YAGOPIN雑録

世界あくせく紀行

ニューヨーク

● アメリカ編・ワシントンの風雪

7日目・11月14日(木曜日)

 翌日はみぞれまじりの天気だった。地下鉄に乗り、荷物をユニオン駅のコインロッカーにたたきこんでから、メトロセンター駅まで戻る。まっすぐに歩くとラ=ファイエット広場。ホワイトハウスの裏側である。参観希望の受付にはもうだいぶ人が並んでいた。社会科見学っぽい高校生くらいの連中がたくさんいるが、東洋系の人間は案外少ない。

 人間は金属探知機を、荷物はX線探知機を通ると中に入れた。ホワイトハウスの歴史の展示。第2代アダムズ大統領の時代から少しずつ増築されてきたというからすごいものだ。歴代の大統領の肖像画がなんの脈絡もなくあっちこっちにかかっている。高校時代、世界史マニアだった僕にとっては楽しいことこのうえない。初代ジョージ=ワシントンの有名な像は、イースト・ルームにあった。ここは暗殺されたケネディの遺体が一時安置されていた場所だそうだ。グリーン・ルームとレッド・ルームは、その名の通り緑と赤が基調になっている。主が代わると部屋も模様替えすることが多いらしく、今の部屋はヒラリーさんの好みなんだろう。ブルー・ルーム。グローヴァー=クリーヴランドが第22代大統領だったときに結婚式をあげた部屋。ちなみに新婦は21歳でクリーヴランドより30も年下だった。

 「THE PRESIDENT」 という歴代大統領の解説書を買って帰る。ホワイトハウスにかかっている肖像画がみんな載っているのがいい。ロンドンにいったときも「KINGS & QUEENS」という歴代国王の解説書を買っていった。どうもこの手のものに弱いようだ。みぞれの降りしきるなか、記念撮影。寒い。こごえながらワシントン記念塔の近くを通り過ぎ、リンカーン記念堂に向かう。中央にリンカーンの巨大な像。左側の壁に有名なゲティスバーグでの演説の全文が彫られているので「GOVERNMENT OF THE PEOPLE BY THE PEOPLE FOR THE PEOPLE SHALL NOT PERISH FROM THE EARTH.」の部分を探して写真を撮る。しかしギリシア神殿風のこの建築はふきっさらしでとても寒い。

 次に向かったワシントン記念塔は、高い建物が禁止されているワシントンの市街地でひときわ目立つオベリスク。高さは 555フィート、約 170mある。エレベーターで上へ登れる。天気が悪いので視界はよくないが、それでもワシントンの街並はよく分かる。東西方向に走る「モール」と呼ばれる幅 600mほどの公園道路を中心に各種のモニュメンタルな建築が配されている。ワシントン記念塔の真東が国会議事堂。真西がさっきのリンカーン記念堂。真南がジェファーソン記念館で、真北がホワイトハウス。モールの端を通っているのは北側が憲法通り、南側が独立通り。その2つの通りを挟んで内側には博物館群。外側には官庁街。すばらしく計画的に造られた街だ。ワシントンが公園都市と称されるゆえんである。そのモールを歩いてスミソニアン博物館に向かう。といっても「スミソニアン博物館」という博物館があるわけではなく、スミソニアン協会に加盟している博物館群を総称してそう呼んでいるだけのことである。そのうち、まずはナショナル・ギャラリーに入る。複雑な構造でどこがどこやら見当もつかないでいるうちに、とにかく上に上がろうと階段を上ったら踊り場に見たことのある絵がある。ダリの「最後の晩餐」だ。あんまりさりげなくかかっていたので、びっくりした。こんな風にすごい絵がぼんぼん置いてあるのが欧米の美術館のすごいところなんだよなあ。

リンドバーグの飛行機(上)とライト兄弟の飛行機(下)
リンドバーグの飛行機(上)
とライト兄弟の飛行機(下)

 また待ち合わせ場所に指定したカフェテリアに戻るころまでにはだいたい見られた。18世紀から19世紀初頭フランス絵画というけっこう重要な部分が改装中で見られなかったのは残念だったが、スペイン絵画とか、印象派とかなかなかよかった。東京に来ていたときに見たモネの「ルーアン大聖堂」なんかもここにかかっていた。昼飯を食ったらみぞれは小止みになってきた。今度は向かい側の航空宇宙博物館に行く。ライト兄弟の飛行機とリンドバーグの飛行機が並んで宙吊りになっている。隅っこの方に並べてあるのは…、げげげ。INF(中距離核ミサイル)じゃないか。しかもアメリカのと「CCCP」(旧ソ連)のが並べて置いてある。月の石に触れたりする。ゼロ戦がメッサーシュミットなんかと並べてある。問題の「エノラ・ゲイ」の展示を見にいく。あのヒロシマに原爆を投下した戦闘機だが、退役軍人からクレームがついて当初予定していた展示の趣旨からかなり離れた展示になってしまったという話を新聞で読んだ。機体全部は一度に展示できないほど大きなものなので、各パーツごとに分かれた展示になっている。胴体部分に「1945年8月6日」という説明文が書かれていた。

 段落は2つに分かれている。前の段落は原爆の投下についての客観的説明。後半の段落は…、おそらくこれはクレームを受けてから付け加えたものだろう。原爆投下によって日本が早く降伏することになった。原爆投下によってアメリカの多くの将兵の命が救われた…。うんぬん。原爆投下を正当化するあらゆる文句がそこに書き連ねてある。ビデオの放映もやっていたが、そこでもやっぱり原爆は「華々しい戦果」以外のなにものでもなかった。それを見たときはさすがの僕も感情的にならざるをえなかった。でも。アメリカにしてみれば、原爆は悲惨です→悲惨な戦争はやめましょう、とは今でもやっぱり言えないのだ。そういうジレンマを抱えたアメリカがどれだけの悲劇を生んできたか。そしてこれからも…。それを考えると、その説明文やビデオもただの虚勢のように見えて悲しい。

 航空宇宙博物館を出たら外は晴れていた。もうすぐ閉館時間だが、あと30分くらいは見られるだろう、と自然史博物館に赴く。ありとあらゆる生物の剥製がそこには飾られている。たとえばヒョウだったらユキヒョウとか(あんまり白くなくてちょっとがっかりした)とかウンピョウとか、動物園で見られないような稀少品種もちゃんと飾られている。いいなあ。こどものころ、こういう場所が近くにあったら、きっと毎日かよってるよ。そうそう、書き忘れたけど、ワシントンでは博物館のたぐいはみんな無料なのだ。ホワイトハウスはもちろんのこと、ワシントン記念塔もナショナル・ギャラリーもみんなタダだったのだ。こういう観覧料というのはけっこう財布にひびくものなので、その点はありがたい。

 時間になって警備員に追い出され、しかたなく駅に向かって歩いていく。国立公文書館、連邦裁判所、労働省などの建物が並んでいる。ルイジアナ通りに入る。ひとけがすくない。ワシントンのこちら側はあまり治安のよろしくない場所ときいているが、特になにごともなくユニオン駅に着いた。駅で「ライス・ボウル」という中華のファースト・フードを食べる。ご飯や麺の上に自分の好みのトッピングを乗っけていくもので、これはおいしかった。食べおわってから駅の構内をうろつく。

 …寝台車をご利用のお客さまは特別待合室の方でお待ちください…。

 切符を買ったときの駅員のおばさんのことばを思い出し、ロッカーの荷物を取り出してその特別待合室とやらを探す。なんだか立派な扉がある。おそるおそる開く。切符を見せて荷物を預ける。すごい。デラックス。細長い部屋だが、待っている人はあまりいない。ソファーにゆったりと座ってVIP気分を味わう。ジュースやコーヒーは勝手に飲めるので、これも料金のうちとがぶがぶ飲んだらトイレに行きたくなった。トイレも専用のものがある。列車案内がなかったら駅にいるということを忘れそうだ。今日は寒かったし、かなり歩いて疲れていたが、その疲れもどこかへ飛んでいった。

 「10時発(こちらはあまり24時間制をとっていない)ボストン行き『ナイトオウル』まもなく入線いたします」

 快適な部屋を出、重い荷物をかついでホームに向かった。この列車も「ノースイーストダイレクト」だが、別に「ナイトオウル(夜のフクロウ)」という愛称もついている。ドアの前に立っている車掌さんに切符を見せると寝台まで案内してくれた。何両つないでるのか知らないが寝台車は最後尾だけのようである。あとはコーチ(座席車)だ。

 寝台は2人用個室寝台だった。あんまり新しい車両ではないし広くもないが、洗面所とトイレがついているのがありがたい。寝台は下の方が寝やすいというのが常識だが、僕はどちらかというと上段の方が好きなので(下段だと上の人がトイレに行ったりするときに目が覚めそうな気がするのだ)自発的に上に行く。アメリカ人の体格に合わせてばかでかいベッドを想像していたのに、なんだか窮屈なベッドだ。身長165cmの僕でも長さがちょっと足らないような気がする。荷物を片付けていると何の前触れもなく出発となった。車両の最後尾に行って窓から後方をふりかえった。ポイントを越えるがたがたという音とともに、ワシントンの灯がだんだん小さくなっていった。

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