YAGOPIN雑録

世界あくせく紀行

ニューヨーク

● アメリカ編・ボストンの伝統PARTⅠ

8日目・11月15日(金曜日)

 2時すぎ、目を覚ましたらニューヨークのペン駅だった。前にも書いたとおり、ここまで電化区間で、ここからは非電化区間になるので機関車を付け替えているようだ。がくん、という揺れ。トイレに行きたいが停車中は使用しないでくださいと書かれているのでちょっと我慢する。

 6時ごろ、また目を覚ます。中山も起きた。車掌さんが下の寝台を片付けに来て、それから朝食を持ってまたやってきた。そうなのだ。アメリカの鉄道では、機内食の感覚で食事がつくところが多いのだ。この「ナイト・オウル」では朝食のみついてくる。エッグマフィンとフルーツ、オレンジジュースとコーヒー。マクドナルドのブレックファストに毛の生えたようなものだが、けっこうおいしかった。食べおわってあと30分程で到着かと思ったら、なんかもう大きな街の中を走っている。ヘンだな、と思うまもなく、車内放送が入って終点のボストン南駅。いくら終点とはいえ、夜行が予定より30分も早く着くのは勘弁してほしい。昨晩はあまりよく寝られなかったし、もう眠くてしかたがない。ヨーロッパの駅によく似たボストン南駅のベンチにぼーっと腰掛けながら、今後の予定を話し合った結果、まあ、なにはともあれホテルに向かおうという話になった。

 荷物が重かったのでタクシーで、ということになった。ホテルに着いたが、さすがにこの時間では部屋が開いていないので、荷物をポーターにあずかってもらい、そのまま市内観光に向かうことにする。例によって、中山主導で計画は決まり、今日はボストン美術館で絵画を堪能したあと、シンフォニー・ホールでオーケストラ、という文化的な一日を過ごすことになった。アメリカ最古の公園であるボストン・コモンの角にある地下鉄グリーンラインの駅の階段を降りる。大学の多いボストンでは地下鉄も学割で乗れるらしく、試しに国際学生証を見せたのだが、なにか特別な証明書が必要らしくてダメだった。ニューヨークもそうなのだが、ここでは地下鉄に乗るのに切符でなく、トークンというコインを使う。窓口でトークンを購入し、それをターンテーブル式の自動改札に放りこむと、バーが回ってホームに入れるのである。ちなみにこのボストン地下鉄のトークンは、日本の一円玉とまったく同じ大きさで、くれぐれも悪用しないでください、などとガイドブックに書かれていたが、正直者の僕らはもちろんそんな悪いことはせずに、というか単にそのことに気が付いたのがボストンを出てからだっただけなのだが、とりあえず何枚かトークンを買って、使わない分はお財布のなかに入れておいた。運賃は85¢で、ニューヨークの地下鉄が$1.50であることを考えると、これはかなり安い。

 電車が入ってきた。なんと、路面電車だった。2両編成の路面電車を2つつなげて4両にしたものが、地下鉄を走っているのだ。ホームも路面電車用の低いホームである。駅を出ると車輪をきしませながら直角カーブを曲がる、こんなところもまるっきり路面電車だ。どこかで道路に出るのではないかと期待していたが、結局シンフォニー・ホール駅までずっとトンネルの中だった。

 駅を出ると人が並んでいる。午後のオーケストラの当日券を買う人たちだ。その列に加わり、前に並んでいる人々を見渡すと年配のマダム層が中心のようである。「常連」といった感じの人が多く、楽しそうにおしゃべりを交わしている。しかし、それにしても寒い。今日の気温は5℃以下。日陰のふきっさらし。列は一向に進まない。よく見ると前のおばさん連中はみんなものすごい厚着をしている。そんななか30分くらいは並んだだろうか。ようやく買えた。7ドルという値段は世界的なオーケストラの演奏を聴くのには、たぶん格段に安いのだと思う。

 券を買ったので、今度はボストン美術館まで歩いていく。歩いていくと、そのうち、道路の真ん中がぱっくり割れて、中からさっきの地下鉄が出てきた。道路に出てくると、ちゃんと路面電車になっている。ノースイースタン停留所。ノースイースタンユニバーシティが近い。日本語にすると東北大学か、などと言いながら学生街らしい街並を歩いていくと美術館だった。中に入るとわりと落ち着いた感じ。有名な美術館は、だいたい人がわさわさと多くてゆっくり見ていられないが、ここは比較的静か。でも展示している絵はミレーの「種まく人」を始めとして大作ぞろいである。

 今回の旅ではメトロポリタン、MoMA、ワシントンのナショナルギャラリー、そしてボストンと4つの美術館に行った。ほかに前にルーブルに行っているので、西洋の有名な画家の有名な絵はあらかた見てしまったような錯覚をおぼえる。そしてこれだけの絵を見てくると、絵画という芸術の発展というものが、リアルに分かってくるようだ。あるひとりの画家の初期の作品から晩年の作品まで、あるいはルネッサンスから現代美術に至るまでの道筋みたいなものが見える気がする。僕は別に絵画に詳しいわけでもなんでもなくて、ほんとに高校の授業で習った程度の知識しか持ち合わせていないんだけれども。

 別のところでも書いたけど、ボストン美術館は日本美術のコレクションで有名で、日本刀なんかもたくさん展示してある。浮世絵も「名所江戸百景」がずいぶん集められていて、いちいち細かい解説がついている。「深川万年橋」の絵には、万年橋ブリッジの万年は、テンサウザンズイヤーズの意味で、橋の前景に亀が描かれているのは日本では亀はテンサウザンズイヤーズ生きる動物とされているからだ、とか、「市ケ谷八幡」の絵では、市ケ谷八幡シュラインはもとはショーグンの親戚、尾張家の屋敷にあって、この尾張家の屋敷は現在、セルフディフェンスフォースの基地になっていて、1972年にここで文学者のユキオ=ミシマがハラキリしたとか、なかなか詳しい。しかし残念なことにこれらの絵に興味を示すアメリカ人はあんまりいないように見え、日本人のおばちゃんとかおっさんとかが、あらあら浮世絵があるわよ、浮世絵、ああ、ほんとだほんとだ、てな風に喜んでいるだけで、せっかくの解説なのにもったいないという気がする。

 まあ、ともかく見おわったのでカフェテリアで飯を食って、今度はシンフォニー・ホールに向かった。古風なホールで、内部もなかなかすばらしい。3階の隅っこのほうで、あんまりいい席じゃないが、安い券だけに仕方なかろう。だんだん席がうまっていき、ほぼ満席になったところで、演奏が始まる。タクトを振るのは、そう、あの小沢政爾なのだ! が! 豚に真珠とはまさにこのことを言うのであろう。はっきり言って僕は音楽、ことにクラシックなんかじぇんじぇん分かりませんという人間なので、1曲目のハイドンと2曲目の武満徹(コーラスがつくのだが、原詞が日本語なのを英語に訳してある)がおんなじに聞こえたりするあほうだったりするのである。で、僕に音楽の感想を求められても、困っちゃうのだが、とりあえず、「見て」分かったことだけ(普通、音楽は聴くものなのだがな)書いておくと、まあ、なんか小沢さん生き生きと振っているように見えましたね。お客さんの方も、彼が日本人である、ということは別に関係なしに惜しみなく拍手喝采していて、なんとなくこの旅の中で日本人に対してアメリカの人間は冷たいような印象を受けていたので、それは少しうれしかった。しかし、小沢政爾、頭でかいね。髪の毛が多いからそう見えるだけなんだろうけど(うう、くだらない…)。

 演奏がおわって、ホールを出てからは、ボストン市街をぶらぶらと歩き、プルデンシャル・タワーという高層ビルの展望台に上がったり、そのすぐ近くにある古いトリニティ教会を眺めたりしながらホテルまで戻った。ボストンは、アメリカの中では治安の良い街で、犯罪は起こる街で集中して起こっているから、そういう危険地域に足を踏み入れなければ大丈夫とされている。ホテルに帰って、夕飯はホテルのレストランで食べる。何頼んだかもう忘れたが、パスタかなんかだっただろうか。それでビールもつけてもらったのだが、僕だけ「IDカードをお願いします」。おいおいおいおいおいおい! ビールは18歳以上だろ!(お酒は21歳からなのだが、ビールだけ18歳から飲めるのだ)中山はがっはっはと笑っている。

 「マサチューセッツは酒関係に厳しいんだ。それに日本人ってのは若く見られるらしいからな」

しかしなあ、それにしても僕だけってのは喜ぶべきか悲しむべきか。いくらなんでも、18歳未満には…、見えないよなあ。

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