YAGOPIN雑録

世界あくせく紀行

ブルー・モスク

● イスタンブール・アテネ編・3

7月25日・その3 トルコ料理

 私がイスタンブールに行きたいと思ったのは、高校生のころからである。どうやら高校の世界史の先生の専門がこの地域の歴史であったらしく、イスタンブールの前身であるコンスタンティノポリスを都とした後期のローマ帝国のことなどについて殊更詳しく説明してくれたためであろう。また、遭難したトルコ(オスマン)軍艦の乗組員を日本人が保護したエルトゥールル号遭難事件や、トルコの宿敵・ロシアを破った日露戦争などを通して、トルコの国民感情が親日的だということを聞いていたからかもしれない。しかし、なかなか機会は訪れず、私が実際にイスタンブールの地に足を踏み入れることができたのは、それから十数年を経た、新婚旅行のときを待たなければならなかったのだった。そして、かねてよりイスタンブールに行く機会があれば合わせて、と思っていたギリシャも旅行の行程に加えることにした。後述するようにトルコとギリシャの歴史は深く結び付いているのであるし、トルコの方にはまことに申し訳ないことなのだが、新婚旅行の行き先は、ギリシャだと言っておいた方がなんとなく周囲の受けが良さそうだという事情もあった(しかし、実際私が本当に行きたかったのは、イスタンブールであるので念のため。)。

 ところが、2007年のトルコの夏は、異常気象により毎日40度近い酷暑が続いていた。絶えず水分を補給していなければ、脱水症状を起こしかねない暑さであり、町じゅうのキオスクにも、大量のペットボトルが山積みされている(ちなみに「キオスク」は、トルコ語で「あずまや」のことである。)。午前中はまだなんとか過ごせたが、午後になるとますます暑い。ガイドのフセインさんと別れた後、市内を走っているトラムヴァイ(路面電車)に乗って、新市街の方へ行ってみたが、市内の目抜き通りであるイスティクラール通りを歩いているうちに、妻の機嫌がどんどん悪くなっていくので、14世紀に建てられたガラタ塔にだけ登って、いったんホテルに戻ることにした。

ガラタ塔から旧市街を眺める。
ガラタ塔から旧市街を眺める。

 再び外に出たのは、日が傾いて、いくぶん涼しくなってからのことである。私たちの泊まっているホテルは、金角湾に面したエミノニュ桟橋のすぐ近くで、ここはイスタンブールの交通の結節点とも言えるような場所だった。エミノニュ桟橋は、ボスポラス海峡を横断してヨーロッパとアジアをつなぐ各種のフェリーの乗り場であり、桟橋のすぐ隣には大きなバスターミナルもある。また、ヨーロッパ側の鉄道の終点であり、かつてはパリ行きのオリエント急行が発着したシルケジ駅も目と鼻の先にある。金角湾には、旧市街と新市街を結ぶガラタ橋が架かっていて、橋の上をトラムヴァイ(路面電車)が走り抜ける。このガラタ橋は大きな船の運航を妨げないよう、かつての東京の勝鬨橋同様、中央部が跳ね上がるような構造になっている。新市街側には世界で2番目に造られたという1駅間だけの地下鉄があり、ガラタ橋のたもとと、高台にあるイスティクラール通りを結んでいる。

 エミノニュ桟橋の周辺には、イェニ・モスクというイスラム寺院や、エジプシャン・バザールなどがあるが、「ブルー・モスク」や、グランド・バザールとは違い、あまり観光化されてはいない。桟橋を歩いていると、屋台のおじさんから日本語で「サバサンド!」と声を掛けられる。パンの間に焼いたサバの切り身を挟んだ「サバサンド」は、エミノニュの名物だが、残念ながらイスタンブール滞在中に一度も食べる機会がなかった。

 桟橋を一回りしてから、シルケジ駅の方を通り、坂を登って、今晩のレストランを探す。昼食はバーガーキングで済ませてしまったので、夕食はちゃんとしたトルコ料理を食べることにした。家庭料理風の小さな店だったが、私たちが席に着くと、日本語のメニューをくれた。EFESというトルコのビールと前菜の盛り合わせ、トルコ風のハンバーグである「キョフテ」、羊肉と野菜の壺焼きを注文する。前菜はヨーグルトがけの和え物などで、「ヨーグルト」という言葉自体がトルコ語起源であることからも分かるとおりトルコではポピュラーな食べ物だが、正直言ってあまり口に合わなかった。一方で、キョフテや、チーズのかかった壺焼きは、どちらも付け合わせにピラフが添えてあって、普通に美味しく食べられる。ビールを飲みながら、開け放たれた入口ドアの向こうを見ると、白いきれいな猫がこちらをのぞいている。お店の人が何かあげているのを見ると、どうやらこの店で飼っている猫らしい。イスラム教を開いたムハンマド(マホメット)は、大変な猫好きだったそうで、イスラム世界では猫をいじめると地獄に落ちるとまで言われているそうである。そのせいか、イスタンブールの街なかでは、堂々と往来を歩く猫の姿をよく見かけ、ターミナル駅であるシルケジ駅の構内にまで猫がいた。

羊肉と野菜の壺焼き
羊肉と野菜の壺焼き
シルケジ駅構内の猫
シルケジ駅構内の猫

 食事を終えて、ほろ酔い加減でブルー・モスクの方へ散歩する。ブルー・モスクの周辺は、夜になっても人出が多い。ライトアップされたブルー・モスクが闇に浮かび上がって、幻想的な雰囲気になっている。近くのレストランで、ちょうど旋舞をやっていたので、店の外からしばし眺める。この「旋舞」は、もともとイスラム神秘主義のメフレヴィー教団が、踊ることによって神との一体性を高めようとしたものなのだが、今ではその風変りな踊りが宗教を離れて観光の対象となっている。何が風変りかといえば、この踊りは「旋舞」の名のとおり、ズボンの上に長いスカートのような白装束を着た男性が、そのスカートの端をはためかせながら、音楽に合わせてひたすらに旋回し続けるのである。回り続ける人を見ているとこちらまで目が回りそうだし、音楽もこれまた単調で、5分も見ればもう十分なように思えた。

 ブルー・モスクの傍らには、ローマ時代に競技場があった広場があり、その中に立っている、エジプトから運ばれたオベリスクや、ギリシャから運ばれた円柱など、とてつもなく古い記念物を眺めた後、トラムヴァイ(路面電車)の駅に向かっていると、また例の「アザーン」が流れ出した。夜の10時半という時刻にしては多くの人が歩いているが、「アザーン」が流れたからといって特別な行動をとっている人は一人も見当たらない。異邦人にとっては珍しく聞こえても、この町の人にとっては日常の一部なんだろうなと思いながら、私は、ライトアップされた寺院の尖塔を見上げた。

ライトアップされたブルー・モスク
ライトアップされたブルー・モスク
旋舞する人
旋舞する人

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