YAGOPIN雑録

世界あくせく紀行

ニューヨーク

● アメリカ編・ニューヨークの喧騒PARTⅠ

4日目・11月11日(祝日「退役軍人の日」)

 イースト川の河底トンネルを抜けるとマンハッタンだ。グランド・セントラル駅でバスを降り、タクシー乗り場に並んでいるイエローキャブのドアを開ける。

「セントモリッツオンザパーク」

 中山が運転手にホテルの名を告げた。

 眠い。昨晩はサンフランシスコ22時発の飛行機で、ニューヨークのJFK空港に着いたのは朝6時だ。飛行時間は8時間? いやいや時差を忘れちゃいけない。太平洋時間のサンフランシスコと東部時間のニューヨークでは3時間の時差がある。つまり時差を差し引けば昨日の夜は5時間しかなかったのだ。しかも…、寒い。昨日のサンフランシスコは20℃、一昨日のロスアンゼルスなんか30℃超していたのに、今朝のニューヨークは10℃もない。

 「よし。朝飯、食いに行こーぜ」

 でも中山は元気だ。僕もしかたなくそれに引きずられていく。一昨日はTシャツ1枚だったのに、今日はマフラーと手袋をして街に出、近くのマックで朝食を済ませる。57丁目から地下鉄に乗る。落書で有名だったニューヨークの地下鉄だが、今は落書の消せる日本製車両が大量に入っているのできれいである。最後の抵抗で窓ガラスに落書が彫りこまれているが、地下鉄なのであんまり目立たない。マンハッタン島を縦断してレクターという駅で降りる。古めかしいトリニティ教会のすぐ裏側が、あのウォール街。高層ビルが立ち並び、日が当たらない通りだ。証券取引所の前に人が並んでいたので、僕らも並んでみることにすると、なんと取引所の中に入れてしまった。テレビでときどき映る立会場。僕は兜町のそれも見たことがあるけど、東証に比べると、大きなテレビ画面やそれに接続するぶっといコードがあちこちにぶらさがっていて、なんだか圧迫感のある空間だ。ちゃんと用意されている日本語のヘッドホン解説によると、昔はなかったものだが、機械化にともなって一斉にとりつけたのだそうだ。東証の建物は新しいから、その辺はスマートで目立たないのだが、こちらは古い建物をそのまま使っているからしかたがないところなのだろう。

左に自由の女神、右にマンハッタン。今は亡き貿易センタービルがそびえている。
左に自由の女神、右にマンハッタン。
今は亡き貿易センタービルがそびえている。

 ウォール街からだらだら歩き、頭が日本の国会議事堂みたいなビルのそばを通り過ぎると、本来の目的地・バッテリーパークである。ここはもと要塞のあとで、今はリバティー島行きの船が出る場所になっているのだ。ニューヨーク港の中程にあるリバティー島は、すなわち、あの「自由の女神」が立っている島である。動きだした船からは後にマンハッタンの高層ビル群、前に自由の女神が見える。なんだか東京タワーと雷門がいっぺんに見えているみたいな、いかにもニューヨークっ、て感じの風景だ。とりあえずばちばち写真をとっとく。ほかの観光客、とくに東洋系の人間はやっぱり同じことをしている。島に着く。巨大な星条旗がはためいている。銅像の足元に来る。月並みな感想だけどとにかくでかい。上野の西郷さんなんか彼女と並んだら蟻んこになってしまう。

 像の中に入る列に並んだ。中に入ると列は左右に分かれていて、左はエレベーターで台座の上に上がる列、右は階段で銅像のてっぺんまで登る列。そりゃもちろん、てっぺんだろう、と最初は右の細い階段に並んだところが、いっこうに列は進まない。たしか銅像の高さは約70m、ちょっとした高層ビルなみだ。こりゃラチがあかん、と左の列に並びなおすと、今度はすぐに上に出られた。ひょいと見上げると、…おお。金属の固まりだ。分厚い銅板が何枚も張り合わされている。彼女のモデルは、像の制作者フレデリック=バルソルディのお母さんだそうだけど…、そんなこと分かるはずもない。ここからじゃ顔は見えずに冠のツノが何本か見えているだけだ…。莫迦みたいに上を向いたまま一回りしてからようやく台座を降りた。

 リバティ島から、むかし移民局があったエリス島に渡り、移民博物館を見てからマンハッタンに戻る。移民博物館には各国からの移民が持ち込んだ品々なんかが展示されていたのだけれど、どういうわけか日本のそれは、せんべいを焼く器具だった。バッテリーパークからはバスで中華街に移動する。ブルーのラインの入った15番系統のバス。乗るときに「トランスファー」と言えば、無料の乗り換え券をくれる。バスはロスのMTAバスと同じバスだったが、車内はずっときれいだった。明るいし、景色もよく見える。イースト川にかかる大きな橋がつぎつぎに見えてくる。漢字の看板が多くなってきたところで、そろそろだな、と思ってバスを降りた。

 サンフランシスコで味をしめた中華街。てきとうに店を選んで入る。安いからメインのチャーハンに玉子のスープもつける。うまかった。満腹。またインディカ米だったけど、チャーハンはむしろこっちの方が合うかも。食べ終わってしばらく中華街を歩く。オレンジが安かったので中山が3つほど選んで買い込んだ。たしかこれで1ドルだった。中華街の隣はリトル・イタリーと呼ばれるイタリア系移民の街。こちらもなかなか楽しそうだ。いわゆる「人種のるつぼ」というたとえよりは「サラダボウル」の表現の方があたっているような気がする。いろんな文化があんまり混ざらずに併存しているみたい。もっとも今日ついたばっかでそんなのわかる筈もないけれど。

 バスで今度は国連本部に来た。僕は眠くてしょうがない。おお、国連かあ。旗がいっぱい並んどる。日本の旗どこだあ…。

 内部はユネスコの展示かなんかしてあったと思う。ツアーを申し込んだら英語のツアーになってしまい、前の日本語ツアーの団体が出発してからその次の出発になる。てきぱきとしたおねえさんが、ぺらぺらと説明していく。感じのよいひとだったので一生懸命聴いていたらわりと理解できた。ような気がした。ヒロシマから贈られたという鐘撞き堂が庭にあったりする。安保理。総会場。意外にもニッポンの席はいちばん前にあった。また写真をばちばち撮ってから出る。ついでに国連内にある郵便局から絵はがきを出そうかと思ったけど、もう閉まってしまっていた。

 夕飯をどこで食べようかとロックフェラーセンターの方まで来た。センターの前はスケートリンクになっている。ニューヨーク最大のメインストリートである5番街を歩くが、あまり飲食店は見つからず、結局ホテルの近くのイタリアン・レストランに入る。ラザニアとビールを注文。これで19ドルもする。しかも出てきたものは、…こんなに食えるか! 半分でいいから半額にしてくれいと言いたかった。しかしウエイトレスさんが「お味はいかがですか」などといちいち聞きにくるのでとりあえずひたすら食う。結局お味もかかしもあったもんじゃなく、僕はげっぷをかかえてホテルに戻ったのだった。

前へ ↑ ホームへ 次へ
    5     10 11