YAGOPIN雑録

世界あくせく紀行

ムグンファ号

● 釜山・慶州編・6


『ビートル』
『ビートル』

 翌日は波が高く、福岡へ帰る船の出発も遅れてしまった。この波高い海を隔てて古代の朝鮮半島と日本の間にはさまざまな交流があった。慶州に華厳法興寺が造られたころ、百済から日本には仏教が伝えられた。日本の朝廷は百済王朝を支持し、新羅と一戦を交えたこともあった。仏国寺が大改築されたころ、遣唐使と同様に日本と新羅の間にも遣新羅使の行き来があり、当時は金城と呼ばれた新羅の都・慶州を訪れた日本人もいたことだろう。足利義満の時代から始まり、江戸時代にも9回来訪した朝鮮通信使は、富山浦と呼ばれた現在の釜山が拠点のひとつとなった。元寇も倭寇も秀吉の朝鮮出兵も、この海を越えて行われた。

 波が船体に激突する音がときおり船室に響いているが、『ビートル』は行きと同じく大した揺れもなく飛ぶように進んでいく。韓国人の観光客が船内で写真を撮り合ったりしている。予定より20分ほど余分にかかったが、それでも船は3時間ちょっとで博多港に到着した。先人たちが危険を冒して渡った海は、今や何の苦もなく渡れる海になった。日本と韓国の間にある隔たりのひとつは既に解消されたとも言える。来年のワールドカップ共同開催を機会に、両国の隔たりがもっともっと消えてなくなっていくことを期待したい。

 博多港には同期が出迎えてくれていた。その晩は天神の焼き鳥屋で一杯。韓国ではラーメンを頼んでも付け合わせにキムチが出てきたので、キムチのない食事は久しぶりだった。

【完】

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