YAGOPIN雑録

日々のできごと・思うこと

復元された朱雀門

● 1999年10月~12月


 また歳をとってしまった。入社したのが23のとき、大学に入ったのが19のときと思うと月日の経つのは早いものである。

 いっぽうで、ここ半年くらい職場で若い、若いといわれつづけてきたので、という感じもする。しかし、同じく職場では、「俺がその歳には子供がいた」とかそういう発言もあるので要注意である。【1999.xx.xx】


 今日は新宿でバーゲンのコートを買い、そのあと店の人のパワーに負けてたいして欲しくもなかったセーターを1万円で買ってしまった。このあたり相変わらず買い物下手である。新宿まで出たらついでに映画でも見ようかと思ったが、なんか疲れたのですぐ帰ってきてしまった。【1999.11.14】


 わりと忙しい日々である。さっき、やらなくてはならないことをメモに書いていたら、あっという間に10項目くらい並んでしまった。しかもやりたくないめんどくさい内容がそのうち5項目くらいある。帰るのが遅いせいかこのごろ体調もよくない。風邪をひいたのかもしらん。なんだか熱っぽい。昨日は、朝風呂に入ろうと思って、帰ってすぐ寝たが、朝起きてみると、体がだるいのでそのまま二度寝してしまった。まじでやばい。【1999.11.11】


 そういえば私は以前は8時に家を出ていたのだが、さいきんは8時40分を過ぎることもある。まえはのんびり歩いて電車も走って乗ることもなく、15分前についてごみ捨てをして、朝食を食べて新聞を読んでいたのが、今はとにかく最短時間で会社まで行ってぎりぎり始業の9時半につき、それからごみ捨てをして、こっそり朝食を食べて、昼休みに新聞を読むという生活になっている。【1999.11.3】


 今週末にしようと思ってたこと、スーツを買いに行くことと、髪を切りに行くことは、どちらも昨日のうちに済ませてしまった。・・・今日は何をしようか。

 スーツ買いに行ったときの店員の格好はなんかすごかった。喪黒福造ふうの慇懃なおっさんだったのだが、紫の水玉のネクタイで、指にはでかい指輪をはめていたりして、これ以上の悪趣味はちょっとないなあ、という感じ。意図的にやっているんだろうか??単にそういう服装の趣味なのか??もしかしてあんな格好にさせられてしまったら困るなあ、と思っていると、そこはさすがにプロで、まあ、こちらの希望通り、しかもなんにも測らずに裾以外まったく直す必要のないぴったりのを探してきてくれた。お客様の体型にはぴったりでございます、との言葉通り今の私の体型にはぴったりなのだが、これが何年着られるのだろうか、と思うとやや憂鬱になる。【1999.10.31】


 さいきん「古事記」を読んでいる。実はこれがけっこうおもしろい。中学高校と古文なんて好き好んで読んだことは一度も無かったのだが、やはり日本語ではあるので、私にとっては英語よりぜんぜん読みやすい。

 「古事記」に記されているのは、神代の昔から600年ごろの推古天皇の時代までの日本の歴史である。「古事記」と「日本書紀」(基本的に同じことが書かれているが、あとからつくられた「日本書紀」のほうが正式な史書としての性格が強く、内容的にも補強されているようである)は8世紀につくられたものだが、そのときに「古事記」「日本書紀」以外の都合の悪い歴史書はすべて廃棄されてしまったので、ときに不自然なほど都合良く話がつなぎ合わされている。

 基本的に私は古代史好きで大学時代にも法学部の授業をさぼってまで日本史の講義を聴いているほどだったから話の筋はおおむね知っていたのだが、原書で読むと(と言っても読み下し)けっこう意外な事実がわかったりする。たとえばヤマトタケルノミコトなどは悲劇のヒーロー的に扱われるのだが、こどものころのエピソードでは、

「天皇の息子であるオオウスノミコトが、朝晩の食事を天皇とともにとろうとしないので、反逆心があるためではないかと心配した天皇は、(天皇と食事をともにするのは反逆心のない印とされていたらしい)食事をいっしょにとるように言い聞かせるよう弟のヤマトタケルに命じた。しかしいつまでたってもオオウスノミコトは食事をいっしょに食べに来ないので天皇はヤマトタケルにどういうふうに言い聞かせたのか尋ねた。するとヤマトタケルノミコトは、こう答えた。
『便所に行くところを待ち構えて、ひねりつぶして手足をもいで、こもに包んで捨てた。』」

 というわけで、ヤマトタケルがあまりに乱暴者であるのに苦慮した天皇は厄介払い的にクマソやらエミシやらあちこち遠征に行かせるのである。いやあ、水戸黄門が18歳まで不良だった、っていうのと同じくらいショッキングな話ではないか。そのほかこんな話。

「天皇の祖先であるニニギノミコトは、コノハナノサクヤヒメ(木の花の咲くや姫)に人目ボレして求婚した。コノハナノサクヤヒメの父親である山の神はたいそう喜び、コノハナノサクヤヒメに、姉のイワナガヒメ(岩長姫)もつけてニニギノミコトのもとへ送った。コノハナノサクヤヒメはすごい美人だったが、イワナガヒメは醜かったのでニニギノミコトはちゃっかりコノハナノサクヤヒメだけ受けとってイワナガヒメのほうはそのまま山の神のもとへ送り返した。山の神はたいへん悲しんで、『コノハナノサクヤヒメをさしあげたのは花のように天皇が栄えることを望んで、イワナガヒメをさしあげたのは岩のように天皇の命が続くことを望んでのことである。ニニギノミコトがイワナガヒメだけ返したのであれば、これから天皇の命は花のようにはかなくなってしまうことであろう。』と言った。以後、天皇の命は限りあるものになってしまった。」

 なるほどなるほど、ではないか。【1999.10.29】


 上野の科学博物館でやっていた「大・顔展」が急に気になりだしたので行ってみたら、案の定おわっている(名古屋に行ってしまったらしい)。では、と思い、芸大美術館の特別展でも見に行くか、と思って見に行くとこれはすごい行列である。やれやれ、と思って、こんどは前々から食ってみたいと思っていた「愛玉子」を食いに行った。

 「愛玉子」と書いてオーギョーチーと読む。これは台湾産の木の実でなんか毛むくじゃらの松ぼっくりのようなものなのだが、寒天のように加工してあってシロップをかけて食うものである。「愛玉子」自体は味の無いものだが、「愛玉子」の店はかなり味のある店だった。

 食い終わって、今度は西洋美術館に行く。「オルセー美術館展」をやっているが、思った通りものすごい混雑である。実は西洋美術館に入るのは初めてなので、常設展を見てみようと思い、窓口で「常設展一枚」というと、「オルセー展のチケットで入れます」などといわれる。だからオルセー展はいいから常設展を見るのです、ということを言っても「オルセー展のほうはよろしいですか?」などととぼけたことを言う。あんな混雑の中で絵を見ようとはちょっと思わない。

 モネの「ポプラ並木」を見て少し幸福な気分になって外に出るとパントマイムみたいなストリートパフォーマンスをやっていた。松坂屋に寄ってみたが何も買わずに出た。まあ、こんな日曜日だった。【1999.10.25】


 今日は品川インターシティの「ポンペイ展」を見てきた。テーマパーク的に展覧会をやろうという企画はおもしろいと思うが、紀元79年のヴェスビオ火山噴火のときのものを展示しながら、突然、紀元前6世紀の土器とかの展示が混ざっているのはちょっと違うかなと思った。品川インターシティは、品川駅の港南口にある。港南口は山手線を降りてから500mくらい通路を歩かされる、品川でもものすごくマイナーなゾーンだったのだが、しばらく行かないうちに新幹線の駅の工事をしていたり、再開発が始まっていたり、NTTのツインビルができたり、インターシティの高層ビルが3棟くらい建ったりで、めちゃくちゃ様変わりしていた。三菱系企業の本社もかなり丸の内から移転する予定ときく。【1999.10.3】

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