YAGOPIN雑録

世界あくせく紀行

ブルー・モスク

● イスタンブール・アテネ編・9

7月29日 エーゲ海クルーズ

 ギリシャに着いた次の日の朝、私は、船の上からエーゲ海を眺めていた。今日は、ギリシャ観光の定番になっている、サロニコス諸島をめぐるクルーズに参加しているのだ。船内は、ありとあらゆる国からの観光客でごった返していて、それぞれの国担当のガイドが付いている。日本人向けのガイドさんは、化粧の濃い、和製クレオパトラのような、日本人のおばちゃんだった。

クルーズ船
クルーズ船
船上にて
船上にて

 朝8時15分にアテネの外港であるピレウス港を出港してから、およそ2時間。ひたすら真っ青な空と海にもそろそろ飽き始めたころ、船は最初の目的地であるポロス島(スフェリア島)に到着した。1時間足らずの停泊時間ではあまり遠くまで行けないので、地図上で唯一歩いて行くことができそうな「時計台」というところに行ってみることにする。船着き場の前は商店が並び、ちょっとした繁華街になっているが、店の裏手に続く階段を上っていくと、その先は白壁の家並みが建ち並ぶ静かな住宅街になる。地図を見ると船着き場から「時計台」までは、わずか100mほどしかないが、この100mは、細い階段や坂道がずっと続いていて思ったより大変である。太陽が照りつける中、急な階段を上って行き、ふと振り返ると、大きな船が浮かぶ青い海の向こうに、ペロポネソス半島が見えていた。丘にへばりつくように並んでいる家々は、みんな赤い屋根に白い壁で、風景に美しく調和している。何かの歌の歌詞ではないが、エーゲ海から風が吹いてきた。

 1927年に造られたという時計台は、白い瀟洒な建物で、丘の上に灯台のようにそびえていた。中に入れるわけではなく、特になんということもないが、高台にあるので眺めはいい。ちょっと休憩してから、帰りは民家の間を抜けていくような細い道を下っていく。船着き場から少し離れたヨットハーバーの前に降りてきたので、そのまま海沿いに歩いて行くと、出発時刻の少し前に船に戻れた。

ポロス島の時計台
ポロス島の時計台
ペロポネソス半島が見える。
ペロポネソス半島が見える。

 11時10分にポロス島の港を出て、すぐに早めの昼食が始まった。昼食のテーブルは、国別になっていて、私たちのテーブルには、新婚夫婦が私たちともう1組、初老のカップル、一人旅の女性、と7人の日本人が集まった。私たちは、トルコとギリシャの8日間のツアーだったが、もう1組の新婚夫婦は、さらにエジプトを加えた12日間、初老のカップルはギリシャとフランス、一人旅の女性はイタリアとギリシャ、とみんな行った場所が違っている。もう1組の新婚さんは、アテネのホテルも同じだったのだが、ご夫婦とも体調が悪そうで気の毒だった。最初に行ったエジプトの条件が過酷で、いきなり体調を崩してしまったらしい。

 12時過ぎ、2つ目のイドラ島に着いた。この島は、自動車の入れない島なので、唯一の交通手段であるらしいロバが港の前にたむろしている。大勢の観光客が、港の前に建ち並ぶ土産物屋を冷やかしながら歩いている。湾を取り囲む斜面には家々が貼り付いていて、湾の中にはボートが所狭しと並んでいる。一見雑然とした雰囲気ながら、町並みの美しさと、空や海の青さが、風景を1枚の絵ハガキのように仕立てている。湾の外れの方へ歩いて行くと、町並みは途切れ、道は岩場へと続いて行く。砂浜などはまるでない、ごつごつした岩場の海岸だが、よく見ると、岩場の一部分にコンクリートが打ってあって、プールに付いているような梯子が海に向かって降りている。何せこの暑さであるから、群青色の海の中には、すでに先客がたくさんいた。私もこうした状況を予測して、あらかじめ水着を着こんでいたので、さっそく梯子を降りて、今年(2007年)の初泳ぎを楽しむことにする。

 40度近い酷暑の地上から、冷たい水の中へ。この爽快感をなんと表現したらいいことだろう。しかもここはエーゲ海である。ご当地ギリシャで金メダルを取った北島康介選手にならって、「チョー気持ちいい」とでも叫びたいところだ。しかし、海の中はひたすら青く、底はまったく見えない。沖を船が通れば、水面は大きく上下する。特に泳ぎが得意なわけでもなし、わざわざエーゲ海まで溺れに行ったというのでは、シャレにならないので、ほんの少し泳いだだけで早々に陸地に上がる。子どもが、梯子なんか使わず頭からざぶりと飛び込んでいたり、70歳は過ぎているように見えるおばあさんが、平気で底の見えない海の中に入って行ったりするのを見ると少し心配になってしまうのは、日本の安全な海水浴場に慣れきってしまっているからだろうか。

 出港までまだ少し時間があったので、港に戻る途中のオープンカフェで、海を眺めながら冷たいものを飲んだ。この島は世界中の芸術家を魅了する「芸術家の島」とも呼ばれているそうで、その美しい風景は、本当に見飽きることがない。名残惜しいが時間になったので船に戻る。このクルーズの中では、イドラ島がいちばんアテネから遠い島なので、ここから先は帰り道になる。ちなみにイドラ島からもう少し先に行ったところには、かつて作家の村上春樹が滞在していたスペツェス島があるそうだ。

イドラ島
イドラ島
イドラ島
イドラ島
イドラ島のワイルドな海水浴場
イドラ島のワイルドな海水浴場
エギナ島の砂浜
エギナ島の砂浜

 次は、アテネの近くの島まで戻るので、到着まで少し時間がかかる。船の中では民族衣装を着た人たちが踊り出し、さらにはお客さんまで大量に踊り出したが、私たちはさすがに踊る気にはなれないので、静かな場所を探して船内をうろうろする。うろうろしていたら、船内にある、ギリシャの有名ブランド「フォリフォリ」の売店が妻の目に留まってしまい、記念にピアスを買わされることになってしまう。そんなこんなで15時40分ごろ、最後のエギナ島に到着。古代ギリシャの神殿などを見に行くオプショナル・ツアーの募集をしていたが、港近くにきれいなビーチがあるのを見つけたので、ツアーには申し込まず、ビーチの方へ歩いて行く。先ほどのイドラ島の海水浴場は、かなりワイルドだったが、ここは普通の砂浜なので、イドラ島では泳がなかった妻も、ここでは喜んで泳いでいた。滞在時間が2時間ほどあったので、ビーチでのんびり過ごし、港の前のカフェでソフトクリームを食べてから船に戻る。エギナ島は、今日行った3つの島の中で最もアテネに近いせいか、町も港も大きい。ギリシャ独立の頃には一時的に首都が置かれたこともあったそうだ。エギナ島を出港してから1時間ほどで、出発地のピレウス港に戻ってきた。下船して船を見上げると、乗組員たちが蛍の光を演奏しながら、たくさんの国旗を振っている。日本・アメリカ・フィンランド・オーストリア・ベルギー・スペイン・ブラジル・メキシコ・ロシア…。これらの旗は、おそらく乗客の出身国を示しているのだろう。ずいぶんとあちこちから来た人がこの船に乗っていたのだなぁと思いながら、色とりどりの旗を眺めていると、その中には、なんと「北朝鮮」の旗も混じっていた。

 送迎バスでアテネの中心部にあるシンタグマ広場に戻ると、ちょうど、広場に面した無名戦士の墓の前で、衛兵交代が行われているところだった。2人の衛兵が、脚を高く上げながら行進して、持ち場を交替しようとしている。衛兵は、銃剣を持った背の高い男性だが、その服装は、長い飾りの付いた赤い帽子に、ベージュのスカート、白いタイツに毛糸飾りのついた靴、という出で立ちである。一見すると女の子でも着られそうなこのかわいらしいユニフォームは、「フスタネーラ」という民族衣装だそうだ。無名戦士の後ろには、かつての王宮の建物が建っている。ギリシャは、オスマン帝国からの独立当初は王国で、最初の国王は、かつてのローマ皇帝の遠い遠い親戚であるバイエルンの王子が選ばれていた。しかし、その後は革命によりデンマークの王子が国王の座に就いたり、いったん共和制になって、また王政に戻ったり、と不安定な状態が続き、結局、1973年からギリシャは再び共和国になって現在に至っている。かつての王宮は、1934年以降、国会議事堂として使われており、その傍らには大きなヴェニゼロス元首相の石像が建っている。

国会議事堂と無名戦士の墓
国会議事堂と無名戦士の墓
犬が寝そべるプラカ地区
犬が寝そべるプラカ地区

 アテネは近代的な都市だが、シンタグマ広場の西側にある旧市街のプラカ地区には、19世紀の町並みが残っていて、車の入れない細い通りが網の目のように入り組んでいる。ここには、観光客向けの土産物屋やタヴェルナ(食堂)が集まっているので、アテネ滞在中の夕食は、毎回プラカ地区で済ませていた。この日も、いったんホテルに戻って休んでから、プラカ地区に出かける。イスタンブールは猫の町だったが、アテネは犬の町である。たくさんの大型犬が、どういうわけかつながれもせず、通りを自由に闊歩しているのだ。車が来ないのをいいことに道の真ん中でべったりと寝ころんでいる犬がいたり、いきなり大型犬同士が道端で喧嘩を始めたりと、犬嫌いの人が見たら卒倒しそうな光景が町のあちこちで見られる。国会議事堂(旧王宮)の真正面に続くエルムー通りを歩いて行くと、付きあたりには小さな教会が建っていた。900年以上前に建てられたカプニカレア教会である。ここから南に向かうと、有名なパルテノン神殿が建つアクロポリス(丘)が見えた。また付きあたりになって、丁字路を左折し、アドリアノウ通りに入る。道が複雑なので、地図と首っ引きで歩かないといけない。賑やかな通りをしばらく歩き、旅行会社のくれた地図に載っているタヴェルナにようやくたどり着いた。

プラカ地区の夜
プラカ地区の夜
ギリシャ料理
ギリシャ料理

 タヴェルナの店内は壁じゅうに絵などが飾ってあって、洒落た感じになっている。暑いので通り側は、すべて開け放たれていて、表にもテーブルが置かれていた。店内のテーブルに座ってビールで乾杯する。コースの前菜は、トルコと同様、またヨーグルトが出てきた。オスマン帝国の後身であるトルコと、ローマ帝国の末裔を自任するギリシャとは、本来宿敵のはずだが、長い間、同じ国の中で暮らしていたので、人種的にも文化的にも共通する部分が多くなってしまっているようだ。たとえばギリシャのお酒といえば、蒸留酒の「ウゾ」が知られるが、この「ウゾ」は、トルコの国民酒でアタテュルクも愛飲した「ラク」と同種のものであるらしい。トルコ料理とギリシャ料理もなんとなく似たところがありそうだ。イスタンブールのトルコ料理もメインは羊肉だったが、ここアテネでもまた子羊(ラム)の肉がピラフ添えで出てきた。店の中ではギリシャ音楽のブズキを演奏している。妻がだいぶ眠くなってきたようなので、デザートのスイカを食べ終えてから店を出た。

前へ ↑ ホームへ 次へ
        9 10 11