YAGOPIN雑録

日々のできごと・思うこと

山陰本線から見る日本海

● 2003年10月~12月


YAGOPIN - 03/12/31 22:23:51

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 東京の実家で紅白見てます。小林幸子も終わって2003年もあと2時間を切りました。

 さて、近鉄特急さん、こんばんは。セイコガニ(セコガニ、コウバコ)は越前ガニ(ズワイガニ、松葉ガニ)に比べるとずいぶん小さいのですが、子供を持っているので地元では人気が高いのだそうですね。

 それでは、2004年もよろしくお願いします。よいお年を!


近鉄特急 - 03/12/29 01:08:24

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YAGOPINさんご無沙汰です。福井へ行かれたとの事ですが、セイコガニ、とってもおいしいですよね。また食べたいなあ、でも売ってないなあと思ってたら、地元以外では呼び方が違うんですね。ナルホド。正月用に探してみます。


YAGOPIN - 03/12/29 00:43:32

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 ちゃきさん、こんばんは。

 2003年はとりたてて悪いこともなかったけれど、かといってそんなにいいこともなく、なんだかどたばたと忙しいばかりで、ゆとりのない1年でした。大阪暮らしに少し慣れたためか、あちこち旅行できたのが、唯一の成果だったかな。東海道も歩き終えたし、海外にも2度行けたし。

 2004年はお互いいいことのある年になるといいですね。というか、いいことがあるよう努力しないといけないかな…(ちょっと反省)。


ちゃき - 03/12/26 23:48:22

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2003年もそろそろ終わりですね今年はどんな年でしたか? 私は 会社の営業成績が悪くて 収入が がくんと落ち込んだ 良くない年だった~  来年こそは 上向きな年になってくれるといいな~来年も たくさん旅して 色々教えてくださいね


YAGOPIN - 03/12/19 08:06:01

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 福井のNさん、こんにちは。越前ガニもいいけど、やはりこんどは美味しい日本酒を飲みながら食べたいね。


福井のN - 03/12/17 22:55:27

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次回は越前ガニにしたいですね。写真、よくとれてるなあ。


YAGOPIN - 03/12/14 23:13:02

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 2人の友達を訪ねて福井まで行ってきた。敦賀で気比神宮や気比の松原を眺め、名物のソースカツ丼を食い、蓮如が滞在した吉崎御坊、日本最古の天守閣が残る丸岡城、曹洞宗の大本山・永平寺、水仙の咲く越前海岸などなど福井市周辺の見どころを見て回る。日本海際の温泉に入ったり、海鮮丼やらカニやらを食べたり、と盛り沢山な旅になった。御案内いただいた御両名及び奥様に感謝!

日本三大鳥居の一・気比神宮の大鳥居
日本三大鳥居の一・気比神宮の大鳥居
ソースカツ丼
ソースカツ丼
吉崎御坊
吉崎御坊
石瓦を乗せた丸岡城天守閣
石瓦を乗せた丸岡城天守閣
福井市内足羽山に立つ継体天皇像
福井市内足羽山に
立つ継体天皇像
雪への準備が始まる永平寺
雪への準備が始まる永平寺
越前水仙が咲き乱れる。
越前水仙が咲き乱れる。
越前海岸の奇勝・呼鳥門
越前海岸の奇勝・呼鳥門
友人N氏宅でいただいたセイコガニ(越前ガニの雌)
友人N氏宅でいただいた
セイコガニ(越前ガニの雌)
カニの天敵・越前クラゲ?
カニの天敵・越前クラゲ?

YAGOPIN - 03/11/30 19:27:33

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 清水寺に行ってきた。先々週に高台寺・円徳院の夜間ライトアップに行ってきたときには、ほとんど紅葉しておらず真っ青に近かったが、少し寒くなってきたせいか、ようやく紅葉も見ごろという感じである。もう明日から12月だというのに。

先々週の真っ青な紅葉
先々週の真っ青な紅葉
今週の清水寺
今週の清水寺

YAGOPIN - 03/11/24 23:03:01

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 先ほどの書き込みをする際にいろいろ検索していたところ、こんなことが分かった。

 へぇー。

【補足】

 「僕」は「公僕」「下僕」のように「しもべ」を意味する言葉で、司馬遷が書簡の中で自称として用いているのを吉田松陰が見つけて使い始めたのだという。吉田松陰の弟子が多く日本の実力者になったため広まったのだとか。

 水戸光圀は明から亡命してきた儒学者・朱舜水を招いており、彼に教わって蓮根の澱粉から麺をつくったと言われている。ショウガ、ニンニク、ニラ、ネギ、ラッキョウを添えて食したと言われているが、これってほんとにラーメンかなあ。


YAGOPIN - 03/11/24 20:35:37

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 近鉄特急さん、こんばんは。身に余りあるお褒めの言葉、恐れ入ります(笑)。なんと「水戸黄門」に御近所の方が出られたのですか。水戸光圀本人は、勿来関から江ノ島くらいまでしか旅していないようなので、水口を訪れたことはないはずですが、水口城には徳川家光が上洛の際に宿泊しているのですよね。

 さて、昨日は山口県の萩まで旅していました。だいぶ前に一度来たことがあるのですが、そのときは大雨の中で松下村塾だけ見て終わってしまっていたので、いつかまた来てみようと思っていたのです。JR東萩駅を降りてまずはその松下村塾・松陰神社へ。吉田松陰が講義し、高杉晋作・伊藤博文・山県有朋・久坂玄瑞などが集った松下村塾は、8畳の講義室と 10畳の控え室から成る質素な建物で、当時松陰は27歳くらい、生徒たちは20歳前後だったといいます。初代総理大臣の伊藤博文の旧宅も松下村塾の近くに残ります。

 このあたりは萩城下町の郊外にあたり、中心部へは松本川を渡って1kmほど歩く必要があります。中心部からはバスに乗って菊ヶ浜へ。毛利輝元の墓に参ってから、幕末に山口に移るまで毛利家の居城だった萩城址に赴きます。毛利輝元は広島を拠点に中国地方一円112万石を支配する大名でしたが、関ヶ原の戦いで西軍側の総大将にまつりあげられたため、敗戦後に所領を山口県部分36万石に減封されました。毛利家は萩のほか山口・防府の3箇所を新城候補地として幕府に伺いを立てましたが、裁可が降りたのは、交通の最も不便なこの萩でした。萩城は海に突き出した指月山に非常時の詰丸(要害)が築かれ、山のふもとに本丸御殿や五層の天守閣が設けられていました。天守閣をはじめとする建造物は明治初年に解体されていますが、石垣や堀が今も残されています。

山陰本線から見る日本海
山陰本線から見る日本海
松下村塾
松下村塾
伊藤博文旧宅
伊藤博文旧宅
萩城。左端は天守台。後方の山が指月山。
萩城。左端は天守台。
後方の山が指月山。

 堀を2つ渡ると伝統的建造物群保存地区に指定された堀内という町に入ります。この地域はかつて重臣たちの屋敷が集まっていたところで、現存する建物は必ずしも古くないようですが、土塀や石垣に囲まれた屋敷町の様子がよく残っています。道筋では名産の萩焼を販売していたり、新しい博物館の建設が行われていたりしました。

 張作霖爆殺事件で首相を辞した田中義一像の前で外堀を渡り、城下町跡へ。萩藩御用達の豪商だった菊屋家の白壁の建物を見学し、その横の菊屋横丁を曲がると、その先には高杉晋作の誕生地があります。2本隣の江戸屋横丁には、真言寺院と金毘羅社の神仏習合形態を残し、高杉晋作や伊藤博文もよく訪れたという円政寺や、木戸孝允の旧宅などがあります。菊屋横丁や江戸屋横丁は電柱が撤去され、景観に配慮した街づくりが行われているのが分かります。

堀内の街並み
堀内の街並み
菊屋
菊屋
円政寺。左側に真言寺院。右側に金毘羅社
円政寺。左側に真言寺院。
右側に金毘羅社
江戸屋横丁
江戸屋横丁

 観光を終え、アーケードの商店街となっている田町通りを東へ歩きます。参勤交代の際、藩主はこの田町通りを進み、札場(高札場)から南へ続く萩往還を通って、港のある三田尻(防府市)に向かっていました。日本海に面した萩の町。夕食をとるため札場近くの寿司屋に入ると、店には「宮沢りえ」などの色紙が飾ってありました。

 しかし、やはり萩は見どころが多すぎですね。今回はバスと徒歩を併用して回りましたが、市内周遊の「まぁーるバス」はほとんどの見どころを隈なく回る反面、相当な回り道をし、しかも一方通行なので、むしろ貸し自転車を利用したほうが効率よく回れたなと思いました。「まぁーるバス」はどちらかというとあまり体力を使いたくない人向けでしょうか。時間の都合で省いてしまった名所も多かったので、また今度ゆっくりと訪れようと思います。


近鉄特急 - 03/11/24 01:49:11

コメント:
5周年おめでとうございます。 栄枯盛衰のネット界にあって、コツコツと続けてこられ、行動力といい、マメさといい、自分に欠けている事ばかりなので、全く敬服致します。 福岡の件、そうですそうです、その志賀島です。(私自身、思い出せませんでした) HNの由来といい、YAGOPIN様はすべてお見通しですね。 ところで、水戸黄門で思い出したのですが、TVでは黄門様が街道沿いに巡回してましたが、水口編もあって、「かんぴょう娘と...」とのタイトルでした。隣の家はかんぴょう農家ですし、そのかんぴょう娘役は、二つ隣の美人3姉妹が登用されました。でも、実物はここまで行脚していたのでしょうか? また、しばらくご無沙汰するこも知れませんが、 YAGOPIN様を見習って「細く長く」いきたいと思います。 P.S.前回コメントで、YAGOPIN様のつづりが間違っており、大変失礼しました。


YAGOPIN - 03/11/22 22:37:50

コメント:

 おかげさまで、昨日、当サイトは開設5周年を迎えることができました。これからも細く長く続けていきたいと思いますので、引き続き御愛顧をお願いいたします。

 さて、近鉄特急さん、お久しぶりです。福岡は志賀島へ行かれたのでしょうか? 確かにその土地の地誌が分かっているとそこにある以上のものが見えて楽しいですね。初めて来る町でも、駅などに置いてある観光マップなどをいくつかもらってくれば、それなりに見て回ることはできます。明石大橋は船を使う以外にバスを使うという手もありますよ。徳島行きのバスもありますし、橋の通行料もこのごろだいぶ下がったはずなので、今度はぜひ鳴門の渦潮でも見てきてください(非常にしょぼいのですが、まあ一度くらいは見るべきでしょう。)。

 がちゃぴん、こんばんは。約束どおり書き込んでくれましたね。先日はどうもでした。また、大阪来たら飲みましょう。


がちゃぴん - 03/11/22 13:14:47

コメント:
初カキコさせていただきますー。 YAGOPIN様、HP開設5周年おめでとうございます☆ どんどん更新してくださいませ。 またお邪魔しますですー。


近鉄特急 - 03/11/22 12:08:37

コメント:
YAGOPIN様ご無沙汰しております。 結婚式のついでに観光とは...その行動力には感心いたします。茨城というとつくば博へ行ったきりで、「学研都市」のイメージしか思いうかばないのですが、見所を見つけるのが上手ですねえ。やはり、その土地の地理歴史を学んでおくと印象も違うのでしょうか。 私は、生まれた時から筋金(針金?)入りの阪神ファンで、今年の日本シリーズで福岡まで2泊3日遠征したのですが、ついでの観光は、行くあてもなくナントカ島をブラブラするハメに...こんな事ならPAGOPIN様にアドバイスをもらっていけばよかったのに...と思いました。 あと、先週、神戸の弟のマンションへ行ったのですが、明石海峡大橋のすぐそばで、窓から海峡の往来が一望できました。頻繁に船舶の往来があり、大橋の車両通行量より多いのでは?と思ったほどです。 せっかくきたので四国(今だ未踏)まで行くか!と思ったものの料金を聞いてびっくり、さらに、橋の向こうは四国でなくて淡路島だと気付いて(うっかりしてました)、結局展望室へ行くにとどまりました。 明石まで出て船で行けば良かった...


YAGOPIN - 03/11/01 12:17:30

コメント:

 ちゃきさん、こんにちは。大阪はまだ紅葉にはちょっと間があるようです。

 水戸黄門の別荘とは、常陸太田市にある「西山荘」のことでしょうか。テレビの「水戸黄門」も長いこと見ていませんが(僕の中では未だに水戸黄門は西村晃です。)、確か毎回新しいシリーズが始まると、一行はまず西山荘から出発していたのではなかったかと思います。

 蕎麦は、調べてみると茨城県の名産品だそうですね。ちょうど今頃の時期が「常陸秋そば」のシーズンだということです。次はいつ訪れることになるか分かりませんが、今度行くときには挑戦してみたいものです。


ちゃき - 03/10/23 23:42:46

コメント:
おひさしぶりです。 青森は 街の紅葉も散り始めましたよ。  水戸には一度だけ行ったことがあります。 なんと!ネット友達に会いに行ったのです!(笑) そのときは 水戸黄門の別荘(?)と もう一ヶどこだっけ・・・・偕楽園ではなくて ・・・忘れた(笑)本当に あまり 見るところがないって思った(心の中で) 知ってる?水戸はお蕎麦が意外にも 名産(?)だそうです。私も おいしい蕎麦を食べてきました。 梅の季節の偕楽園に行ってみたいです。


YAGOPIN - 03/10/13 16:46:26

コメント:

 高校時代の友人が結婚することになり、新郎含め友人7人が久しぶりに集まった。結婚式は茨城県の水戸で行われたため、翌日、そのうちの4人で水戸を観光する。水戸といえば水戸光圀と水戸斉昭。「義公」「烈公」と呼ばれたこの2人を祀る常磐神社に参拝したのち、斉昭が建設した日本三公園の一・偕楽園と藩校・弘道館に行き、水戸城址を歩くと、水戸の主だった名所は見て回れる。

 水戸光圀は教科書的には「大日本史」の編纂を始めたことで知られる。「大日本史」は個人の力量によって天下人が決まる戦国の世を改め、徳川の天下を磐石にするため、天皇家及び天皇家に連なる源氏・新田氏の子孫とされる徳川氏の正統性を明らかにすることを目的としていた。しかし「大日本史」編纂事業の生み出した「水戸学」は、幕末には尊皇攘夷の思想へと変容し、倒幕運動へとつながっていくという皮肉な結果を招くことになる。ちなみにこの「大日本史」編纂のため各地に佐々宗淳(助さんのモデル)、安積澹泊(格さんのモデル)らの学者を派遣したことが、水戸黄門漫遊記のもととなったと言われるが、水戸光圀がテレビの「水戸黄門」のイメージどおりの人物だったかどうかはかなり疑問の残るところで、だいたいが水戸藩自体、農民に対して相当苛酷な年貢の取立てを行っていたという。

水戸光圀生地にある「水戸黄門神社」
水戸光圀生地にある
「水戸黄門神社」
格さんのモデルと言われる
安積澹泊の像
格さんのモデルと言われる
安積澹泊の像

 水戸斉昭は幕末の明君で徳川慶喜の実の父としても知られる。弘道館などで見られる斉昭の書画は、素人目に見ても素晴らしいもので、芸術・学問の方面にも長けていたことが分かる一方、偕楽園内にある好文亭には、3階まで食器を上げ下げする装置や、辞書代わりになる文字を書き連ねた襖、外側からは窓に見えない窓など、斉昭考案によると言われる数々の工夫があり、合理的な考えの持ち主だったことが知れる。

 光圀・斉昭の居城であった水戸城(といっても水戸藩は藩主江戸在府が原則だった。)は、連郭式の縄張りで、弘道館のある三の丸と二の丸・本丸が那珂川と千波湖にはさまれた台地に東西に並ぶ形状となっている。ただ遺構は弘道館を除くと、本丸薬医門くらいしか残っておらず、城地の大部分は小学校・中学校・高校に、本丸と二の丸を隔てる堀はJR線に、二の丸と三の丸を隔てる堀は旧国道に転用されている。

水戸城薬医門
水戸城薬医門
偕楽園内「好文亭」より千波湖方面
偕楽園内「好文亭」より千波湖方面

 水戸城址・弘道館は水戸駅から徒歩10分程度、偕楽園・常磐神社は水戸駅からバスまたはタクシーで15分程度。半日あればこれらの史跡はすべて回れる。


YAGOPIN - 03/10/09 00:29:39

コメント:

 まっちゃん様(←あえて「様」)、こんばんは。

 今日、話題にならなかったので、忘れたかと思っていたのですが、やっぱり検索をかけていたとはさすがです。しかも、私が帰ってからすぐ検索を始めたでしょ!


まっちゃん - 03/10/08 17:54:02

コメント:
いつもお世話になってます。すばらしいHPですね。また、お邪魔します。


YAGOPIN - 03/10/05 15:55:30

コメント:

 ちゃきさん、こんにちは。

 僕もそれほどプロ野球には興味がないのですが、やはり周囲に阪神ファンが多いのと、今年は大阪自体が阪神優勝で盛り上がっているので、にわか阪神ファンにならざるをえないという感じです。

 もっとも、大阪でもやはり野球中継の関係で巨人ファンがけっこういます。阪神ファンが増えたのは、全国ネットに加入していない独立局であるサンテレビが阪神戦の中継を始めたためという話もありますので、テレビの力は絶大ですね。

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