YAGOPIN雑録

日々のできごと・思うこと

若戸大橋と旧古河鉱業ビル

● 2007年7月~9月



三連休その2  YAGOPIN  2007/09/29 22:41

 9月のもうひとつの三連休は京都へ行ってきた。新幹線代をケチって東海道線に乗り、彦根で途中下車。時間があったのでなんとなく降りたのだが、市役所に掛かった垂れ幕を見ると「国宝・彦根城築城400年祭」とあり、町じゅうに400年祭キャラクターの「ひこにゃん」の姿がある。なんでもこの「ひこにゃん」は、思わぬ人気が出てしまい、肝心の400年祭よりも知名度が高いのだそうだ。彦根城に行ってみると、祭りの期間中ということで、天守閣だけでなく普段は入れない馬屋や天秤櫓などへも入ることができる。玄宮園に寄って近江牛のステーキ丼を食べて電車に乗る。急に思い立ったので京都市内に宿がとれず、今日は滋賀県の草津に泊まる。

 翌朝は草津宿本陣だけ見てから、京都へ。今回は洛北の鞍馬寺まで足を延ばす。寺直営のケーブルカーで山を登って本殿金堂に参拝し、霊宝殿で国宝の毘沙門天像などを拝んでから、源義経が天狗と修行をしたという山道をたどる。途中「木の根道」といって木の根っこが道を覆うようなところも通る。

彦根城
彦根城
彦根市役所(垂れ幕にひこにゃんが描かれている。)
彦根市役所
(垂れ幕にひこにゃんが
描かれている。)
鞍馬寺山門
鞍馬寺山門
鞍馬山木の根道
鞍馬山木の根道

 途中までケーブルカーで登っているので、少し登ってからは下りになり、そのまま貴船まで降りていく。貴船川の流れの上に座敷を作った「川床(かわどこ)」で昼食をとり、水の神さまとして知られる貴船神社へ。にわか雨が降ってきたので、本宮だけ参拝して市内に戻る。戻った頃には雨もやんだので、今度は大津方面に向かい、三井寺(正しくは園城寺)に行ってみるが、再び雨がひどくなり、国宝の金堂も修復中だったので、あまりしっかりとは見て回ることができなかった。

 翌日はまっすぐ帰るつもりが、新聞で薬師寺の大講堂につながる回廊が完成した(といってもまだすべて完成したわけではないようだが。)というニュースを見て、薬師寺に行く気になる。薬師寺は何度も来ながら、玄奘三蔵院伽藍にはまだ行ったことがなく、平山郁夫画伯の大作「大唐西域壁画」を今回初めて拝観した。

 行き当たりばったりの、まるで計画性のない旅だったが、彦根城天守、鞍馬寺の毘沙門天像、三井寺金堂、薬師寺東塔・薬師三尊像など行く先々で国宝の建築物や仏像を目にすることができたのがよかった。さすがに関西は歴史的なものが豊富にある。名古屋に来てだいぶ近くなったことだし、また折りを見て訪れようと思う。

川床での食事
川床での食事
貴船神社
貴船神社
三井寺三重塔
三井寺三重塔
薬師寺大講堂
薬師寺大講堂

三連休  YAGOPIN  2007/09/19 01:49

 三連休は妻の実家のある九州に出かけた。せっかくの遠出なのでまっすぐ九州には行かず広島で途中下車。昼食にお好み焼きを食べてから安芸の宮島に向かう。

 宮島は3度目といいながら、毎回、厳島神社だけ一通り見て終わりなので、今回はゆっくり見て歩くことにする。神社ではちょうど結婚式をやっている最中で、ラッキーなことに古式ゆかしい舞楽を観覧することができた。潮は引いていて鳥居の近くまで歩いて行くことができる。潮溜まりから小さなカニやヤドカリが顔を出す。

宮島の鹿
宮島の鹿
国宝の舞台で舞われる舞楽
国宝の舞台で舞われる舞楽
世界遺産・厳島神社
世界遺産・厳島神社
ライトアップされた鳥居
ライトアップされた鳥居

 大願寺と宝物館に寄った後、紅葉谷公園のロープウェイ乗り場へ。観覧車のゴンドラが前に進むような小さい循環式のロープウェイから、普通の交走式のロープウェイに乗り継いで、さらに終点から30分ほど山道を下って登ると、島で一番高い弥山(みせん)の頂上にたどりつく。意外に大変な道のりだったが、広島市内の高層ビルから瀬戸内海の島々まで一望の下に見渡せ、千年以上前に弘法大師が修行で点した火がそのまま燃え続けているという「消えずの火」も拝めて満足する。神社のあたりは鹿が多いが、山の上は猿がいっぱいいる。山を降りてそのまま島で1泊。夜、ライトアップされた大鳥居を見に行くと、既に潮はすっかり満ちてきていた。人気の少ない夜の宮島は星がよく見えて、タヌキも道路を歩いている。

弥山山頂からの眺め
弥山山頂からの眺め
弥山の猿
弥山の猿

 翌朝は豊臣秀吉が安国寺恵瓊に造らせたという千畳閣だけ見て島を後にする。さすがに世界遺産だけあって、1泊したのにまだまだ見足りなかったという感じが残る。鈍行列車を岩国で乗り換えてさらに行く。山口県の柳井で途中下車。ここは白壁の商家の多く残る町で伝統的建造物群保存地区に指定されている。旧周防銀行本店の建物を利用した町並み資料館で町の全体像を把握し、その後に江戸時代から残る商家を見学。中でも重要文化財の国森家は建物の構造や用途なども詳しく説明してもらえて興味深かった。土蔵造りの建物なので、店の2階がそのまま蔵の役割を果たしていて、そのため、2階に上がる階段が隠し階段になっていたそうだ。名産の甘露醤油の蔵を見て、その醤油の入った甘露ソフトクリームをなめながら通りを行く。正直あまり期待せずに降りた町だったが、なかなか見ごたえがあって素敵なところだった。瀬戸貝の入った炊き込みご飯と瀬戸貝汁を昼食にして、再び鈍行に乗る。周防灘を眺めながら徳山を過ぎて周防国府のあった防府へ。廃藩置県で藩主の座を追われた毛利氏の庭園や周防国分寺などに立ち寄るが、日本三天神の一つという防府天満宮を見ているうちに雨が降り出したため早々に切り上げる。防府市内は見どころが点在していたこともあって、どこもあまりよく見ている時間がなかったのが残念だった。

柳井の町並み(右手に国森家)
柳井の町並み(右手に国森家)
町並み資料館
町並み資料館
醤油蔵の内部(もろみの仕込み)
醤油蔵の内部(もろみの仕込み)
甘露ソフトクリーム
甘露ソフトクリーム

 無事北九州に着いて、翌日は長崎街道の宿場町である北九州市の木屋瀬(こやのせ)宿やその次の宿場にあたる飯塚を案内してもらう。飯塚というといま自民党総裁選への出馬で話題の麻生太郎幹事長のお膝元だが、この日も途中から雨になってしまい資料館だけ見ておしまいになった。

毛利氏庭園
毛利氏庭園
防府天満宮
防府天満宮
長崎街道・木屋瀬宿
長崎街道・木屋瀬宿
ハンコだらけになった切符
ハンコだらけになった切符

おかえり  TOMO  2007/09/09 09:02

無事帰ってきてきてくれて、ありがとう♪
安心しました。


5時間以上遅れて  YAGOPIN  2007/09/06 23:51

名古屋に着きました。なんとか家に帰れそうです。


のぞみなのに。  YAGOPIN  2007/09/06 22:48

先ほど初めて駅を通過(新富士駅)。なんとか名古屋に帰れそうです。なお三島駅のハシゴは誤って熱海から乗ってしまったこだまの乗客を下ろすためだったようです。


新横浜から4時間…  YAGOPIN  2007/09/06 21:05

ようやく三島に着きました。ホームがないのでハシゴを架けるそうです。


風まかせ  YAGOPIN  2007/09/06 20:25

出張で横浜に行った帰り、台風9号の影響で新幹線が立往生。運行再開は「風の状況によります」とのこと(車内の文字情報)。こりゃ「列車ホテル」かなぁ?


転勤・引越し  YAGOPIN  2007/08/19 23:41

 8月から名古屋に転勤になり、新婚旅行から帰って早々、引越しをすることになりました。ちょうど3年間住んだ東京・世田谷区を離れ、8年ぶりに愛知県民です。昨日は刈谷市の「刈谷わんさかまつり」の花火を見に行き、今日は名古屋の徳川美術館を見に行って早速愛知ライフ満喫中です。(この暑さには閉口していますが…。)

刈谷わんさかまつり
刈谷わんさかまつり
徳川美術館
徳川美術館

結婚式  YAGOPIN  2007/07/23 14:16

 昨日は結婚式でした。神社での挙式だったため、雨が心配でしたが、挙式・披露宴のころには雨もやみ、なんとか希望通りのシチュエーションで式を挙げることができました。

 ご列席いただいた皆さま、祝電やお祝いをいただいた皆さま、どうもありがとうございました。

結婚式
(↑さっそく写真をお送りいただいたK様、
ありがとうございます。)


2つの聖堂と聖橋  YAGOPIN  2007/07/08 02:24

 6日金曜日、夏季休暇を1日とったので、お茶の水にある2つの「聖堂」へ行ってきた。

 最初に向かったのは神田川の北側にある湯島聖堂。ここは1690(元禄3)年に徳川綱吉の命により造られた、儒学の祖・孔子の廟と儒学の学問所を併設した施設である。湯島聖堂は、1797(寛政9)年には正式な幕府の学問所となり、現在の東京大学の源流のひとつともなった。孔子を祀る大成殿など、現存する建物の多くは関東大震災の後、伊東忠太博士の設計により再建されたものだが、黒壁の独特な東洋建築は、往時の姿をよく思い起こさせる。また、大成殿の下方にある入徳門は震災を生き延びて江戸時代のまま伝わっている。

 もう一つの聖堂は、神田川の南にあるニコライ堂。正式名称を「東京復活大聖堂教会」といい、日本正教会の中心となる教会である。カトリック・プロテスタントとともにキリスト教の主要な教派である正教会(東方正教会)は、ローマ帝国の東西分裂後、東ローマ帝国の都・コンスタンティノープル(イスタンブール)を中心に発展し、東ローマの滅亡後もロシアや東ヨーロッパの各国で主要な宗教となっていた。日本には明治時代にロシア人大主教・聖ニコライにより布教され、その聖ニコライが1891(明治24)年に建てた教会がニコライ堂である。ドームを持つビザンティン様式の建築で重要文化財。ロシア人建築家ミハイル=シチュールポフと近代日本建築の礎を築いた英国人ジョサイア=コンドルが設計を担当しているが、上部は関東大震災で倒壊したため、後に意匠を変えて再建されている。

 火曜から金曜までは志納金300円程度を支払ってニコライ堂の中に入ることができる。内部には正教の祈りの対象となるイコン(聖像)が多数掲げられており、ドームの小窓から差し込んだ光が、それらのイコンを不規則に照り輝かせるのが美しい。東京復活大聖堂の名は、聖堂の正面にハリストス(キリスト)復活のイコンを安置していることによるという。平日ということもあって参観者も少ないため、受付の方がいろいろと詳しい説明をしてくれた。正教はカトリックやプロテスタントに比べると日本ではややなじみが薄いからか、正教会がキリスト教の本家ともいうべき歴史のある教会だということを力説しておられた。

 ちなみに、神田川をまたいで、この2つの「聖堂」を結ぶ橋を「聖橋(ひじりばし)」という。関東大震災後にこの橋が新たに架けられた際に公募で付けられた名前だそうだが、儒教の湯島聖堂と正教会のニコライ堂というあまりにも異なる聖堂をひとくくりにして、2つの聖堂を結ぶから「聖橋」とするセンスはおそらく他国の人には理解しにくいものであるに違いない。しかし震災で大きな被害を受けた2つの聖堂の復活の願いをこめた名前として、この橋を「聖橋」と名づけたのであれば、その気持ちもよく分かる。お茶の水の峡谷状の地形に架かるアーチ橋は狭隘な都心の只中にありながら雄大ささえ感じさせ、その姿も「聖橋」の名に負けていないと思う。

湯島聖堂大成殿
湯島聖堂大成殿
湯島聖堂入徳門
湯島聖堂入徳門
聖橋
聖橋
ニコライ堂
ニコライ堂

ご報告  YAGOPIN  2007/07/07 16:49

 7が3つ並ぶ七夕の今日、午前0時すぎに婚姻届を出してきました。結婚式と新婚旅行はもうしばらく後になりますので、また改めてご報告いたします。

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