YAGOPIN雑録 世界あくせく紀行 ブルー・モスク
 
 ● イスタンブール・アテネ編・1
7月25日・その1 ブルー・モスク
 

 「アッラーーーァーーフ・アクバル ラァーーー・イラッハーー・イラーッラーーーァ」

 2007年7月25日。トルコ共和国最大の都市・イスタンブールでの最初の朝は、まだ夜も明けきらないうちから町中に響き渡る、歌うような大音声で目が覚めた。「アザーン」と呼ばれるイスラム教の礼拝の合図である。冒頭は、数分間にわたって続くアザーンの最後の一節を無理やりカタカナにしてみたもので、アラビア語で「アッラーは偉大なり アッラーのほかに神はなし」を意味している。

 ホテル最上階での朝食は、パンと簡単な料理が並んだものであまり満足しなかったが、窓からの眺めだけはすばらしい。このホテルは欧亜両大陸にまたがるイスタンブールのヨーロッパ大陸側、その中でも旧市街に属する一角に位置している。眼下には旧市街と新市街とを分ける細い川のような金角湾が横たわっており、少し視線を右に移すと、その湾はボスポラス海峡に注いでいる。ボスポラス海峡には巨大な吊り橋・ボスポラス海峡大橋が架かっており、その橋を渡った向こう側、はるかに霞んでいる大地はアジア大陸の西の端である。反対側の窓外は旧市街の中心部にあたり、起伏に富んだ町並みから、イスラム寺院(モスク)のドームと、各寺院に付属した鉛筆のような形の高い尖塔がいくつも突出している。「ミナレット」と呼ばれる尖塔は、今朝、私を眠りから覚ました、例の礼拝の合図を流すためのもので、もともとは尖塔にとりつけられたバルコニーから肉声で「アザーン」を詠唱していたというが、このごろでは尖塔にスピーカーが付いていて、そこから「アザーン」を放送するようになっているようだ。

 朝食後、半日だけ市内観光のツアーがあることになっているので、ホテルのロビーでガイドさんと待ち合わせた。フセインさんという、若い男性ガイドが最初に連れていってくれるのは、イスタンブールで最も有名なイスラム寺院「スルタン・アフメット・モスク」である。かつてこの町を帝都とした「オスマン帝国」の第14代スルタン(皇帝)・アフメット1世が建設し、そしてかのスルタン自身が葬られていることからこの名があるが、「ブルー・モスク」という通称の方がよく知られているだろう。

 車で急な坂を登った丘の上の広場にブルー・モスクは建っている。「ブルー」とはいうものの、ドームは薄いグレー、石積みの壁面は灰白色であり、高さ43mにも及ぶ壮大な伽藍が、今日の抜けるような青空に美しく映えている。完成したのは1616年で、日本で言えば江戸時代。1709(宝永6)年に建てられた現在の東大寺大仏殿が高さ49mというから、建設年代・大きさとも比較的近いと言えるんじゃないかと思う。イスラム寺院につきものの尖塔は、多くても4本というのが普通だが、ブルー・モスクには伽藍と同色の尖塔が6本も建っている。それまで尖塔6本のモスクは、イスラムの信仰の中心・カアバ神殿を擁するメッカの聖モスクだけだったので、このモスクの出現は、メッカの住民の反発を招くことになり、しかたないので、スルタンは、聖モスクの尖塔を追加で1本寄進することによってメッカの不満をなだめたという。ちなみに聖モスクには、近年、もう2本の尖塔が追加されて、現在は9本になっているようだ。モスクの前には回廊で囲まれた白い石張りの広場があり、その中央には、顔と手足を清めるための水道が設けられている。この広場から直接建物の中に入るのが本来なのだろうが、観光客の私たちはモスクの右手に回り、そこで靴を脱いで、建物の側面からモスクの内部に入る。

ブルー・モスク
ブルー・モスク
ブルー・モスクの内部
ブルー・モスクの内部

 モスクの床はじゅうたん敷きである。じゅうたんは1人分の区画を示すような模様になっており、お祈りの時間には、信者がこの区画に沿って座り、聖地メッカの方角に向かってお祈りを捧げるそうである。天井からは、たくさんのランプ(現在は電灯化されている。)が吊り下げられて、ぼんやりと床面を照らしている。天井のドームや壁面にはステンドグラスをはめ込んだ窓が多数あいており、そこから入り込んだ陽光が、伽藍の内側を覆いつくした白っぽいタイルを照らしている。2万枚以上貼られているというこのタイルは、イスタンブールから南西に100kmほどのところにある、イズニック(古代名・ニカイア)という窯業の町で生産された「イズニック・タイル」である。そして、このモスクで使われたイズニック・タイルの青色が印象的であることから「ブルー・モスク」の異名があるのだという。確かにドームや柱などに藍色を少し淡くしたような美しい青色の装飾があり、その他の箇所にも青色の模様が散りばめられているのだが、しかし、模様には赤色など他の色彩も多く使われており、それより何よりタイルの地色が真っ白であるため、どちらかというと白っぽく感じられる。イスラム教は偶像崇拝を徹底的に排するから、タイルに描かれているのは、植物が這っているような幾何学模様や、金字で書かれたアラビア文字ばかりで、人物や動物などは何もない。「象の脚」と呼ばれる太い柱で支えられた高いドーム天井の下には、もちろん大仏がおさまっているわけでもなく、まさしくがらんどうである。メッカのカアバ神殿の方角を指し示す「ミフラーブ」と呼ばれるくぼみと、最上段は預言者マホメットのために空けられているという、階段の付いた説教壇があるばかりで、宗教的な空間としてはなんとなく物足りない。まるで逆さまにした巨大な陶磁器の壺の中にいるような印象である。

 話は飛んで帰国の日、イスタンブール国際空港で、成田行きの飛行機の時間を待っていたときのこと。近くにいた親子が、荷物から小さなじゅうたんを取り出し、それをおもむろに床に敷いて、イスラム式の礼拝を行いだしたのを目にした。そこは美しいイズニック・タイルやステンドグラスの代わりに、近代的な大型ガラスに囲まれ、あまつさえ、その向こうではジェット機が行き交っている空港ロビーである。しかし、それでも、その親子の周囲には、観光客ばかりのブルー・モスクでは感じ得なかった、何か宗教的な空気のようなものが流れ出したように思われた。そこで私はようやく気付いた。すなわち、イスラム教にとって重要なのは、祈る場所なのではなく、祈るという行為そのものなのだと。そして、かつては遊牧民族であったトルコ人がイスラム教を選んだのは、大きなモスクのある町に定住しなくとも、小さなじゅうたん一枚で、信仰とそれに基づく結束を守ることができたからではないだろうかと想像した。

 もっとも、現代のトルコ共和国は、国民の99%がイスラム教徒でありながら、建国以来、政教分離を国是としているため、イスラム諸国の中でも脱イスラムの傾向が最も強い国の一つである。イスラムとの結びつきの強いアラビア文字は廃止されてローマ字に置き換わり、イスラム圏の国々で女性が全身を隠すために着る「チャドル」という衣装も禁止されている。イスタンブールの町でも、顔までは隠さなくとも黒い衣装を頭からすっぽりかぶっているような女性に出会うことがあるが、ガイドのフセインさんいわく、そういう人はトルコ人ではなく、周囲のイスラム教国から来た人なのだそうである。確かに町を歩いている、大多数の人は色とりどりの服を着ていて、まったくと言っていいほど欧米人と見分けがつかない。フセインさんは、欧米というよりどちらかといえば中東系の顔立ちだったが、それでもギョーザが大好きだなどと言っていたところを見ると、この人も敬虔なイスラム教徒とはとうてい言えそうにない。なにしろコーラン第5章には、豚肉を食べてはいけないことがはっきり記されており、トルコ航空の機内食には、豚肉を使っていないことを示す、豚の絵にバツ印をつけたカードがついていたくらいなのである。

 
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