前回の北九州は小倉(小倉北区)を中心に回ったのですが、先週末の北九州は、若松区と門司区を訪れました。どちらも港町として栄えた場所で、古い近代建築が多く残っています。
![]() 若戸大橋と旧古河鉱業ビル |
![]() 重要文化財の門司港駅 |
北九州!よかとこですよね☆
福岡は、博多しか行った事がありません。
楽しんで来て下さいね(^^)
いえいえ、私も興味のあることしか知りませんので、まだまだ知らないことだらけです。週末はまた北九州です。今回は門司へ行ってきます。
歴史、街、建築…大好きなんですよ(^-^)v
でも、YAGOPINの知識の深さには脱帽!
まだまだ知らない事だらけ(*^.^*)と思いました…
こちらこそ、お世話になっていることと思います。マルさん、歴史好きなんですねー。読んで面白い内容かどうかは分かりませんけど、またのお越しをお待ちしてます。それと、7月の件も、よろしくお願いします。
原ちゃんにはお世話になってます。
お~っ☆
すごいサイトですね(^^)
歴史好きな私なので
また、覗いてみます!!
銀座から浜離宮庭園まで散歩する途中、中銀カプセルタワービルの近くを通りかかりました。1972(昭和47)年に建てられたこのマンションは、カプセル状になった部屋が組み合わさった構造になっており、老朽化したらカプセルを交換することによって、永続的に使用できる(はず)という建物。設計者は、都知事選への立候補で話題となった黒川紀章さんです。
カプセルの内部は、幅2.3m×奥行き3.8m×高さ2.1mだそうで、6畳間とさほど変わりがないくらいの大きさでしょうか。いくら銀座の一等地とは言え、現在の感覚では、ちょっと狭すぎる感じは否めません。建築から30年が経っているということもあり、建て替えられる、という新聞報道もありましたが、今のところまだ最終決定ではないようです。もしかすると、建て替えではなく、カプセルの交換で建物が継続使用される可能性もないわけではないのかもしれません。
ちなみに類似の発想とも言えるカプセルホテルも黒川さんが初めて建てたものなのだとか。カプセル式のマンションは中銀カプセルタワービル以降、普及しませんでしたが、カプセルホテルのほうはポピュラーなものになりましたね。
![]() 中銀カプセルタワービル |
今年の年賀状では、歌川広重「江戸名所百景」から「びくにはし雪中」の絵を使わせてもらったのですが、江戸時代の風景と現代の風景を比較してみたのが、下の絵と写真。この「比丘尼橋(城辺橋)」があった場所は、現在の地名で言うと八重洲二丁目と銀座一丁目の間にあたり、橋のかかっていた京橋川は埋め立てられて東京高速道路へ、人通りの少ない寂しい通りは、西銀座の明るい光が輝く外堀通りへと変貌してしまいました。
![]() 「びくにはし雪中」 |
![]() 150年後の同地点 |
三連休は、所用で北九州市に出かけていたのだが、少し時間が空いたので同市の中心をなす小倉の町を散策してきた。
小倉は細川忠興の築いた小倉城を中心に栄えた城下町で、細川氏が熊本に転封になった後は譜代大名の小笠原氏が城主を務めた。1959(昭和34)年に復元された天守閣は、元の天守閣とはかなり異なる建物になっているものの、最上階が少し張り出した「唐造り」と呼ばれる特徴的な部分だけは基本的に同じ形である。ただし、現在は、瓦の葺き替え工事中のため、その姿は見られず、代わりに屋根から下ろされたしゃちほこが城内で特別展示されていた。なお、明治になって小倉城跡地は第12師団の司令部となり、第12師団の久留米移転後には、陸軍の造兵廠(兵器工場)が置かれていた。広島に次ぐ原子爆弾の第二投下目標は実はこの小倉造兵廠であり、1945(昭和20)年8月9日の小倉上空の視界が悪くなければ、二発目の原爆は長崎でなく小倉に投下されることになっていたのだった。
城内北側にある八坂神社は小倉の総鎮守で、7月には例大祭の「小倉祇園」が行われる。そのさらに北にはリバーウォークと呼ばれる再開発地区となっており、小倉城内とはうってかわった赤や黄色の奇抜な建物群が建ち並んでいる。そのすぐ近く、紫川に架かる常盤橋は、長崎街道をはじめとする諸街道の起点だった場所で、この小倉が譜代大名である小笠原氏に与えられた戦略的な意味が理解される。江戸時代の小倉は紫川の西側にある小倉城に対して、紫川の東側が城下町として開けており、魚町、米町、鍛冶町、紺屋町などは、今も城下町の名残を残す地名となっている。現代においても紫川の西側が官庁街、東側が商業地で、近世の城下町から発展した町の典型例として見るとなかなか興味深い町である。
![]() 工事中の小倉城天守閣 (小倉城庭園より) |
![]() 小倉城天守閣のしゃちほこ (手前がオスで奥がメス) |
![]() 長崎街道の起点・常盤橋 |
2月4日、立春の日曜日、世田谷あたりの散歩に出かける。三軒茶屋から東急世田谷線に乗り、小さな電車を山下駅で降りて、北沢川の跡に造られた緑道をぶらぶら。梅の名所として知られる羽根木公園に向かう。公園では「梅まつり」をやっていて露店が出たりしていたが、満開の木もあれば枝ばかりの木もある、といった感じで、まだ梅見には若干早かったかな、という感じだった。
羽根木公園のすぐ南には小田急線の梅ヶ丘駅があって、駅のさらに南側は「梅丘」という地名になっている。公園に梅がたくさんあるから「梅丘」という地名になった、わけではなく、梅ヶ丘駅の近くにある公園だから梅をたくさん植えてみた、というのが事実らしい。「梅ヶ丘」という駅名も、あまり深い意味なく名づけられたようで、もとから「梅丘」という地名があったわけでもないというから、なんだか順序がまるででたらめである。
静かな住宅街をしばらく歩いて豪徳寺に着く。江戸のはじめ、彦根藩井伊家の初代・直孝が鷹狩りの帰りにこの寺の前を通りかかったとき、和尚の飼い猫が門のところで手招きをするので、不審に思って中に入ると、たちまち激しい雷雨となった。直孝はすんでのところで雨を逃れることができ、和尚の法話にも感ずるところがあったため大いに喜び、のちに豪徳寺は井伊家の菩提寺となり、「招き猫」の像が縁起物として広まったという。招き猫の由来には諸説あるため、必ずしもこの伝説が正しいかどうかは分からないが、豪徳寺ではこの伝説にちなんで今も白い招き猫の像が売られている。また、幕末に桜田門外の変で暗殺された大老・井伊直弼の墓もここにある。
井伊家の領地の大半は彦根のある近江国にあったが、ここ世田谷も彦根藩の飛び地になっていた。世田谷を直接に治めていたのは彦根藩の代官を務めていた大場氏で、その屋敷が世田谷に現存している。今となっては大変貴重な茅葺き屋根の民家風の建物で、重要文化財に指定されている。彦根藩は現在の国会議事堂に近いところに広大な上屋敷を構えており、その運営費を世田谷の領地でまかなっていたため、代官の職責は相当重要であったらしい。大場家では屋敷奥の仏間を「切腹の間」と呼び、万一不手際があればいつでも腹を切る覚悟であったという。代官屋敷の前の通りはかつて大山参りの旅人が行き交った街道で、ボロ市と呼ばれる市も開かれていた。今も年2回、市が開かれる際には大賑わいする通りである。
![]() 世田谷線の電車 |
![]() 羽根木公園・梅とメジロ |
![]() 豪徳寺に奉納された招き猫 |
![]() 世田谷代官屋敷 |
来年全通する和光市~渋谷間の地下鉄に「副都心線」という名称がつけられることになったそうだ。池袋・新宿・渋谷という三大副都心を縦断して走るという路線の特色をイメージして名づけられたということで、まあ言われてみればなるほどという感じがする。しかし、都庁のある新宿は「副都心」より「新都心」と呼ばれつつあるし、最近は開発の進む品川と秋葉原が「新拠点」という扱いになっているそうで、「副都心」という言葉自体が、ちょっと古くなってきたかな、という気もする。
実は、東京都が定めている「副都心」には、この路線が通る三大副都心以外に、さらに大崎、上野・浅草、錦糸町・亀戸、臨海の4箇所がある。その中でもお台場のある臨海副都心は比較的よく知られているからともかくとして、ほかの3箇所はかなり前から「副都心」ということになっているのに、いまだにあまり副都心として認知されていない。もともと東京はそれぞれ特色をもった町がたくさん組み合わさってできていて、さらにそれらの町がどんどんリニューアルされているから、ある町をして固定的に「副都心」と位置づけしにくいように思うのだ。
「【重要告知】同窓会のお知らせ」という表題のメールが来た。「来る2007年3月4日に、同期全員が集まっての大同窓会を行う運びとなりました!(略)つきましては出席及び欠席の連絡をお願いしたい次第です。」とのことで、日時と幹事の名前などが書いてあり、会場は「未定(学校近くの居酒屋の予定)」となっている。学校の名前がどこにもなく、幹事の名前も心当たりがない。そもそもうちの学校の同窓会は毎年正月にやっているはずなので、あからさまにおかしいと思い、調べてみるとやはり個人情報詐取目的の迷惑メールだった。この手のメールもだんだん巧妙化しているようで恐ろしい限りである。
掛川城は御殿建築が残ってる貴重なお城ですよね。戦前は名古屋城や大阪城(和歌山城からの移築)にも御殿が残っていたそうですが…。
風邪、すぐに治ってよかったですね。私のほうもほとんど治っているようなのですが、まだ完治ではないようなので、しばらく遠出は控えたほうがよさそうです。
こんばんわ。風邪の方は治りましたか?
先月、仕事の休みを利用して掛川まで行ってきました。電車で行きました。
お城の中は、ごてごてと展示がしてなかったので、逆に当時の雰囲気を味わったと言うか。二の丸御殿も二周してしまいました。巧妙が辻展、もNHKのドラマを見ていると小道具がおいてあったりして「あぁ、見たぞ!」と楽しめたですよ。衣装を着ることもできましたし。
ただ、この日、どうも体調がおかしく、体がどうにも重く、食欲がないんです。電車では風邪をもらわないようにマスクをしていたのです。
でも、実はすでに風邪を引いていたようで、家に帰ってみたら、38.5の熱が出ていました。体が重くて痛かったのは発熱による関節痛でした。次の日にはすっかり治りましたけど・・・それほど見所が点在している町ではなかったのが助かりました。
あさってからは、有馬温泉と神戸に行ってきます。話題の生田神社も近いようなので、由緒的には行って見たい気もするのですが、あまりにミーハーっぽいようにも思えるし、と悩むところです。
友達の見つけてきてくれた1万円以内で泊まれる有馬温泉の宿。どんなところか楽しみです(どきどき)
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