YAGOPIN雑録

世界あくせく紀行

ニューヨーク

● アメリカ編・ニューヨークの喧騒PARTⅡ

5日目・11月12日(火曜日)

 「セントモリッツオンザパーク」という名の通り、僕らのホテルは目の前がセントラルパークである。朝食後にセントラルパークをぶらぶら歩いてメトロポリタン美術館までやってきた。大英博物館とルーブル美術館に並ぶ世界三大ミュージアムのひとつ。また世界四大美術館というと、こことルーブルとエルミタージュと故宮になるらしい。

 昼飯どきのカフェテリア前を待ち合わせにしてひとりで見ていくことにする。巨大な美術館だが、時間はあまりないので、とりあえずヨーロッパ絵画だけ見にいく。ルーベンス、レンブラント、ヴァン=ダイクの師弟。全作品をあわせても40作ほどしかない寡作の画家・フェルメールの絵が5枚も展示されている。コローの展覧会をやっている。印象派。後期印象派。駆け足でひとまわりした。まだ30分あるので残りも見て回る。日本美術のコーナーには庭園や書院まで造られていて驚きだ。エジプトの神殿がそっくりそのまんま置かれているコーナーもある。待ち合わせの時間になった。

 昼飯を食べながら地球の歩き方を見なおしてみると、ありゃりゃ、ダヴィッドの「ソクラテスの死」を見忘れたなあ、などといろいろ見落しがみつかったりしたのだけれど、しかたない。バスで今度はMoMAの名で知られる近代美術館(Museum of Modern Arts)に行く。本当は明日見にいくはずだったのだけれど、実は明日は休館日だったことに気が付いたのだ。メトロポリタンは印象派あたりまでが中心で、それ以降の大作はMoMAの方にある。MoMAはわりと小さな美術館だけれど、このあとの予定を考えると制限時間は1時間といったところで、有名どころの絵を見ておしまいという程度になってしまう。とりあえず見るべきなのはゴッホの「星月夜」とピカソの「アビニョンの娘たち」、シャガールの「私と村」の3点だが、とくに「星月夜」は、ゴッホの崇拝者だった小学校の図工の先生が何度も教科書で見せてくれたのですごく印象に残っている。あれから10年も経って本物を見ることができたというのはとても感慨深い。

 MoMAにはそのほかにも写真やデザインなどあらゆる近代美術が展示されている。東京のごちゃごちゃした街並を写した写真があり「オウム真理教対策協議会」なんて看板が写っているのを、たぶん日本語が読めないであろうアメリカ人が真剣な顔で見ている。「走る芸術作品」フェラーリの展示もある。とりあえず見終わって最後の15分くらいは部屋いっぱいに展示されたモネの「睡蓮」の前でぼーっとしていた。時間になって待ち合わせ場所に戻る。中山はダリを見忘れたといってまた見にいった。美術館を出て、タイムズスクエアと駅で用事を済ませるとそろそろ日が暮れる。ちょうどいい頃だ。エンパイアステートビルの展望台にのぼる(といってもキングコングの真似をするわけじゃないよ)。80階でエレベーターを乗り換え、86階の展望台へ。日本だと高層ビルの展望台はたいていガラスの中だけれど、ここは当然のように外に出られる。空が茜色から紫色、藍色から漆黒の闇に染まる。金色の光の粒が足元を覆う。………。ニューヨーク観光に来る誰もがきっとこの風景を見るであろう、ありふれた風景。しかし、僕はそれまでにも、またそれ以後も、これ以上の夜景を見たことがない。ひょっとすると世界一の夜景かもしれない。

(左上)ニューヨーク港方面。
(上)中央左にクライスラービル。
中央右に国連本部。遠くに
ケネディ空港に降りる飛行機の光。
(左)マンハッタンを貫く五番街。

 最上階の102階にも展望台があるのでそこまでのぼったが、102階はすごく狭くてなんだか滑稽だった。降りてきて夕飯を食べる。今日はピザにした。アメリカでもこういうイタリアンなんかはけっこうおいしいのだ。8時前になったので今日の最後の目的地・ブロードウェイへ。ブロードウェイといえば…そう、ミュージカルを見たのである。さっきタイムズスクエアで半額の当日チケットを手に入れてある。英語の分からない僕が、せめて話の内容は知っているやつがいい、といって「レ・ミゼラブル」になった。安いチケットだから2階席だけど、真ん中辺だったから不都合はない。開場。「ジャン=バールジャ~ン!」。牢屋の場面で看守のジャベールが叫ぶ。回り舞台ひとつで歌に合わせて実にテンポよく話が進んでいく。照明の技術がすばらしいんだな。かわいそうなコゼットのお母さんが伏せっている場面。「コゼーット…!」。がくっ。ぱっと照明が白くなることで死が表現される。場が変わって子供のコゼットが働いている宿屋。コゼットの声はかわいいね。コゼットを養っている宿屋の夫婦はいかにも悪役なんだけれど、すごくコミカルで面白い。ことばが分かったらもっとずっとおもしろいんだろうけど身振りだけでも十分に笑える。ジャン=バルジャンがコゼットを迎えにくるとそれまでぞんざいに扱っていた彼女を急に可愛がり、わざとらしく大げさな泣き真似をしてジャン=バルジャンから金をせびろうとする。そしてコゼットは子役から大人になってバリケードの場面から下水道の場面へ。排水溝の影ひとつで下水道の雰囲気が出ている。ジャベール登場。ジャン=バルジャンを見逃して、自分はセーヌ川に身投げする。この場面、どうやって表現するのか楽しみだったんだけど、…、あっ! なーるほど。 というわけでここは秘密です。

 最後にジャン=バルジャンが息を引取り、話の中で死んでしまった人たちが再登場して白い照明のなかで彼を天に連れていくとおしまいになる。ぱちぱちぱちぱちぱち。3時間ほどの公演で時刻は夜11時になった。ニューヨークではもう外に出るべき時間ではない。でも、ホテルまでは1kmくらい。微妙な距離だ。歩くか、タクシーを使うか。タクシーだって安全だとは限らない。大通りを歩けば大丈夫だろう。歩くことに決まった。あさはかな考えだった。

 知っている人も多いと思うけど、ニューヨークの街は東西方向の道路が34th street (34丁目)のようにstreetで、南北方向の道路が5th avenue (5番街)のようにavenueで表される。7番街-57丁目-6番街と歩けばメインストリートを通ることになるので安全だろうということになった。歩きながらもさっきのミュージカルの話になる。ヒロインのコゼットよりも宿屋の娘役の女の子の方がうまかったということで意見が一致する。と、そのとき!

 「がちゃん」

 何かが割れた音がした。僕には何があったのか分からなかった。気が付いたら中山が隣にいない。中山は黒人の兄ちゃんに詰め寄られていた。「Sorry.」と言って中山は先へ進もうとする。はばまれる。もう一度「Sorry.」。ついに壁ぎわまで押し切られてしまった。「…だから、Sorry.」。黒人がうじゃうじゃ言っている。やっぱり何があったのか分からない。僕はおろおろしながら、逃げちゃえ、逃げちゃえ、と手真似するばかりのなさけなさ。そのうち様子が変わってきた。

 「Fifteen.」「No. Two dollers.」

 「Ten.」  「No. Two.」

 「Eight.」 「No. Two.」

 「Five.」  「Two.」

 「Three.」 「TWO!」 「OK.Two.」

中山は財布から金を出して解放された。何があったのか聞いてみた。

 「いや、あいつがぶつかってきて、持ってたジュースの壜が割れたんだ。それで$20弁償しろっていうんで、$2まで値切ってやった。もしかするとジュース買うのに$1くらい使ってるかもしらんからな。$2までは下げられると思ったんだ」

おおお。すごいぜ。さすが経済学部生。

 「日本人は、あんなので簡単にほいほい$20払っちまうんだろうな。ああ、でも$2でも悔しい!」まあ、$2くらいならいいじゃないか、勉強代、勉強代。…でも、危険はこれだけじゃなかったのだ。57丁目と6番街との交差点で信号待ちしていると今度は白人の2人組が僕らに近付てきて何事かをつぶやいた。僕はぜんぜんシカトを決め込んでいたし、ヒアリングもできないから、最後の「カフェ」という単語しか聞き取れず、信号が変わるとさっさと道路を渡った。渡り終わったところで中山が言った。

 「…お、おい…。今のやつらの言ったこと、聞こえたか?」

 「…ん? 喫茶店がどうとか言ってなかった?」

 「バカ! あいつらはなあ、こういったんだよ。

  Do you like… HARD DRUG CAFE?」

ひえええええええええ。やっぱり夜のニューヨークは危険だあああ!!!

(ただし、後日、「あれは、HARD DRUG CAFEでなくて、HARD ROCK CAFEと言っていたのかもしれないなあ。」と中山は言っていた。)

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