷やしラーメンを食べて家路に着く。冷やしラーメンは文字通り氷の浮かんだ冷たいスープのラーメンで、スープは牛・鰹・昆布に山形名産ラフランスの香りを加えてあると書かれていた。具はもやし・メンマ・きゅうりなどで、けっこう分量があり、スープも飲んだら、腹の中が冷たくなって、夏場というのに熱いコーヒーでも飲みたくなった。

山形市郷土館
山形市郷土館
冷やしラーメン
冷やしラーメン

YAGOPIN - 04/08/18 01:34:27

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 けろりんさん、こんばんは。

 郡上八幡は城まで上がられたのですね。水は「宗祇水」を飲まれたのでしょうか。私が八幡を訪れたのも真夏の暑い日で、川で泳いでいる人が大勢いました。タイトな行程でゆっくりと見られなかったので、季節を変えてまた行きたいところです。

 ゆきんこさん、こんばんは。

 広島・宮島・錦帯橋・萩・関門海峡と当ページでもささやかながらご紹介した場所を回られたのですね。山口へは私も8年前の今ごろに行ったのですが「ちょうちん祭り」とは初耳です。桧皮葺の屋根が緑に映える瑠璃光寺五重塔は強く印象に残っておりますが。

 萩は確かに見どころが多すぎますね。同じ毛利氏の城下町である山口もそうですが、自転車で回るのにちょうどよい町だと思います。関門海峡は歩くのもよいですが(ただし九州側のアクセスがあまりよくありません。)、船で渡るのもよいですよ。5分くらいで着いてしまうので本州九州のあまりの近さにちょっと驚かされます。

 私のほうは東京に戻ってからぜんぜん遠出をしていなかったのですが、先週金曜日、夏休みをとって買い物に出かけていたところ、木更津にいる会社の同期から電話があり、そのまま急遽木更津まで飲みにいってしまいました。木更津へは横浜駅からアクアラインを経由するバスに乗り、夕暮れの横浜港から宵闇の東京湾を渡って50分1,500円で到着します。地元の人の多くは途中の袖ヶ浦バスターミナルに車を置いてバスに乗っているようです。袖ヶ浦から横浜までバス往復が2,700円、駐車場代は500円ほど。アクアラインは片道3,000円。首都高の料金なども勘案すると1人2人ならバスに乗り換えた方が安いということになるのでしょう。一方で対岸にお客が流れているためか木更津駅前の活気は今ひとつ。閉店した木更津そごうの入っていたビルは今はアクア木更津というショッピングセンターになっておりました。


ゆきんこ - 04/08/16 22:21:52

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こんばんわ。暑い日が続いてますね。東京は暑そうですね。先日、広島・山口の方へ行ってきました。平和記念式典の翌日に広島へ行ったという事もあって、折鶴がたくさん飾られていました。いろいろと、昔のことや今の世界の現状を思いながら考えさせられる一日でした。宮島や錦帯橋など暑い日ではありましたが、青空に映えて、とても美しかったです。ついでに、山口の七夕ちょうちん祭りも見に行ってきました(これはたまたま観光案内所で教えてもらったのです。たくさんの赤いちょうちんが幻想的ですてきです)。残念だったのは萩。ツアーだったのでほんっとにほんっとに一部分しか回れず、おうちに帰ってからも地図を見て『あそこも行きたかった!!』と何回・何箇所、叫んだことか。次は、サイクリングでゆっくり一周、と心に誓いを立てました。のんびり散策をしたい、そんな街でした。それと、関門海峡、今回はバスで渡ったので今度はトンネルにチャレンジしたいです。『自分の足で』って魅力的です。ガイドさんに「入り口」は教えてもらいました。見所がいっぱいで、また行きたいな・季節を変えてもう一度、と思わされた場所でした。それと、もともと日本史は好きですが、苦手だった幕末・明治にちょっと楽しみを見出しました。やっぱり、旅はいいなぁ。


けろりん - 04/08/16 20:41:22

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やごぴんさん、お久しぶりです。教えて頂いた郡上八幡行ってきました。暑くて暑くて暑くて、とてもしんどかったのですが、水の美味しさに感激しました。水に味がないってことは、とても貴重なことですね。それからなんと、郡上八幡城で岐阜市歴史博物館の招待券を貰えたのですっ。ちなみに受付の方がゴミ箱からひっぱりだしていました。何よりも川と水に癒されましたあ。


YAGOPIN - 04/08/08 12:31:37

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 8月4日から東京に引っ越しました。それまで2年間住んでいたのは、大阪府高槻市というところです。今回はこの高槻市について少し紹介したいと思います。

 高槻市は人口約35万人の中核市。大阪市と京都市のほぼ中間にあるベッドタウンで、市章も大阪市と京都市の市章を組み合わせたものです。JR京都線(東海道本線)高槻駅には新快速が、阪急京都本線高槻市駅には特急が停車し、大阪へも京都へも20分ほどで行くことができます。1kmほど離れた両駅の周辺が商業地となっており、JR高槻駅前には松坂屋・西武ショッピングセンターなどが立地しています。また、2004年にはJR高槻駅北口の再開発により、平和堂やTOHOシネマズ、高層マンションなどから成る複合ビル「アクトアモーレ」がオープンしました。

JR高槻駅とアクトアモーレ
JR高槻駅とアクトアモーレ
8月から使用開始された市営バスの新ターミナル
8月から使用開始された
市営バスの新ターミナル

 歴史的に見ると、高槻・芥川・富田(とんだ)という、3つの由来の違う町が周辺の農村部と合わさって現在の高槻市になったということが言えるかと思います。その1つ目の高槻は城下町です。高槻城は一時、キリシタン大名の高山右近が城主だったこともあり、その当時、城内には教会堂も造られていました。江戸時代には永井氏3万6000石の居城となり、淀川の対岸にある枚方宿からも美しい城郭の姿が望めたことがオランダ人医師ケンペルの記録に見えています。高槻城は1874(明治7)年、鉄道の建設に伴って破却され、跡地は工兵第四連隊の兵営を経て、現在は公園になっています。城の遺構はほとんどが地中に眠っていますが、旧城下町であった周辺の住宅地の一部からは今も城下町の雰囲気が感じられます。

 2つ目の芥川は宿場町です。中国地方から大坂(大阪)へは中国路と呼ばれる街道がありましたが、その中国路から西宮(兵庫県西宮市)で分岐して京都に向かう西国街道(山崎通)という街道がありました。その西国街道の宿場町であった芥川には、天保年間には33軒の旅籠があったと言われ、幕末の政変による「七卿落ち」の際に三條実美らも宿泊しています。現在では高槻駅北口の賑わいに隠れてしまった感がありますが、その分、街並みにはわずかに宿場の面影が残り、一里塚も片側だけ残存しています。また、芥川は『伊勢物語』に登場する歌枕でもあります。

 昔、男ありけり。女のえ得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、からうじて盗み出でて、いと暗きに来けり。芥川といふ河を率ていきければ、草の上に置きたりける露を、「かれは何ぞ」となむ男に問ひける。

 ゆくさき多く、夜もふけにければ、鬼ある所とも知らで、神さへいみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる蔵に、女をば奥におし入れて、男、弓・やなぐひを負ひて戸口に居り。はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、鬼はや一口に食ひてけり。「あなや」といひけれど、神鳴るさわぎに、え聞かざりけり。やうやう夜も明けゆくに、見ればゐて来し女もなし。足ずりをして泣けどもかひなし。

  白玉かなにぞと人の問ひし時露と答へて消えなましものを

 これは、二条の后の、いとこの女御の御もとに仕うまつるやうにてゐ給へりけるを、かたちのいとめでたくおはしければ、盗みて負ひていでたりけるを、御兄人堀河の大臣、太郎国経の大納言、まだ下臈にて、内へまゐり給ふに、いみじう泣く人あるをききつけて、とどめてとりかへし給うてけり。それをかく鬼とはいふなりけり。まだいと若うて、后のただにおはしける時とや。

高山右近天主教会堂址
高山右近天主教会堂址
芥川一里塚
芥川一里塚

 3つ目の富田は寺内町です。高槻駅・高槻市駅から1駅大阪寄りにあるJR摂津富田駅・阪急富田駅が最寄り駅となります。富田は1476(文明8)年に蓮如上人が教行寺(富田道場)を開いたことから寺内町として発展し、現在でも教行寺のほか、富田御坊・本照寺や明の高僧・隠元が滞在した普門寺など多くの寺院が甍を連ねています。また富田は江戸初期には寺内町から酒造の町へと変貌し、最盛期の明暦年間には24軒もの酒造業者があったといいます。伊丹や灘の勃興などにより次第に衰退していきましたが、今も2軒の造り酒屋が残り、地酒や地ビールを製造しています。

富田御坊・本照寺
富田御坊・本照寺
隠元滞在の寺・普門寺 方丈は重文、庭園は名勝(見学要予約)
隠元滞在の寺・普門寺
方丈は重文、庭園は名勝
(見学要予約)
杉玉のかかる富田の酒蔵
杉玉のかかる富田の酒蔵
富田酒。ラベルに宝井其角の句 けさたんとのめやあやめのとんたさけ が記されている(回文)。
富田酒。ラベルに宝井其角の句
けさたんとのめやあやめのとんたさけ
が記されている(回文)。

 そのほか高槻の見どころとしては、継体天皇の真の墓ではないかという説がある今城塚古墳、峡谷と温泉のある摂津峡などがあります。摂津峡までは高槻駅から市営バスで20分ほどで、近くには関西大学の高槻キャンパスもあります。また、高槻市にはサンスター本社、松下各社、コニカミノルタ、明治製菓等の工場もあり、少し市街を離れれば田畑が広がるなど、農住商工それぞれがバランスよく発展し、歴史的な由緒もあってよく見ればそれなりに面白い町です。道路網の整備があまりよくなくて市内の移動がしにくい上、鉄道が便利なために何かというと京都か大阪に出てしまうため、2年住んでいてあまり高槻市内に目を向けなかったのは少し残念なことだったかもしれません。

今城塚古墳 かなり荒れている。
今城塚古墳
かなり荒れている。
紅葉始まる摂津峡
紅葉始まる摂津峡

YAGOPIN - 04/07/26 00:46:50

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 ゆきんこさん、こんばんは。

 おいでんまつり、懐かしいですね。私も会社の連で2回踊りました。花火もさすがに大トヨタがついているだけあって、豪勢ですよね。ガイドブックは行きたい場所が一通り入っていれば何でもいいのですが、地図が多くて比較的版型の小さいものを選んでいます。一時期は昭文社の「旅王国」というシリーズが多かったのですが、最近は、るるぶの「アイじゃぱん」というシリーズを買うことが多くなりました。気合を入れて計画を立てるときはインターネットでも情報収集していますが、ただ、実際に現地を回るときは、駅前の観光案内所でもらった地図やパンフを頼りにしています。なんにも情報収集せずに観光案内所に来てから見る場所を考えることもありますよ。

 さて、今日は滋賀県の近江八幡周辺を回っていました。この町は駅と見どころが離れているので、まずは駅前でレンタサイクルを借り、旧市街の方に向かいます。近江八幡は、近江商人発祥の地とも言われる古い商人町で、メンタームの近江兄弟社を創業し、多くの建築設計を手がけたことでも知られるW.M.ヴォーリズが住んだ町でもあります。NHK朝の連続ドラマ「はっさい先生」で使われた八幡小学校の古い校舎(1917年築)、ヴォーリズの手がけた池田町洋風住宅街、江戸中期の商家・旧西川家(1706年築)などが並ぶ新町通り、八幡瓦を展示したかわらミュージアム、近江八幡の由来となった日牟礼八幡宮など多彩な見どころを回っているうち、激しい雷雨となったので「あきんどの里」という施設にある食事処に避難し、ついでに昼食をとっていきます。たまたまこのとき隣に座っていた方と少しお話させていただいたのですが、この方は 榎忠さんという芸術家で、8月に行われる「BIWAKOビエンナーレ2004」というイベントのためにこちらに来られているとのことでした。このイベントは、近江八幡の今は使われていない建物を利用して作品展示を行ったり、やはり使われなくなった映画館を利用して映画の上映を行ったりするという内容だそうで、空洞化しつつある古い町を活性化させる試みとして興味深くお話を聞かせていただきました。

新町の街並み
新町の街並み
旧西川家の内部
旧西川家の内部

 雨が止んだので、日牟礼八幡の裏からロープウェイで高さ272mの八幡山へと上がります。ここは豊臣秀吉の甥・秀次が八幡山城を置いたところでした。秀次は、秀吉の第一子・鶴松が夭逝したために秀吉の養子となり、関白を継ぎましたが、秀吉に第二子・秀頼が生まれたために疎んぜられ、高野山に幽閉された上、切腹させられます(享年28歳)。近江八幡はもともと秀次が近江43万石の城下町として建設された町で、市内を流れる八幡堀も八幡山城の堀と運河としての機能を兼ねていました。八幡山城は、秀次の切腹後に廃城となり、現在は秀次の母・日秀尼が秀次の菩提を伴うために建立した瑞龍寺が建っています。

八幡堀
八幡堀
八幡山城から近江八幡を望む。
八幡山から
近江八幡を望む。

 近江八幡から5kmほど自転車をこぐと安土に着きます。安土の見どころといえばもちろん、1579(天正7)年に織田信長が平安楽土を目指して築いた安土城。城下町のあった百々橋口道から石段を延々と上がっていくと門と塔が建っているのが見えます。安土城は完成からわずか3年後の1582(天正10)年、信長が本能寺の変で討たれるとともに炎上し、建造物は何も残っていないものと思っていましたが、城内にあった摠見寺(そうけんじ)は類焼せず、仁王門と三重塔のみは現存しているのでした。さらに行くと黒金門の跡という石垣があり、本丸跡へと至ります。家康の江戸城・秀吉の大坂城のイメージから、安土城も広大な本丸に御殿が建ち並んでいたのではないかと想像していましたが、平城である江戸城・大坂城に比べ、高さ199mの安土山の上に建つ安土城の本丸はさほど広くなく、本丸御殿の推定図面を見ても、江戸城・大坂城より時代が早い分、壮大さが感じられないように思いました。ただ、本丸跡のすぐ上には5層7重の天主(天守閣)の跡があり、こちらは石垣だけ見てもかなりの大きさがあったことが直感でき、何もない空を見上げて、高さはこれくらいか、それともあれくらいか、などとぼんやり想像をめぐらせました。現在でも天主台からは遠く琵琶湖が望めますが、かつては琵琶湖は安土城のすぐ真下まで来ており、天主からの眺めはさぞ素晴らしかっただろうと思います。

摠見寺三重塔
摠見寺三重塔
安土城天主跡。礎石が並ぶ地下室部分
安土城天主跡
礎石が並ぶ地下室部分

 帰り道は、城の正面口にあたる大手道を降りていきます。福知山城や大和郡山城同様、石仏などが利用された石段となっており、その両側には羽柴秀吉や前田利家の邸があったと言われています。在りし日の安土城の様子はほとんど謎に包まれており、現在も発掘調査が続けられていますが、加賀藩作事方池上家に伝わった『天守指図』という資料に基づき、復元図が作られています(ただし、この資料の信憑性については論争がある模様)。この復元図をもとにして1992年のセビリア万博日本館に安土城の上2層分が実物大で復元されて出品されました。この復元安土城は万博終了後、安土町に移築され、「安土城天主 信長の館」という施設に展示されています。最上階の6階は金箔を張り、5階は朱塗りで、そのどちらも内部は豪華な障壁画で飾られていました。

大手道
大手道
安土城天主 信長の館
安土城天主
信長の館

 「安土城天主 信長の館」の裏手には観音寺山がそびえています。観音寺山はこの地方の守護・佐々木氏(六角氏)の居城があったところで、その観音寺城の廃城後、すぐ近くの安土山に信長が城を築きました。さらに安土炎上後、秀次が安土城の残った建物を利用して隣の八幡山に城を築き、その城もまた秀次切腹後に廃城となってしまいました。そして太平の世になり、この地方はやがて近江商人の活躍の場となっていったのです。


ゆきんこ - 04/07/22 22:58:20

コメント:
YAGOPINさん、こんばんわ。京都の三大祭、絶対いつかは全部見たいのですが、なかなか行けません。祭りといえば豊田では明日から、あの「おいでんまつり」です。花火は見たいものの、人出が・・・。それから山口旅行、何とか人数が集まり行けることのなりそうです。嬉しくってガイドブック、買っちゃいました。私は旅行のたびに何冊かのガイドブックを見て気に入った(たいてい掲載されてる写真にひとめぼれする)のを必ず一冊購入、ということが多いですが、YAGOPINさんは計画や情報をどうやってたてますか?おすすめガイドブック(またはシリーズ)なんかがあったら教えてください。


YAGOPIN - 04/07/17 21:16:45

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 ゆきんこさん、こんばんは。

 いいですねぇ、飛騨牛のにぎり。それとトマト丼も美味しそうです。足湯はさいきんあちこちの温泉地で見かけるようになったので、私もいくつか利用したことがあります。このサイトでも城崎温泉と洲本温泉の足湯を紹介しました。確かに手軽でいいですよね。

 さて、昨日、転勤の内示が出まして、8月1日付けで東京の本社に異動することになりました。大阪に来てちょうど2年。もうちょっとあちこち関西を回りたかったような気がします。見残したところもたくさんあるし。異動先がまったく今まで縁のなかった経理課というのも気になります。

 今日は祇園祭の山鉾巡行を見に行こうと思っていたのですが、昨日の内示祝いで飲みすぎて、外に出られる程度に体調が復活してきたときは、既に昼過ぎになっていました。京都に着いてみれば、山鉾は既にあらかた解体されたあと。せっかくの機会だったのに残念です。

祇園祭山鉾
祇園祭山鉾

ゆきんこ - 04/07/11 18:48:01

コメント:
こんにちは、YAGOPINさん。改めて、飛騨名物・・・と考えるととりあえず、飛騨牛の握りと串焼きは食べました。それから、おだんごも。くわえて、低温殺菌牛乳と串刺し冷凍みかん、朝市の桃なんかを旅館で朝ごはんを食べた後に食べに出かけました(朴葉みそは旅館で)。お昼からはおせんべいを焼きに行きました。とっても、楽しいです!おすすめ!! それから、足湯にはまりました。気持ちいいですね!手軽だし♪ あと、飛騨で、飛騨牛とトマトで作ったトマト丼なるものを食べました。トマトが平気な人にはとってもおいしいと思います。ぜひ。


YAGOPIN - 04/07/03 19:21:02

コメント:

 ゆきんこさん、こんにちは。

 高山の名物ってなんでしたっけ? 朴葉味噌と飛騨牛、あとは飛騨ラーメンくらいかな? 山口には夏に行かれるんですよね。休みの時期なのに、人気がないんでしょうか。。。

 なおさん、こんにちは。

 Loewenbrauは直しておきました。Loven…では「ローフェン」になってしまいますね。ドイツはどうでしたか。


なお - 04/07/01 14:47:38

コメント:
すごくどうでもいいことなんですがシュツッツガルトのとこらへんで LoewenbrauがLovenbrauになってましたよ。 私もドイツ大好きです。

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