YAGOPIN雑録

日々のできごと・思うこと

若戸大橋と旧古河鉱業ビル

● 2007年10月~12月



金沢・高岡  YAGOPIN  2007/11/26 00:16

 妻が金沢に行きたいと言うので、23・24日に行ってきた。私にとって4回目となる兼六園は、既に雪つりがなされていて、紅葉も随所に見られ、今までの中でいちばんいい季節に来たように感じた。13代藩主・前田斉泰の母・真龍院の御殿として建てられた成巽閣も、前田家の紋を織り込んだムガル帝国製の絨毯、オランダ製のギヤマンを嵌めた雪見障子など、和洋折衷の趣が面白い。金沢城公園を散歩してから、バスでJR金沢駅へ。連休中の混雑で金沢市内の宿が押さえられなかったので、30分ほど列車に乗り、富山県高岡市に移動する。

兼六園
兼六園
金沢城石川門
金沢城石川門

 高岡駅前のホテルに泊まった翌朝、駅の南にある瑞龍寺を見る。ここは、前田利家の子で、金沢藩2代藩主となった前田利長の菩提寺である。山門・仏殿・法堂(すべて国宝)が前後に並び、四周は回廊で囲まれて禅堂や庫裏などが連結される左右対称の伽藍配置で、山門はこけら葺き、仏殿は鉛瓦葺き、法堂は銅板葺き(元は瓦葺き)と屋根の葺き方が異なるのがアクセントになっている。こうした伽藍配置は中国伝来の禅宗の様式によるものだが、回廊も含めて現存するのは大変珍しいという。澄み切った青空と、境内に敷き詰められた白砂や芝の間に整然と堂宇が並ぶ様子は、荘厳でたいへん美しい。

 瑞龍寺から前田利長の墓まで8町(約860m)の距離を一直線に続く八丁道を歩き、利長公の巨大なお墓にお参りする。いったん高岡駅に戻り、JR氷見線に乗って富山湾に近い伏木で降りる。現在は高岡市の一部となっているこの町はかつて北前船の寄港地として栄えたところで、当時の廻船問屋・秋元家の屋敷が北前船資料館として公開されている。この屋敷の上には、船の出入りを見張る望楼が付いており、ほとんど垂直に近いような狭い階段を登っていくと、その上から伏木の町と日本海を望むことができる。わずか2畳ほどのスペースしかないこの望楼には、昨年、小泉元首相も上がったことがあるという。

 古代の伏木には、大伴家持も国守として赴任した越中国府が置かれており、その敷地は後に浄土真宗の勝興寺の境内となった。北陸は蓮如上人の布教により浄土真宗の盛んなところで、さらにこの勝興寺は藩主・前田家との関係が強かったこともあって、広い敷地の中に巨大な諸堂を構えている。現在、20ヶ年計画の大修理中ということで大広間や書院などは工事中となっていたが、1795(寛政7)年に造られたという本堂は工事が完了していて、きらびやかな内部を見ることができた。

 勝興寺から伏木駅の方に下ったところに、1909(明治42)年に建てられた旧・伏木測候所の建物がある。この測候所は、伏木の廻船問屋の家に生まれた藤井能三という人が、伏木港の発展のため私財を投じて造ったものという。以来、現在に至るまでここでの気象観測が続けられており、いまも富山県西部の天気予報は高岡ではなく「伏木」の地名で出てくる(たとえば「Yahoo!天気情報」)。また、この測候所のある場所は、越中国守の館の跡で、大伴家持の歌などから古代の気象についても知ることができるため、継続的な気象観測地点として価値が高いのだそうである。

瑞龍寺仏殿・法堂(奥)
瑞龍寺仏殿・法堂(奥)
北前船資料館(右上に望楼)
北前船資料館(右上に望楼)
勝興寺
勝興寺
旧伏木測候所
旧伏木測候所

 JR伏木駅の裏手には小矢部川が流れており、対岸の射水市に渡る「如意の渡し」の船着場がある。ここは源義経が奥州に逃げのびる際、渡し守に正体を見破られそうになったため、弁慶が扇で主君・義経を打ちのめして嫌疑を晴らした場所だといい、その場面の銅像も建っている。歌舞伎の「勧進帳」でおなじみのこの話、歌舞伎では石川県小松市の「安宅の関」でのできごととなっているが、『義経記』では「如意の渡し」での話となっているそうである。船はあっという間に対岸へ。こちら側には万葉線の中伏木駅があるので、帰りは万葉線で高岡駅に戻る。万葉線は、乗客減少の続く民営の路面電車を第三セクターで再生しようとしている路線で、現在は新しい車両も入って明るいイメージになっている。とはいうものの、単線区間が多かったり道路に白線を引いただけの駅があったりして、本格的な再生にはまだ一定の投資が必要なのかもしれない。

 今回は旅費を節約して高速バスの往復割引を使っており、帰りも金沢から帰らなくてはいけないので、高岡駅から再びJRで金沢へ戻る。お昼ごはんは、近江町市場へ。どこの店も観光客で行列していたが、そのうちの1軒に落ち着いて、北陸の海の幸を満載した海鮮丼(2,625円也)にありつく。近江町市場を出て、午後は尾崎神社と尾山神社を回り、長町武家屋敷のあたりを少し散歩したところでバスの時間になったので、駅へと戻った。

如意の渡し
如意の渡し
万葉線
万葉線
海鮮丼
海鮮丼
尾山神社神門
尾山神社神門

養老の滝  YAGOPIN  2007/11/19 00:15

 昨日土曜日は、養老の滝に行ってきた。といっても飲み屋の「養老乃瀧」ではなくて、岐阜県養老町にある本物の滝のほう。親孝行な源丞内(げんじょうない)という木こりが、老父に好きなお酒を飲ませてやりたいと願ったところ、滝の水がお酒になった、という伝説の滝で、しかもそのお酒を飲むと老父は若返り、その噂が都に広まって、ときの元正天皇が滝まで行幸あそばし、やれめでたやということで年号まで「養老」になってしまった、というすごいところである。

 三重県の桑名駅から養老線に乗り込み、まずは多度駅で途中下車して、多度大社を目指す。ここは「北のお伊勢さん」とも呼ばれる伊勢神宮に縁の深い神社。「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」とも謡われたとのことで、先日伊勢神宮に行ったときからいずれ行かねばと思っていた神社である。山の麓にあって別宮・摂社などが多いのが、やはりどことなく伊勢神宮に似ている。11月半ばということで境内は七五三の子どもたちでにぎわっていた。

 多度から再び養老線で北上すると、ひょうたんのたくさんぶら下がった養老駅に着く。この日は雲ひとつ無い秋晴れ。少しずつ坂を上っていくと、濃尾平野が一望の下に見渡せる。紅葉を期待して出かけたのだが、ときどき赤く染まった木がある程度で、まだ真っ青な木のほうがよほど多かった。お昼時になったので芝生の広がる養老公園で一休みして、売店の焼きそばを食べながら「養老ピルスナー」を飲む。「養老乃瀧」の「養老ビール」とは違って、こちらは養老の水を使ったという地ビールである。養老公園から川沿いに30分ほど登って、ようやく目的地の養老の滝に到着。季節柄か思ったより水の量が少ないものの、高さは高い。もちろん滝の下まで行って水を飲むことはできないので、近くの養老神社にある名水百選選定の「菊水泉」を飲んでみた。親孝行が足りないせいか、残念ながらお酒にはなっていなかった。

多度大社
多度大社
養老駅のひょうたん
養老駅のひょうたん
養老の滝
養老の滝
紅葉には少し早い。
紅葉には少し早い。

岐阜  YAGOPIN  2007/11/12 01:44

 今週末は天気があまり良くないと聞いていたので外出しないつもりでいたが、日曜の昼から急に晴れてきたので、どこか近場であまり行ったことのないところはないかと地図を見ていたら、ふと岐阜市に目が止まった。岐阜へは、高校時代に旅行の途中で泊まったこともあり、予備校時代の友人宅を訪れたり、豊田に住んでいたときに長良川の花火を見に行ったこともあるのに、よく考えてみると観光名所らしいところにはどこも行ったことがない。意外な穴場を見つけたので、さっそく出かけるしたくをする。

 岐阜の名所といえば、斎藤道三・織田信長が本拠地とした岐阜城がまず始めに思いつく。関ヶ原の戦い以後に廃城になったので、江戸時代は城が無かったが、今は1956(昭和31)年に建てられた模擬天守が長良川に沿う金華山の上にそびえている。山の上にある城なのでたいへん眺めが良く、木曽川を超えて名古屋駅前の超高層ビルが見え、反対側は今日はかすんで見えなかったものの北アルプスの山々が望めるそうだ。これだけの眺望のいいところなので、ここには1910(明治43)年から既に模擬天守が建てられていた(のち焼失。現在のものは2代目)。現存する模擬天守でもっとも古いと言われる大阪城や洲本城の天守閣でも昭和初期のものなので、明治末から模擬天守があったというのは格段に古い。今は全国各地で城のあったところに天守閣が復活しているが、その最初期のものと言えるのではないだろうか。

 岐阜は江戸時代には城下町ではなくなったので、廃れていたというのが私の勝手な思い込みだったが、どうもそうではないらしく、信長の時代の城下町の機能が江戸時代にも残り、尾張藩が岐阜奉行所を置いていたという。当時の岐阜の町を思わせる町並みが、長良川に近い川原町周辺には残っている。また、岐阜城に近い正法寺というお寺には、江戸時代に建立された岐阜大仏がある。金属製の奈良の大仏や鎌倉の大仏とは異なり、竹材の上に粘土・経典・漆を塗って、金箔で仕上げた乾漆仏だが、像高は13.7mあるというから、奈良の大仏よりは少し小さいものの鎌倉の大仏よりは少し大きい。「日本三大仏」とパンフレットに書かれているが、そういう表示を私は富山県の高岡大仏でも見たことがあるので、その辺は諸説あるところなのだろう。ともあれ、川原町や岐阜大仏など江戸時代の岐阜の雰囲気を感じさせるところが、今の岐阜にもあるということが分かったのは、この旅での収穫のひとつだった。

岐阜城模擬天守
岐阜城模擬天守
岐阜城から長良川を見る。
岐阜城から長良川を見る。
正法寺大仏殿
正法寺大仏殿
川原町の町並み
川原町の町並み

料理  TOMO  2007/11/05 15:14
酢のお料理を作ってみます♪
温泉も良かったね~。
  YAGOPIN  2007/11/04 01:31

 鮨が今の握り鮨の形になったのは今から200年ほど前のことらしい。そのころ、尾張・半田で酒造業を営んでいた中野又左衛門は、江戸での鮨の発展・流行を目にして、酒粕から酢を造ることを始めた。これが現在の酢の大手メーカー・ミツカンの創業のきっかけであり、ミツカン(三つ環)のマークは、丸に三本の線を引いた中野家の家紋がもとになっているそうである。

 ミツカンの本社は今も知多半島の中ほどにある愛知県半田市にあり、半田市中心部の運河沿いには、黒塗りの板壁にミツカンのマークを白く抜いた古めかしい工場群が建ち並んでいる。酢の香りのただようこの一角には、ミツカンの博物館「酢の里」があり、今日はここを見学してきた。私は酸っぱいものが嫌いで、酢もあまり好きではなかったが、酢にも、長く受け継がれてきた伝統があり、いろいろな手間暇がかけられていることを知ると、酢に対する認識も変わってくるような気がする。だいたい考えてみれば、鮨には酢が不可欠だし、鍋に欠かせない「味ぽん」だってミツカンの酢を使った製品なのである。

運河沿いに建つミツカンの工場
運河沿いに建つミツカンの工場
「酢の里」(手前)とミツカン本社(奥)
「酢の里」(手前)とミツカン本社(奥)

 醸造業の盛んな半田では、ミツカンの他にも「国盛」という日本酒や、「キッコウトミ」という醤油なども造られていて、それらの工場もやはり運河近くに黒い板壁を並べている。半田市内をぶらぶら歩いた後、電車で知多半島南部の内海まで行って、砂浜近くにある日帰り温泉に浸かってくる。ちょうど日暮れになったので、海に沈む夕日が風呂場の窓からよく見えた。


〒長さん、こんにちは。  YAGOPIN  2007/10/24 22:21

 私も東京に来た際に無意味に山手線を半周したりしてなんとか100カ国までもっていきました。東京から九州まではだいたい盗ってしまったので、延長戦ではどうやって増やそうか思案のしどころです。


私も100ヶ国  〒長  2007/10/23 12:56

8月末くらいから始めて,私もちょうど100ヶ国で終了しました.100ヶ国にするため,土日に東京近郊19ヶ国制圧なんてことをしたので疲れがたまっているらしく,体のあちらこちらが今日も痛いのですが(笑).


国盗り  YAGOPIN  2007/10/22 21:58

 昨年参加したケータイ国盗り合戦に今年もエントリーしていたのですが、今年はちょうど100カ国で終わりました。でもさすがに2年連続で賞品が当たることはないだろうな…。


岐阜県多治見市  YAGOPIN  2007/10/14 01:00

 今日は岐阜県の多治見市に行ってきた。多治見駅からバスで少し行ったところには室町時代の名僧・夢窓疎石の開創(開山は仏徳禅師)という虎渓山永保寺がある。永保寺は、「虎渓」の名のとおり、このあたりでは渓谷となっている土岐川のほとりに建っている。夢窓疎石の時代から建つこけら葺きの観音堂が臥龍池に面して建ち、池には無際橋という木橋が架かっている。「はしは手摺危険につき通行止 一休」というような注意書きがあり、渡るのにちょっと躊躇したが、禅寺ならではの「とんち」と解釈して結局真ん中を渡ってしまった。観音堂は屋根の反りの強い唐様の建物で国宝に指定されている。観音堂の背後にそびえる梵音巌という岩山からは滝が流れ落ち、臥龍池にしぶきを立てる。建物の歴史や渓谷沿いというロケーションも加味すれば京都の名刹にも劣らない眺めである。

 永保寺からしばらく歩いて、今度はカトリックの多治見修道院。1930(昭和5)年に建てられたヨーロッパ風の建物で、教会の内部にはキリストの生涯を描いた壁画とレリーフが壁面を飾っている。周囲にブドウ畑があり、地下ではワインを醸造しているそうだが、残念ながら売り切れだったので、代わりにワインゼリーとパウンドケーキを買ってきた。また、多治見といえば美濃焼の産地として知られる。市内中心部のかつて陶磁器問屋街だった通りが戦国武将・茶人の古田織部にちなんだ「オリベストリート」と名づけられ、商家や蔵を陶磁器ギャラリーや飲食店などとして活用している。多治見といえば今年、日本最高気温40.9度を記録した町で、なんとなくあまり観光で歩くような町でないように思えていたが、行ってみると見どころも多く、町並みも落ち着いていて一見の価値のあるところだった。

 帰り道は高蔵寺駅から本邦唯一のガイドウェイバス「ゆとりーとライン」を使って名古屋市内まで帰る。ゆとりーとラインは、途中の小幡緑地駅までは通常のバスであり、小幡緑地駅からは専用の高架道路を走るガイドウェイバスになる。ガイドウェイバスの区間では車体の外側に取り付けられた車輪が、道路両脇の線路に沿って走る構造になっているため、ハンドル操作が不要なのが特徴である。ガイドウェイバスの区間は、車両はバスながら、高架線上に駅が設けられていて、鉄道とバスの中間のような形態となっている(法律上は軌道(路面電車と同類)扱い)。今のところここ以外に新たに増設される計画は聞かれず、実験的な存在で終わってしまうかもしれないが、それだけにとても珍しい存在である。

永保寺(左に観音堂)
永保寺(左に観音堂)
多治見修道院
多治見修道院
オリベストリート
オリベストリート
ゆとりーとライン
ゆとりーとライン

赤福  YAGOPIN  2007/10/12 22:54

 伊勢に行って赤福のことを書いたとたん、赤福が消費期限等の偽装疑惑で農水省の立入検査を受けたというニュースが入ってきた。びっくり。


伊勢神宮  TOMO  2007/10/11 18:31
ずっと行きたいなって思ってたから
行けて、嬉しかった♪ありがとう。
三連休その3  YAGOPIN  2007/10/08 21:45

 さいきん旅行続きなのでしばらく控えようと思いつつ、また三連休があるので出かけてしまう。今回は妻が前から行きたいと言っていた伊勢神宮に行くことにする。

 伊勢神宮は豊受大神(とようけおおみかみ)をまつる外宮(豊受大神宮)と、天照大神をまつる内宮(皇大神宮)の2つの正宮から成る神社である。神宮の玄関口として豪華な建築となっている宇治山田駅を降りて、少し歩き、まずは外宮に参拝する。外宮・内宮とも、20年に一度、社殿をすべて一新する「式年遷宮」があり、次回の遷宮が2013(平成25)年に近づいているため、既にその準備が始まっている。神宮には、外宮・内宮の両大神宮だけでなく、附属する別宮にもすべて社殿の横に新しい社殿を建てる敷地(新御敷地)が確保されていて、遷宮に備えられている。私が以前に参拝したのは前回の式年遷宮(1993(平成5)年)から間もないころだったので、伊勢神宮というと真新しい建物のイメージがあったのだが、それから十数年たって、屋根は苔に覆われ、鳥居も長年の風雨に耐えた様子となっている。それにしても、これだけ大きく大勢の人を集める神社でありながら、約2000年前から変わらないという素朴な形の社殿が大木に囲まれて鎮座する姿はさすがに伊勢神宮ならではのものである。

 外宮からバスで内宮へ。五十鈴川に架かる宇治橋を渡って、五十鈴川の水で手を清め、正宮前に進むと、さすがに三連休だけあって大行列ができている。30分ほど並んでようやく参拝を済ませ、内宮の敷地内にある別宮もいくつか回る。かなり真剣にお参りしつつも、伊勢神宮にはなんとなくテーマパーク的な楽しさがあるように思えてくる。

外宮
外宮
外宮新御敷地
外宮新御敷地
五十鈴川
五十鈴川
内宮
内宮

 無事お参りが済み、昼どきになったので、門前町で食事をとる。内宮の門前町は「おはらい町」と呼ばれ、市のまちなみ保全事業の結果、かつての伊勢の伝統的な街並みが再現されつつある。伊勢うどん、手こね寿司、赤福、と伊勢の名物を一通り賞味してから、鳥羽行きのバスに乗る。この日の宿は駅の裏手にある桟橋から船で20分のところにある答志島。民宿でもうひとつ伊勢の名物・伊勢海老の刺身をいただき、今日は、鳥羽から伊勢湾フェリーで渥美半島の先端・伊良湖岬へ。やっぱりここでも名物の大あさりなどを食べてから家路に着いた。

おはらい町
おはらい町
鯛と伊勢海老
鯛と伊勢海老
伊勢湾フェリー
伊勢湾フェリー
伊良湖岬灯台
伊良湖岬灯台
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