YAGOPIN雑録

この町を歩く

姫路城

● 100名城攻略記

5.近畿の城(26城)

№1~100は日本100名城、№101~200は続日本100名城(いずれも日本城郭協会選定)

№49 小谷城(滋賀県長浜市)
2015年訪問
大永年間に浅井氏初代の亮政が築いた山城。天正元(1573)年、織田信長に攻められて落城するまで、浅井氏3代の居城だった。居館は麓の清水谷にあった。
№50 彦根城(滋賀県彦根市)
2004年2007年ほか訪問
関ケ原の戦い後に、石田三成の居城・佐和山城を与えられた井伊直政が築いた。現存する国宝の天守は、大津城から移された可能性が考えられている。
№51 安土城(滋賀県近江八幡市)
2004年訪問
天正7(1579)年、織田信長により築城。5層7階の天守は本能寺の変後に焼失したが、石段の続く大手道や天守台の遺構が残る。
№52 観音寺城(滋賀県近江八幡市)
×未訪問
№156 鎌刃城(滋賀県米原市)
×未訪問
№157 八幡山城(滋賀県近江八幡市)
2004年訪問
天正13(1585)年、羽柴秀次が築城し、その後、京極高次が入ったが、文禄4(1595)年に廃城となった。本丸跡は秀次を祀る村雲御所瑞龍寺となっている。
№53 二条城(京都市中京区)
☆1990年、2017年ほか訪問
慶長8(1603)年、徳川家康が造営。徳川慶喜が大政奉還を発表した二の丸御殿が現存し、世界文化遺産・国宝に指定されている。
№158 福知山城(京都府福知山市)
2004年訪問
天正7(1579)年に丹波を平定した明智光秀が築城。石垣には石塔などが多く用いられている。江戸時代には朽木氏が入った。天守は再建されたものだが、本丸に銅門番所が残る。
№54 大阪城(大阪市中央区)
2023年攻略(攻略記
天正11(1583)年、石山本願寺の跡地に豊臣秀吉が築城。大坂夏の陣を経て、徳川秀忠が再建した。天守は寛文5(1665)年に落雷で焼失し、1931(昭和6)年に復興された。
№55 千早城(大阪府南河内郡千早赤阪村)
×未訪問
№159 芥川山城(大阪府高槻市)
×未訪問
№160 飯盛城(大阪府大東市)
×未訪問
№161 岸和田城(大阪府岸和田市)
×未訪問
№56 竹田城(兵庫県朝来市)
×未訪問
№57 篠山城(兵庫県丹波篠山市)
×未訪問
№58 明石城(兵庫県明石市)
2004年訪問
元和3(1617)年、小笠原忠真により築城。本丸の4隅の三重櫓のうち、巽・坤の2つの櫓が残る。天守台は築かれたが、天守は建てられなかった。
№59 姫路城(兵庫県姫路市)
☆1998年、2019年訪問
赤松氏・小寺氏・黒田氏の城に、天正8(1580)年、羽柴秀吉が入城。関ケ原の戦い後に池田輝政が建設した5層7階の大天守などが残り、世界文化遺産・国宝となっている。
№60 赤穂城(兵庫県赤穂市)
2002年訪問
浅野長直が軍学を用いて慶安元(1648)年から築城。浅野氏は浅野内匠頭の刃傷事件で改易となり、宝永3(1706)年からは森長可・蘭丸の弟・忠政の子孫が入った。
№162 出石城・有子山城(兵庫県豊岡市)
2004年訪問(出石城のみ)
天正2(1574)年、山名祐豊が有子山城を築き、慶長9(1604)年には小出吉英がその麓に出石城を築いた。小出氏断絶後の宝永3(1706)年には仙石氏が城主となる。
№163 黒井城(兵庫県丹波市)
×未訪問
№164 洲本城(兵庫県洲本市)
×未訪問
№61 高取城(奈良県高市郡高取町)
×未訪問
№165 大和郡山城(奈良県大和郡山市)
☆1999年訪問
№166 宇陀松山城(奈良県宇陀市)
×未訪問
№62 和歌山城(和歌山県和歌山市)
☆2000年訪問
天正13(1585)年、豊臣秀長が築城を始め、元和5(1619)年には徳川頼宣が城主となって、御三家の一角を占めた。空襲で失われた天守は戦後再建された。
№167 新宮城(和歌山県新宮市)
×未訪問
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