YAGOPIN雑録 日々のできごと・思うこと 松山城
 
 ● 2001年1月〜3月
 
 

 駅から寮までの間にコンビニが開店した。これで夜どんなに遅くなったときも最悪コンビニ弁当にはありつける。ありがたい、ありがたい。

 しかし、このコンビニなのだが、開店したばかりで従業員やバイトの不慣れさには目を覆わんばかりである。まず、こちらから「温めてください」と言わないと弁当を温め忘れる。ビニール袋を3枚も4枚も出したあげく、どうみてもそれには入らんだろうという小さい袋にパンやらペットボトルやら無理やりつめこんだ挙句、温まった弁当をがぼがぼのでかい袋に入れて平気でいる。開店から2週間でもう何度も行っているが、毎回似たり寄ったりの状態で、毎回たのまないと弁当は温めてくれない。なんでバイトに経験者を雇わなかったのか首をひねるばかりである。【2001.3.13】


 私のメインの仕事は、役所にある許認可を申請することなのだが、今年度申請しなければならない案件のうち、済んだのが4件、決裁中が1件、未処理のうち、絶対に年度内に通してもらわなくてはならないのが3件、できれば年度内にやりたいのが2件である。(他に今年度は流したのが2件ある。)つまりは11ヶ月働いて、まだ達成率5割という数字である。あと1ヶ月で、今までの11ヶ月と同数申請することが果して可能なのだろうかと考えるとプレッシャーで気がめいる。(名古屋の案件が多いのだが、名古屋の部長がまだかまだかと非常に怒っているらしい。。。名古屋の担当者は同期なのだが、非常に気の毒だ。。。)【2001.3.1】


 このごろ、たまに無意味にくしゃみがでるようになった。思い当たる原因は花粉症しかない。あーやだやだ。【2001.2.24】


 三連休のあと会社に行ったら、週末やり残したにっちもさっちもいかない課題の上に、さらにメールでまたどうしようもない難題が次々にやってきて対応に追われ、寒い中、役所へ往復したりしたら、寒気が止まらなくなり、ダウン。熱は微熱程度だったのだが、胃が重い、関節が痛い、まったく食欲がない、とにかくだるい、と悲惨な状態ながら、休むわけにも行かず、火曜・水曜・木曜と死にそうになりながら、とにかく出るだけは出て早く帰って即寝るという生活を続けていたのである。死にそうな、というのは客観的にもそうだったらしく、決裁をもらいにいった某課長代理からは「死ぬなら嫁もらってからにしろよ。」などと言われる始末で、ほんとたいへんだった。

 それが金曜になると熱も平熱になり、天気も良くてわりと暖かかったので、なんとなく元気になった気分でいると食欲も回復し、気がつくといつもどおりになっていた。まあ体力的にも弱っていたのだろうが、こういうのってけっこう気分に左右されるものなのだろうなあ。いわゆる病は気からというやつか。

 というわけで、火曜日の午後から木曜日の昼までチョコレート数切れとスープとヨーグルトくらいしか口に入れていなかったので、昨日今日と腹が減ってしかたがないのである。3日間、どんな料理を思い浮かべても吐き気がするだけだったのが、今は何を食っても美味しく感じられるような気がする。体調を崩したりすると、普通に飯食って生活していることのありがたみが感じられて、たまにはいいことかもしれないなとか思ってみたりするのである。

 くれぐれも健康には留意されたし。それでは、また。【2001.2.17】


 先週の三連休、急に思い立ってひとりで西日本を旅してきました。今回の目的は5つあって、まず一つ目の目的、本山線の旧型電車

1.旧型レトロ電車に乗る

を達成するため、山口県宇部市高速バスを降り、本山線と呼ばれる路線に乗りに行きます。わずか2.3kmのこの線には昭和8年製造の旧型電車が現役で運行されており、鶴見線の旧型車がなくなった今ではたぶんこれがJR唯一の旧型電車。チョコレート色の車体、木張りの室内に、重々しいモーターの音を響かせて1両で走ります。終点で運転手さんのくれた「乗車記念証」にはもともと関西の国電用として製造され、首都圏を経て、3度目にここへたどりついたということが書かれていました。終点の長門本山駅はかつて炭坑があったという場所ですが、今は新興の住宅地になりつつあるようなところで、周防灘に面した浜辺に海浜公園を造成していました。次は、

 
関門トンネル。山口県と福岡県の県境。

2.関門海峡を歩いて渡る

ために下関の2つ手前、長府で列車を降り、バスで壇ノ浦へ向かいます。空中に関門橋、地下に関門国道トンネルが通っているあたりが早鞆の瀬戸。関門海峡がいちばん狭くなっている場所で、平家が滅亡した場所、または幕末に長州が黒船相手に戦争をやった場所でもあります。関門国道トンネルは歩行者は無料、自転車は20円で通ることができ、トンネルへ降りるエレベーターが海岸近くに設置されています。歩行者・自転車用のトンネルは自動車用のトンネルの下の空間に設置されているもので、長さ約800m。観光バスから降りてきた観光客が大勢いたり、ジョギングしている人がいたりするのはちょっと意外でした。北九州側の口はワカメを刈って奉納する和布刈(めかり)神事のある和布刈神社のすぐわきにあるのですが、交通の便の悪いところで、うろうろしているうちに時間が過ぎ、小倉から大分行き特急に乗って別府に着いたのは15時30分。

 
うーむ。これが地獄なのか。。。

3.別府で地獄めぐりをする

は、どうも時間的に全部めぐれそうになくなってきました。とりあえず8地獄のうちバス停から近い4地獄を回ったところでタイムアウト。まあ、どれも基本的には水蒸気がぶあーっとかぼこぼことかもくもくとかあがるということなのですが、ワニがうじゃうじゃいたり、ピラニアの水槽があったり、温泉卵をつくったり、熱気でバナナを育てたりなど意味不明の工夫が随所に見られ楽しめます。子どもやお年寄りには全体にかなり受けているようです。当然そのあと温泉にも入っていきます。そして、大分市内に宿泊して、その夜はだんご汁、関サバ(大分でもただのサバの倍以上の値段がする。)と大分名物で固め、翌日は関サバ・関アジの産地、佐賀関町へ向かいます。ここから

 
右は佐田岬半島の先端。左にうっすらと大分県の高島。

4.豊予海峡を横断して四国へ渡る

ために国道九四フェリーに乗り込みます。このフェリーは国道フェリーという名の通り、フェリー路線自体が一般国道197号となっており、昭和60年ごろまで日本道路公団が管理していた有料道路?だったりします(今は民間会社の管理)。ちなみにここに橋を架けようという計画はありますが、船から見た感じではちょっと距離がありすぎて難しいのでは。。。で、着いたのは佐田岬半島の先にある三崎港。日本一細長い佐田岬半島の上を通る特急バスからは左右に伊予灘と宇和海が同時に見え、途中の八幡浜で食べた卵とダシ汁をかけて食べるアジ飯も美味しく、松山で最後の目的である

 
道後温泉本館。混雑していた。

5.道後温泉に入る

も達成して満足のうちに東京へ帰りました。【2001.2.12】 


 近所のTSUTAYAで立ち読みして暇だからビデオでも見るか、とビデオを探して外へ出たら大雪降っててびっくりした。家に帰るまでの間に雪まみれである。

 で、だいたい洋画の歴史ものとかが好きなので、『グラディエーター』とか借りてきたのだが、歴史を題材にした映画なりドラマなり、というのは どこまで歴史に忠実であるべきなのだろうかとふと思う。

 たとえば『エリザベス』で女王がトマス=シーモアと恋愛関係にあったのはたぶん史実なのだが、映画のようにトマスが反乱に荷担していたというのはウソである。『アンナと王様』でアンナとルイがタイに行ったのは史実だが、その余の話はちょっと怪しそうだ。少なくともモンクット王はアンナと出会ったときは60歳くらいであってチョウ=ヨンファが演じるのでは20歳くらい若い。本物のアンナとモンクットの関係とはちょっと違ったんじゃないかという疑念は残る。

 『グラディエーター』の場合、マルクス=アウレリウス帝とその息子の コモドゥス帝、コモドゥス帝の姉のルキラの3人が実在の人物のようだが、コモドゥス帝が自分に帝位が譲られないのを怒って父親を殺害するあたりはかなり変である。なぜならアウレリウス帝が死んだとき、コモドゥスは父親との共同統治という形で既に皇帝の位にあったのだ。コモドゥス帝が剣闘好きで自らも闘技場で猛獣相手に闘ったというのは史実らしいが、皇帝が闘技場で主人公の剣闘士と闘って殺されてしまうのはさすがにウソである。

 まあ、大事なのは話が面白いかどうかで『グラディエーター』もなかなか良かったのだが、話の筋に関係ない部分についてはできるだけ歴史と符合しているとリアリティがあってよいと思うのだ。『グラディエーター』の場合、コモドゥス帝は左利きだったことが文献等からはっきりしているらしいので、映画でも左利きで登場してほしかったと思うのだが、どんなもんだろう。そういえばこれは日本の話だが、去年の大河ドラマの『葵・徳川三代』で、江戸城の天守閣が一瞬出てくる場面が何度かあるのだが、総集編を見ていたら時代によって城の壁や屋根の色が違っていたのに気がついた。どうも姫路城の天守閣の映像にCGで色をつけているようなのだが、江戸城天守閣は2度ほど建替えられているので、これはまったく史実の通りであって、ちょっと感動である(『○れん坊○軍』なんかは姫路城天守閣がそのまんま江戸城として出てくる。だいたいあの時代の江戸城には天守閣がなかったのに。)。そこまでしてマニア受けを狙ってどうするという議論も当然あるとは思うが、マニアにも受けるのが名作のひとつの条件だったりはしないだろうか。【2001.1.21】


 どこかへ雪を見に行こう、という九州出身の友人からの誘いに乗って、秩父は三峰までやってきた。昨晩は東京でも雪が降り、東京も一面の銀世界になっていたので、あまり出かける必然性はなかったとも言えるが、まあ、朝っぱらから池袋まで出てきてしまった以上、出かけるほかはない。

 秩父鉄道三峰口駅からのバスは雪のため運休になっており、タクシーでロープウェイ乗り場に向かう。にわかに天気が良くなり暖かくなってきた。積雪は約30cm。あたりにひとけのないロープウェイの山頂駅を降りて、まだ雪かきされていない道を踏み越えていく。青空に日が差してきて、雪の小片が巨杉の枝々からこ三峯神社ぼれ落ちては降りかかる。15分ほど歩くと目的地の三峯神社に着いた。ヤマトタケルノミコトが東方征伐のときにイザナギ・イザナミの両神を祀ったと伝えられる神社であり、三峰とは雲取山、白岩山、妙法ヶ嶽の三つの峰が連なることに由来するという。雲取は雲の中だが、白岩、妙法の二峰はくっきりと見え、眼下にははるかに秩父盆地が広がっている。社殿は七福神や獅子、亀、猿、馬といったたくさんの彫刻がくっついた東照宮ばりのユニークなものである。近代的な宿坊の中に温泉があり、ここで雪道の疲れをいやすことにする。猪鍋屋にて

 温泉でゆっくりして山を降りたらもう1時半を過ぎている。昼食は猪鍋を食べたいと友人が言う。この雪で団体さんがすべてキャンセルされまして、、、と店のおかみさんが言うように広い店内には他にお客はいないようである。牡丹の形に盛られた猪肉を食べつつ、ビールを飲む。秩父のような近場でも、意外に旅気分が味わえるものだなと思った。【2001.1.8】


 年末から年始にかけて、岡山→倉敷→瀬戸大橋→今治→瀬戸内しまなみ海道→鞆の浦→尾道と、家族で中国・四国を回っていました。私の新世紀はしまなみ海道から始まりました。【2001.1.3】

後楽園より岡山城を望む。 倉敷の街並。
今治城から今治港、芸予諸島、来島海峡大橋を望む。 しまなみ海道・来島海峡第3大橋上にて。
大三島の大山祇神社。 尾道からしまなみ海道・新尾道大橋を望む。

年賀状2001

 あけましておめでとうございます。・・・というわけで、上が今年の年賀状です。スキャナを買ったので、イラストを入れられるようになりました。21世紀最初の年ということでいろいろネタを考えたんだけど、いいのが思いつかなくて結局干支になってしまいました。しかもこんなもんのためにわざわざ動物図鑑を買っちゃったし。【2001.1.1】

 
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