YAGOPIN雑録 日々のできごと・思うこと 鋸山より浦賀水道
 
 ● 2006年1月〜3月
 
     
お台場 YAGOPIN 2006/03/26 22:40
 

 今日はお台場で友達の結婚式。海の見える披露宴会場で、テラスに出るとレインボーブリッジの向こうに東京タワーが見え、とてもいい眺めでした。世界の大都市の中でも東京には海があるというのが大きな特長かもしれません。しかし臨海副都心も相変わらず海沿い以外はまだまだ発展途上といった感じの町ですね。

お台場・自由の女神とレインボーブリッジ
お台場・自由の女神と
レインボーブリッジ

YAGOPIN 2006/03/26 01:41
 

 桜が咲き始めましたね。来週あたりはお花見ができそうですが、なんとなく休日出勤になっちゃいそうな予感が…。

咲き始めた桜
咲き始めた桜

WBC YAGOPIN 2006/03/22 00:58
 

 ひいきチームが特にないので野球もほとんど見ないのだけど、さすがに今日のWBC決勝戦は見ていました。いい試合だったねぇ。日本チーム世界一おめでとう。


諏訪 YAGOPIN 2006/03/20 00:45
 

 どこか温泉に行きたいと思い、長野の諏訪まで行ってきた。大学1年のとき以来なので、12年ぶりの再訪である。

 まずはかつて甲州街道が中山道に合流する宿場町であった下諏訪で列車を降りる。下諏訪町には上社と下社に分かれている諏訪大社のうちの下社がある(上社は本宮が諏訪市、前宮が茅野市にある。)。さらに下社は1kmほど離れた春宮と秋宮に分かれていて、諏訪の神様は2月から7月までは春宮に、8月から1月までは秋宮に滞在するのだという。両宮には江戸中期に造られた同形の幣拝殿(重要文化財)があり、社殿の四隅には御柱と呼ばれるモミの木の柱が立っていて、7年ごとにこの御柱になる木を奉納する「御柱祭」が行われる。

 下諏訪からバスで上諏訪へ。上諏訪は甲州街道の宿場町であるとともに、代々諏訪氏が城主を務めた高島城の城下町でもあった。下諏訪も上諏訪もどちらも温泉で知られており、温泉宿やホテルが多くあるほか、町じゅうに温泉の流れるモニュメントがあったり、上諏訪駅の構内に足湯があったり(以前は普通の温泉にも入れた。)、諏訪湖岸には水蒸気とともにお湯が噴出す間欠泉があったり、といかにも豊富な湯量を誇っている。製糸業で財をなした片倉財閥が1928(昭和3)年に地域の福祉施設として造った片倉館の中にも「千人風呂」と呼ばれる公衆浴場がある。3月も半ば過ぎというのに、諏訪地方には雪もちらつくほどの冷たい風が吹いており、千人風呂であったまってほっと一息ついた。

諏訪大社(下社春宮)。右端に御柱が立つ。
諏訪大社(下社春宮)
右端に御柱が立つ。
吹き上がる間欠泉
吹き上がる間欠泉
千人風呂のある片倉館
千人風呂のある片倉館
高島城
高島城

馬込・池上 YAGOPIN 2006/03/05 23:02
 

 今日は大田区の馬込あたりを散歩。馬込は、1923(大正12)年に尾崎士郎・宇野千代夫妻が住んで以来、川端康成、北原白秋、萩原朔太郎、三好達治、室生犀星、山本周五郎など名だたる文学者が住み始めたため「文士村」の異名をとったところである。また、時代は下るが、三島由紀夫が自衛隊市谷駐屯地へ出向くまで住んでいた居宅も現存している。

 馬込の隣町の池上は、日蓮上人が入滅した場所であり、日蓮宗屈指の名刹である本門寺がある。主要な建築物は戦災で焼失してしまったが、朱塗りの五重塔は慶長年間から残る重要文化財。本門寺のすぐ隣には大田区立の池上梅園があり、白梅紅梅が今を盛りと咲き誇っていた。

尾崎士郎・宇野千代旧居跡に立つ看板
尾崎士郎・宇野千代
旧居跡に立つ看板
本門寺五重塔
本門寺五重塔
池上梅園
池上梅園
満開の紅梅
満開の紅梅

危なく帰れなくなるところだった。 YAGOPIN 2006/03/02 02:08
 

 携帯電話をN901iSにしたのは、フルブラウザ機能があるのと、おさいふケータイが使えるためだったが、フルブラウザはパケット代が気になって多用できないし、おさいふケータイも今のところまだ使用しておらず、結局いちばん重宝しているのは通勤電車の中で遊べるドラゴンクエストUだったりする。15年以上前に熱中したファミコンゲームとこんな形で再会を果たすとは思わなかった。

 それで、今日の帰り道は、ムーンペタの町からドラゴンの角を越えての長旅。ようやくのことでルプガナの町にたどり着いたとき、電車は降りるはずの駅の2駅先に着いていた。


新名所 YAGOPIN 2006/02/26 22:14
 

 タクシー帰り、休日出勤、会社泊まり、となんだかこのごろ異常に忙しいのだが、今日は、会社の入居しているビルが停電だったため、かろうじて休めた。

 せっかくの日曜日、ちょっと出かけてみたのは、老朽化した青山アパートの再開発により造られ、今月オープンした表参道ヒルズ。以前、この地にあった青山アパートは、関東大震災後の住宅供給のために東京・横浜に建設された同潤会アパートのひとつであり、鉄筋コンクリートの集合住宅のさきがけとも言えるものだった。表参道ヒルズの端にも、その一部の外壁等を再生した「同潤館」が造られている。同潤会につながる本館の内部は地下3階から3階まで緩やかなスロープを回りながら登れる構造になっており、スロープの周囲に続く店舗を眺めながら、商店街を歩くようにショッピングができるようになっている。しかし、私を含め、店目当てよりはヒルズ目当てに訪れた客が多くて、スロープを歩く人に比べて店にいる客がずいぶん少ないようにも思えた。

表参道ヒルズ。手前は同潤館
表参道ヒルズ。手前は同潤館

携帯電話 YAGOPIN 2006/02/19 23:54
 

 久しぶりに替えました。N901iSという機種です。このページにも携帯から書き込めるようになりました。


両国駅 YAGOPIN 2006/02/19 13:31
 

 東京の南の玄関が東京駅、北の玄関が上野駅、西の玄関が新宿駅だとすると、かつて東の玄関だったのは意外にも両国駅である。総武線が明治時代に開通したとき東京側のターミナルだったのが両国駅(当時の両国橋駅)で、東武鉄道も一時亀戸を経由して両国まで乗り入れていた。関東大震災後に、総武線が隅田川を渡ってお茶の水まで開通した後も、1972(昭和47)年まで長距離列車の始発駅は両国駅だった。

 今は両国駅は各駅停車が通るだけの駅になってしまったが、ターミナルだったころの立派な駅舎は今でも残っている。駅として使われなくなった建物は、地ビールが飲める「ビヤステーション両国」になっているので、昨日、久しぶりに行ってみた。すると、入り口に「お客様各位」と書かれた張り紙が貼ってあって、「当営業店舗が契約満了につき2月26日をもちまして閉店させて頂く運びとなりました。」などと書かれているではないか。駅舎時代の高い天井やステンドグラスがビヤホールの雰囲気にマッチしていただけに残念である。閉店後の建物がどうなるのかは分からなかったが、立派な建物だけに有効活用していただきたいものである。ちなみに閉店セールなのかビールは半額で飲め(たしか今日まで)、つまみも一部の品が半額になっていたので、格安で美味しいビールが楽しめた。


隅田川散策 YAGOPIN 2006/02/13 02:07
 

 この日曜日は、隅田川あたりを散策していた。お宮参りでにぎわう日本橋の水天宮から隅田川沿いに出て、川べりを清洲橋まで歩く。1928(昭和3)年に架けられた清洲橋は、華奢な感じのする女性的な吊橋となっており、同じく関東大震災の復興事業で架けられた永代橋が太いアーチを持つ男性的な橋となっているのと対比されている。当初、隅田川の最下流の橋が永代橋で二番目が清洲橋だったが、現在は両橋の間に首都高速と二階建てになった隅田川大橋があり、永代橋の向こうにも橋が架けられたので、清洲橋から南を見ると、隅田川大橋の向こうに永代橋、その向こうに中央大橋が架かっているのが見える。北側には有名な歌川広重の浮世絵『大はしあたけの夕立』に描かれた新大橋。隅田川に流れ込む小名木川には、やはり広重や北斎が描いた万年橋が架かっている。万年橋を渡ったあたりにはかつて俳聖・松尾芭蕉が住んだ芭蕉庵があり、その跡地には芭蕉稲荷が造られている。

清洲橋
清洲橋
芭蕉稲荷(芭蕉庵跡)
芭蕉稲荷(芭蕉庵跡)

 少し歩いて江戸時代には豪商・紀伊国屋文左衛門の屋敷や下総関宿藩の下屋敷、明治時代には三菱の創始者・岩崎弥太郎の屋敷となった清澄庭園に着く。庭園中央の池にはシベリアから渡ってきたさまざまな種類のカモたちがたくさん集っている。「カモ」というと、おっとりしたものの代名詞としても使われるが、この池でも投げ入れられる餌に真っ先にとびつくのは東京都の鳥・ユリカモメで、たまにカモが餌を取ることができても、ユリカモメがカモの頭に乗って嫌がらせをしたりしている。清澄庭園近くには江東区立深川江戸資料館。江戸時代の街並みを再現した資料館を一回りして、深川名物となっているアサリの入った深川めしを食べ、富岡八幡宮へ。ここは江戸の相撲発祥の地とされており、境内には歴代横綱の顕彰碑があって、初代明石志賀之助から68代朝青龍明徳までの名前が刻まれている。鳥居横には江戸三大祭りのひとつである深川祭りに使用される神輿と山車が飾られており、ダイヤを埋め込んだ特大の黄金神輿に圧倒されてから地下鉄の門前仲町駅に向かった。

清澄庭園
清澄庭園
ユリカモメとカモ(キンクロハジロ)
ユリカモメとカモ
(キンクロハジロ)
深川江戸資料館
深川江戸資料館
富岡八幡宮の横綱顕彰碑
富岡八幡宮の横綱顕彰碑

鋸山 YAGOPIN 2006/02/06 00:43
 

 日曜日、あまりに天気がいいので日帰りで小旅行をすることにした。まずは京浜急行で三浦半島の久里浜まで行き、浦賀水道を横断する東京湾フェリーに乗り込む。前に乗ったのはおそらく小学校の臨海学校のときなので実に20年ぶりの乗船である。船室で暖かい日差しを浴びながら30分ほどで房総半島の金谷に着くと、垂直に切り立った山々が正面に見える。ここが今回の目的地・鋸山である。

 鋸山の標高は329mで東京タワーよりも低いくらいだが、それでも下から登るとなると大変なのでロープウェイを使う。山頂からは東京湾が一望の下に見渡せ、房総半島・東京湾アクアライン、さらには東京・横浜・三浦半島から富士山・箱根・伊豆半島・伊豆諸島まで少なくとも1都3県にまたがる壮大なパノラマが眼下に広がっている。山の大半は聖武天皇の勅願により開かれたという日本寺の境内となっており、伽藍は昭和初期の火災で灰燼に帰しているものの、千五百羅漢といわれるあまたの羅漢像や1969(昭和44)年に復元された日本最大・高さ31mの石造大仏が圧巻である。また、大仏前から延々と石段を上がっていくと、垂直の崖から突き出した「地獄のぞき」という名前の展望台があり、そこからの眺めは他の展望台と大差ないにしろ、その展望台のあり様自体がまさに地獄のぞきといった風でものすごい。

 鋸山の南にある鋸南町はスイセンが咲き乱れることで知られており、本当はそれからスイセンを見に行こうと思っていたのだが、時間がなくなってきたので、海に面したレストランで地ビールと海の幸に舌鼓を打ち、帰りはアクアライン経由のバスで帰ってきた。

鋸山山頂より。船は三浦半島と房総半島を結ぶ東京湾フェリー
鋸山山頂より。船は三浦半島と
房総半島を結ぶ東京湾フェリー
日本寺の大仏
日本寺の大仏
地獄のぞき展望台
地獄のぞき展望台
下から見上げた地獄のぞき展望台
下から見上げた
地獄のぞき展望台

更新情報 YAGOPIN 2006/01/22 14:43
 

 日光街道の第5回を掲載しました。渡良瀬遊水地を眺めてから小山宿まで歩いています。


新年のご挨拶 YAGOPIN 2006/01/01 00:07
 

 あけましておめでとうございます。

 本サイトも無事に8回目の新年を迎えることができました。今年もよろしくお願いいたします。
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