YAGOPIN雑録

日々のできごと・思うこと

稲村ヶ崎から富士・江ノ島を望む。

● 2000年7月~9月


 どうも夏休みの残りがなかなか消化できなくて困っていたのですが、水曜日の午前中、今日の午後と小刻みに休んでようやくすべて消化しました。

和洋折衷なヒュースケンの墓
和洋折衷なヒュースケンの墓

 今日の午後は白金高輪で降りて、光林寺のヒュースケン(ハリスの随行員としてやってきたアメリカの外交官。中の橋付近で暗殺される。手塚治虫のマンガ『陽だまりの樹』などに出てくる。)の墓など見たりしながら、ぶらぶらと歩いて久しぶりに都立中央図書館へ行ってみました。ちょっとしたきっかけで、またなんとなく江戸とか東京の歴史を調べてみたくなり、新しいホームページでも作ろうかということでその材料探しが目的だったのですが、図書館の入口で何も書くものを持っていないことに気づき、有栖川公園の前のNATIONALというスーパーでノートを買うことにしました。

 この店、知ってます? 広尾という土地柄だけに、もうここは日本であって日本じゃない。客は半分以上外国人だし、売っているものも日本のものがぜんぜんない。かろうじてトンボ鉛筆が40円で売っているのを見つけて、外国でMade in Japanの製品を見つけたような気分を味わってしまいました。とりあえずどこ製かわからないノートを買うことにし、ワーワー騒いでいる金髪の子どもに「サミュエル!サミュエル! ドントビーなんとかかんとか・・・」とか叫んでいるお母さんの後ろに並んでいると、レジのおねえさんまで東洋系のアメリカ人に見えてくるから不思議です。

 で、図書館でいろいろ材料は得たのですが、HPができるのはいつのことになるやら。【2000.9.29】


室戸岬
室戸岬

 私は、晴れ男であるというところにはけっこう自信があって、どこかに出かけるときに雨に降られるということがあまりなく、たいてい天気予報よりもいい天気になることが多いのです。現にこの日曜日も、ひとりでぶらっと高知から室戸岬を回って徳島まで行ってきましたが、高知県・徳島県は、予報では曇り時々雨だったにもかかわらず、実際の天気は晴れ時々曇り、とまずまずの好天でした。

「足湯」につかっている。あったかい。
「足湯」につかっている。
あったかい。

 ところが、昨日の月曜日は運を使い果たしたと見えて大雨。雨の中、徳島市内をずぶぬれになりながら歩いて、バスターミナルに戻ったら、乗るはずだった洲本行きのバスは出たばかり。神戸~淡路島、神戸~徳島、というバスルートは多いのですが、徳島~淡路島、というバスは少なく、次のバスは2時間後。徳島駅前で時間をつぶし、バスで大鳴門橋を渡って淡路島に着いても、やはり大雨であることには変わりなく、かといって、わざわざ2時間待って洲本行きに乗ったからにはそのまま通過するのももったいないので、ますますひどくなる雨の中を歩いて、警察署の前の公園にある洲本温泉の源泉に傘さして足だけつかったりしていました。

明石大橋を渡る。
明石大橋を渡る。

 あまり得るものなく、淡路島から明石大橋を渡るバスで神戸に出てからも、一緒に飲もうかと思っていた神戸在住の友達に電話がつながらず、今回の旅行はなんとなくハズしまくって終わってしまい、22時30分に、新宿行きの夜行バスに乗り込んだのですが、実はここからが本当の大ハズレ。

 中央道が通行止めということで、バスは名神高速の伊吹PAで延々止まってしまい、本来であれば東京都内に入っているはずの朝7時前になって、復旧の見こみが立たないということで関ヶ原ICから神戸へUターンしてしまいます。結局出発から10時間以上たって、出発地の神戸駅から2.5kmしか離れていない三宮に到着(平均時速250mということになるのだろうか・・・?)。新幹線が止まっているということなのでさしあたりバスの払戻し金でJRの乗車券だけ購入。新幹線もそのうち動くだろうから京都か米原あたりから乗れればいいや、くらいの呑気な気持ちで9時過ぎの新快速に乗ったのですが、1駅目の尼崎から止まったり走ったりを繰り返して終点の草津着が30分遅れの11時。しかも天候不順により、という理由で新快速の運転がとりやめになってしまい、次の米原行きは約1時間後ということになってしまいます。この時点で新幹線の岐阜羽島~三河安城と東海道線の尾張一宮~三河三谷そのほかが雨のため運休という張り紙を見て愕然とするも、ともかく行けるところまでは行くことにしました。

 米原からは車両が足りないからという理由で50分待たされた挙句、2両編成に押し込められて、早朝に関ヶ原でUターンしてから約7時間後に再び関ヶ原を通過します。終点の大垣でまた40分待たされ、着いたところが尾張一宮。ここから名古屋まではJR、名鉄本線ともとまっているのですが、名鉄尾西線で三重県弥富町に出て、近鉄名古屋線を使うという遠回りをすれば名古屋に出られることがわかり、尾張一宮で復旧を待つのがいいか、ちょっと悩みましたが、おそらく庄内川がひどいことになっているのであろうから容易には復旧しないだろうと判断し、遠回りルートを選びます。

 近鉄は、準急、急行、特急とまったくダイヤ通りの運転で、これだったら、近鉄で大阪からくれば良かったと後悔しつつ、JRや名鉄本線であれば10分ちょっとしかかからない区間を2時間かけて名古屋に着いたのが17時ごろ。東海道線は相変わらず運休でしたが、新幹線は動き始めているようなので新幹線ホームへ向かいます。14番線を「ひかり」、15番線を「こだま」に振り分けて列をつくっているようですが、ホーム上は大混雑で、もはやどの列がどちらのホームのどの乗り口につながっているのかまったく不明のまま1時間半後にはなんとか2本目のひかりに乗れました。かなりのスピードで20時過ぎには東京着。家に着いたのが21時。昨晩の神戸から約22時間、今朝の神戸から約12時間の長旅でした。【2000.9.12(名古屋大水害の翌日)】


 月曜から今日まで、とある勉強会でハトヤに行ってきた。例の、♪伊東に行くならハ・ト・ヤ。ハ・ト・ヤに決めた、のハトヤである。何も面白いことのなさそうな勉強会のなかで、会場がハトヤである、ということに漠然とした期待みたいなものがかかっていたが、やはり結局、普通のホテルであることには変わりがなかった。

 しかし、あの伊東に行くならのハトヤに行ってきたという点になんとなく話題性があるからいいような気もする。思わず職場のお土産に「ハトヤサブレ」を買ってきてしまったが、「鳩サブレ」と間違えている人が多数いた、というオチがついてしまった。【2000.9.6】


 (東京都保谷市・田無市の合併後の市の名前が「西東京市」と決まったことについて)「西東京市」はどうなんでしょうかねえ。まあ、東大阪、東広島のたぐいと見れば新しい発想ではないですが・・・。保谷市・田無市の合併協議会のHPにある掲示板を見ると、保谷・田無以西の住民からはかなり反発があるみたいですね。

 個人的には「ひばり市」がいいかな、と思ってましたが、ひばりが丘って、両市の一番北の一部に過ぎないので、やはり他の地域の住民には受け入れがたいのでしょう。市のマークとかキャラクターとかみんなひばりに揃えてイメージを統一したら、面白いと思ったんだけどな~。字面も柔らかいし。【2000.8.17】


 このところ非常にストレスのたまる毎日を送っている。まあ、毎日の暑苦しい通勤も、気まぐれに意味の乏しい無理難題を押しつけてくる今の仕事のカウンターパートも腹立たしいのだが、それよりなにより困っているのがパソコンである。この暑さに参ってしまったのか、カーソルが自動的に、というか勝手にどんどん下へ下がってしまうというきわめて困った状態になっているのである。なんといってもここまでの数行を打つのに15分くらいかかっている。そりゃストレスもたまるというもの。この私が自宅からメールを打つのが1週間ぶりなのである。【2000.8.2】


 今日の朝ご飯はバウムクーヘン丸ごと1個である。しかも真ん中に「寿」とか書いたビスケットが入っている昨日の結婚式の引き出物である。どうも結婚式の翌日は引き出物が朝飯になるという慣行が成立しつつある。しかしそうすると思うのは、こういう引き出物をくれるよりは、昨日の料理の余りを折に詰めてくれたほうがなんぼかありがたいなあ、ということだったりする。ふと昨日の食いきれなかった山形牛のローストや鯛入りの赤飯なんかが思い浮かぶ。【2000.7.23】

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