YAGOPIN雑録

世界あくせく紀行

国父紀念館

● 台北編・中編


食在台湾

 我々は八尾さんとともに夕飯を食べるためホテルの外へ出た。八尾さん作成のスケジュール表はとくに食事関係が充実していて、台湾の中華料理が十分に味わえるようになっている。かつての「食在広州」がいまは「食在台湾」と呼ばれているように、ここの中華料理は香港とともに中国本土のものを上回るほどのものとなっているそうだ。

 ホテルの外でタクシーを拾う。台北市内の公共交通は、バスとタクシーが主なものである。しかしバスの路線網はあまりに複雑であるので観光客にとってはタクシーの方が使い勝手がよい。運賃もワンメーター1.65kmが50元、日本円で\200たらずなので安心である。最近になって全てのタクシーが黄色に塗られるようになったので街中でもすぐに目に付く(ときどき黄色じゃないタクシーも見かけたが)。運転免許は兵役に行った男はみんな持っており、台湾だと誰でもすぐに始められる一番てっとり早い商売のひとつがタクシー運転手なので、町中がタクシーだらけであるといってもいい。

 バスの方は、結局乗る機会を逸してしまったのだが聞きかじったところを書き留めておくと、運賃はだいたい\50ほど、前払いの場合と後払いの場合があるらしい。バス会社は長距離バス「国光号」の運行も行なう省政府経営の台湾汽車客運公司のほか、欣欣客運、三重客運など民営10社、ほかに市営バス(市公車)があるらしい。しかし日本に比べるとバスは汚いなあ、というのが印象である。東京に戻ってきて最初に思ったことが「都バスは綺麗だ」ということだったくらいである。

 で、タクシーに乗った。オートドアではないのでその辺は注意である。市内をどんどん東へ東へと向かっているらしい。かなり行ったところでタクシーを降りた。「ここは上海の家庭料理を出している店なんです」という八尾氏について、ビルの1階にあるその店のなかに入った。お洒落ではないが小綺麗な店である。我々は入り口に近いテーブルにつき、八尾さんが注文をした。あれっと思うほどすぐに最初の料理が運ばれてくる。と、ここに詳しい料理の内容を書きたいのだが、すでにその記憶はおぼろげである。今、味覚として思い出せるのは柔らかい肉の味と、一緒に頬張った菜っ葉の入ったご飯の味くらいである。しかしそれだけでも美味しかったという記憶の裏付けとしては十分すぎるほどである。全体として脂の多い料理が多かったにもかかわらずしつこかったという感じはしなかった。店内は家族連れでいっぱいである。台湾の人たちはこうして家族で外食をする機会が日本人に比べて多いそうだ。確かに安価に手軽に美味しいものが味わえるなら外食をするのも楽しいだろう。しかし疑問に思ったこと。「こんなに安くてうまい中華が味わえるのに、どうしてマクドナルドなんかもたくさんあるんですか?」「私も不思議だったんだけどね。マクドナルドのスタイルはあれはあれで若い人たちなんかに好まれているようだし、それにマニュアルどおりといっても台湾のマクドナルドはやっぱり台湾風になっているみたいだねえ」ということらしい。

萬華地区と龍山寺

 食事を終えてから「お疲れでなかったら龍山寺のほうへも行きますか?」とのことだったので再びタクシーで市街を横断して龍山寺へ。この龍山寺のあるところは萬華地区といい、台湾でももっとも早くから開けた地域のひとつである。ここは淡水河の岸辺にあり漢人の交易の場として栄えたのであるがやがて淡水河の土砂体積により繁栄を北の大稲埕(だいとうてい)地区に奪われることになる。なお萬華というのは原住民の言葉で丸木舟を表す"Moungan"が「艋舺」と音訳され、それがさらに日本人によって「萬華」という文字に改められるという変遷をたどっている。それとともに発音も"Ban ka"に変わっている。こういう地名の変化は台湾では時折見られる。タカオ(打狗)→たかお(高雄)→カオシュン(高雄)と変わった高雄なんかは有名なところか。

 龍山寺の境内は煙が立ちこめていた。そしてその煙を通してライトの光が装飾過剰気味の中国風寺院建築を照らし独特の雰囲気を作り出している。こんな夜だっていうのにずいぶんと参詣客がいる。ひざまずいたりしてひどく熱心にお祈りしているお年寄りも多い。ここでは実際に信仰が生活と結びついているという。僕は残念ながらそうした信仰心とは縁遠い人間だが、そうした人々に交じってお祈りを捧げることにした。50cm以上はある長い線香を手に捧げ、お辞儀しながら2回、頭に近付ける。そしてその線香を大きな壷(日本のお寺で参拝客が頭が良くなるとかなんとかいって煙を頭にかけたりしているような、あんな感じの壷)のなかにひょいっと投げ込む。すると線香は煙をあげたままびょーんびょーんと2、3度前後に振れて灰のなかに突きささる。こんな他愛のない動作が面白くてあっという間に僕の分の線香はなくなった。おみくじというのにも挑戦してみる。切り分けた果物のような形をした木製やプラスチック製の神杯を2つ、願い事を思い浮べながら地面に放る。どうなると吉でどうなると凶だったかもう忘れてしまったが、とにかく僕の願い事は「凶」であった。トホホ。どうでもよいがこの素朴なおみくじのお代はもちろんタダ。こんなところで小銭を稼ごうとは思わないほどこの龍山寺は台北の多くの人たちに信仰され、そしてそれなりに潤っているということのようだ。

 お参りを済ませてからそのまま華西街の夜市へ。アメ横や仲見世をさらに人間臭くしたような「東洋的」な商店街である。もっとも商店街といっても「夜市」なので真っ昼間にいっても何にもないところらしいが、今は店先のテーブルでものを食べている人たちから、売り子のまわりに群がる人、隙間を縫って原チャリで駆け抜ける人たちまで大勢の人々で賑わっている。中でも目を引くのは蛇を裂いて売っている「蛇屋」だが、祖母に言わせると戦前は東京にも蛇屋は珍しくなかったそうでかつてはうちの近所にも蛇屋があったといっていた。実際に蛇を裂いているところは見なかったが(あんまり見たいとも思わないが)コブラみたいに首の膨らんだ蛇がうねうね動いている水槽なんかを見るだけで圧倒されてしまった。蛇屋のほかにもいろいろな有名な食べ物屋(といっても「ここで食べるのは観光客だけです」と八尾さんは言っていたが)やカラオケ屋(カラオケは中国語圏では「卡拉OK」と書く。すでに国籍不明のことばである)なども並んでいたが、その賑やかな通りを抜けるとやや静かな道に出た。手を挙げてタクシーを止め、萬華地区を立ち去る。

台北の夜景

「新光摩天展望台」の入場券(「學生票」)
「新光摩天展望台」
の入場券(「學生票」)

 ホテルに辿り着いたが、まだ元気だったので今度はホテルの2軒隣にある新光人寿ビルの46階にある新光摩天展望台に上がってみる。このビルは台湾有数の財閥、新光財閥によって1993年に完成したもの。パンフに「新光人壽保險摩天大樓是全國最高的建築」とあるから、台湾一の超高層ビルであることは間違いない。地上51階、地下7階(!)、高さは244.15mとあるから新宿の都庁より1mばかし高いらしい。台北にはあまり超高層の建物はなく、このビルがずば抜けて高いので、台北市内のどっからでも目に付く建物である。したがって今まで触れていなかったけれども、台北のどこにいても視界の中にはこのビルの姿があったといっても過言ではないほどである。いったん地下のエレベーター乗り場まで下り、料金を払い(この旅の中で唯一、国際学生証を提示した)エレベーターに乗り、上に上がる。約30秒で到着。乗ってきた扉と反対側の扉が開く。…おおっ!

 台北の夜景が日本の都市の夜景と違うのは街がまんべんなく明るいということである。日本だと夜になれば住宅地は暗くなってしまうのだけれど、ここは住宅と商店が日本の都市計画のようにきっちりと区分されることがないらしく、街全体が夜になっても明るいままだ。住宅と商店が分けられていないというのは昼間の観察でもうすうす気付いていた。それは街を地域ごとに分類するのが難しいということに特徴づけられる。ようするにどの街も繁華街みたいで一見するとかわりがないのである。そしてそうしてずうっと繁華街が続いていって街のはずれにいくと突然建物が途切れる。こんな感じだ。日本人の僕からすれば不思議な街の造りである。と、ここでパンフの夜景写真の説明から主な地名を拾ってみよう。まず「北側」、陽明山(ここは行かなかった)、円山飯店(後述)、忠烈祠、「東側」、松山機場(国内線空港。時折ぴかっと光る)、内湖区・南港区(もうこの辺りは郊外)、国貿大楼(ここからかなり距離があるがかなり明るく光って見える。後述)、台大医院、中正紀念堂、「南側」、中和市(衛星都市)、介寿公園、総統府、「西側」、板橋市、忠孝大橋(淡水河にかかる)、三重市(衛星都市なのだがこっち側はあまり明るくないと思った)、観音山(台北は盆地にあるので周囲は山に囲まれている)、といったところである。

 エレベーターで下まで降り、ホテルまで歩く。八尾さんが「それではまた明朝」とタクシーに乗り込み、本日の観光はこれで終了。そうそう、この日はタクシー料金がメモってあったのでそれを書いてしめくくりにしておこう。

ヒルトンから上海料理店まで 90元(\300強)
上海料理店から龍山寺まで 145元(約\500)
華西街から新光ビルまで 65元(\200強)
300元(約\1,050)
一人あたりの交通費 100元(約\350)

2日目の朝

 朝、起きて散歩に出掛ける。まずはすぐ目の前の「台北火車站」(台北駅)へ行ったのだけれども、この「站」についてはあとで列車に乗るときにまとめて話すとして、ここではホテルのすぐ裏側の情景についてだけ触れておくことにする。

 ヒルトンホテルの裏側、実はそこは台北一の予備校街であったのだ。「予備校」は台湾では「補習班」という。聞くところによると台湾の大学数は日本と比べものにならないほど少ないらしいのでおそらく競争率はめちゃくちゃ高いのであろう。通りの両側に「補習班」がずらりと並んでいる。「補習班」の看板のうえに「撞球」とか「科技遊楽廣場」なんていう看板が並んでるのもなんとなく予備校街らしい。休日の朝であるせいか人通りはそれほどではないが、原付がやたらたくさんとまっている(これは台北中どこにいってもそうだが)。そしてその通りの突き当たりが「新公園」である。「新」とはついているもののその歴史は「日據時代」の1899年まで遡る。面積は66,000㎡、園内に露天音楽堂や台湾省立博物館があり、博物館は「日據時代」の建築だが残念ながらこちらは現在修復工事中である。まあ、台北の日比谷公園だと思ってもらえれば分かりよいと思うが、この公園はかなり中国風の公園で、いかにも中国っぽい小楼の中に鄭成功(国姓爺と呼ばれた鄭氏台湾王朝の創始者)の胸像が立っていたりでなかなかエキゾチックである。そんな小楼の後にででーんと件の新光ビルがそびえていたりするのも、それなりにおもしろい。公園を正門から出るとそこには献血のバスがとまっていた。そろそろ待ち合わせの時間なのでホテルに戻る。

 時間どおりに八尾さんが現れ、朝ごはん…というか朝昼合同のブランチに向かう。タクシーを捕まえて再び東の方へ。東門から信義路に入りしばらく行ったところにある店の前で下車。…で、この店なんですが、また名前が分からないんですよね。でも場所と内容から推察するにガイドブックに出ている「鼎泰豊」というお店ではないかと思うわけです。ということで、ここではガイドブックの説明をもとに書き起こすと、ここは点心の専門店で、「小籠包」が有名になって、もともと露店みたいなものだったのがあっという間にちゃんとした店舗を構え、今はビルになっているというお店である。「小籠包」ってよく日本でも冷凍食品とかになってますけど、ようするにシューマイというかギョーザというか肉マンというかみたいなものがせいろに乗って出てくるのである。こいつのお味についてはガイドブックの説明がなかなかよろしいのでそれをそのまま引用しちゃうと『一見何の変哲もないのだが、ひと口食べると中からじんわりとしみだしてくる熱々のスープにすべてを納得という具合だ』。うんうん、納得納得。

 それから確かこの店だったと思うのだが、ラーメンみたいなものも出たのである。ラーメンみたいといっても日本のラーメンと違い、わりとまっすぐな麺で少し細めで柔かいのだが、これはこれで辛め(しょっぱいわけではなく辛い)のスープとマッチしている。具は柔かい肉がたくさん入っていて非常に美味だった。

台北の「予備校」街
台北の「予備校」街
新公園から新光人寿ビルを望む。
新公園から
新光人寿ビルを望む。

故宮博物院

 食事が終わったところで本日の目的地、故宮博物院へ。タクシーは高架快速道路を北上、基隆河を渡り、長さ約850mの自強隧道を抜けて台北市北部の士林区に入る。この士林区をはじめとする6区は1968年に台北市に編入された地域で台北の郊外というべき部分にあたる。故宮博物院も前と後を山に挟まれるようにして建っている。しかし全く何もないような場所かというとさにあらず。山の上には大学の校舎だという建物が建っているし、それより何より故宮博物院の真前では現在、高層マンションが建設中。しかも、何もこんなところに建てることないのにといいたくなるほど邪魔な場所である。やがてこの辺も中心部のようにビルの立て込む場所になるのであろうか。

 さて故宮である。この故宮博物院は、蒋介石が本土から逃げてくる際に北京の故宮博物院から「戦火から歴史的な文物を守るために」持ってきたものを収容している。持ってくるときに歴史的な重要度の高いものから番号をふって運んできたので、内容としては北京の故宮博物院よりいいものが揃っているはずである(もっとも北京の故宮は建物自体の歴史的価値が計り知れないので比較するのは無駄なこととは思う)。なんといっても世界4大博物館のひとつ。質量ともにものすごい。そしてもともとこの博物館を見るためだけに台北にきたようなものである祖母と、基本的に博物館系に強い僕である。所要時間は約4時間。接待その他で28回(!)ここに来ているという八尾さんもこれだけじっくり見たのは久しぶりですよ、とおっしゃるほどであった。しかもこれで全部ではない。これらの展示は一部の常設展示物をのぞいて定期的に展示替えがなされており、八尾さんでさえ、今回初めて見たという展示が数多くあったくらいなのである。さらにこの博物館が所蔵しているのは本来の故宮が持っていた文物のわずかに4分の1。こんなことからも中国文明の壮大さが推しはかれようかというものである。

 で、これらの文物を事細かに説明できるだけの能力も紙幅もないので、ごくごく簡単に述べさせて頂こう。大雑把に言うと1階が主に殷周時代の青銅器。今となってはどうやってつけたのか分からないという細かい装飾や甲骨文字なんかのびっしり入っているようなものである。2階が書画と陶磁器。うちの祖母はお茶をやっていて、陶磁器に興味があるのでこの階は時間がかかった。傾向としてはやはり宋代から明初にかけてのものが一番力強く、清代になるともはや緻密さでしか勝負できないものとなってくるようですね。3階は玉器と彫刻、それと珍玩とよばれる宮廷の装飾品や玩具・小道具のたぐい。明清のものが多かったと思ったが、これらの精緻さというのはもう驚きを通り越して呆れるばかり。1つ例をあげるならやはり「透花人物套球」。これは透かし彫りした象牙の球のなかにもう1回り小さな象牙の球があり、さらにそのなかにもう1回り小さな球があって、そのまた1回り小さな球がそのなかに入っていて、そのまたまた1回り…と、これが17回続くという代物である。いちばん外側の球は直径15cmくらいなのだがいちばん内側の球はどのくらいの大きさなのだろう。ちなみにこれをつくるのには1人の職人の一生がかかっている…、どころではなく親子孫3代の職人がこれのために一生を捧げたそうであり、もはや怨念みたいなものを感じずにはいられない。ううむ、中国、おそるべし。

円山グランドホテルと行天宮

 そして博物院を出た。いいお天気である。そろそろ梅雨入りという台湾。こんなにいいお天気になるのは珍しいですねと八尾さんも言う。ラッキーである。来るときは博物院の前までタクシーで登ってきたが帰りは博物院の前の階段を下まで降り、正門へ出る。前の道を少し歩いてタクシーへ。再び自強隧道を経て市街地へ戻る。博物院が市街からトンネル1つ隔てているのは、きっと二度と中国四千年の文物を戦火にさらさないための配慮なのだろう。トンネルを抜けると圓山大飯店…日本式に言うところの円山グランドホテルが右手に見えてくる。黄金色の屋根(ただしこの時は工事中だった)とその上に乗った2匹の龍。建物の柱は真紅。寺院のような「斗栱(ときょう。建築部材の一種)」。しかしこの建物は14階建てである。14階建ての中国宮殿風建築って想像がつくだろうか。

 その14階建て中国宮殿風建築が我々の視界のなかで次第に大きくなり、巨大になってきて、やがて視界におさまりきらなくなったところでタクシーはとまった。…でかい。ただただでかい。中へ入る。とてもホテルのロビーという雰囲気じゃない。超豪華な中華料理店の店内といった感じ。しかも全然ひとけがない。少し上へ上がる。ここから先は宿泊客以外立入禁止…というところに高さ2mくらいの岩で出来た噴水がある。なんとかいう有名な彫刻家の作品だそうで岩全体がひとつの山に見立てられており、滝のところに橋が架かっていたりトンネルが掘られていて頂上まで道がつながっている。途中で仙人の人形が碁を打っていたりしてなかなか遊び心に富んでいる。案内によると各フロアにこうした有名な芸術家の手になる彫刻や絵画が置かれているらしい。

 ここは高台にあって景色もよく見渡せる。タクシーを待つ間に眺めると前には基隆河がゆったりと流れ、川に沿って高架の高速道路が建設中である。さらに台北の市街地がその向こうに広がっている。車がきた。次なる目的地は昨日素通りした行天宮である。橋を渡って再び市街へ戻る。行天宮は、関羽をまつっている場所。ようするに関帝廟である。龍山寺もそうなのだが、ここも商売の神様として信仰を集めているのである。やはり境内は煙がもうもうと立ちこめている。極彩色の果物が山と積み上げられている。長い列が出来ているので見てみるとその列の先端でアヤしげなお婆さんが誰かの背中をさすっている。このお婆さんにさすってもらうと幸せになれるんだそうで。しかしとにかく賑やかな場所である。台湾ではこうした人の集まる寺院などが恵まれない人が生活の糧を得ることの出来る場所ともなっているんだそうだ。

行天宮の境内
行天宮の境内
ナゾのお婆さん
ナゾのお婆さん

 行天宮からはタクシーで來來シェラトンホテルへ向かい、そこのショッピングアーケードを冷やかしてから徒歩でホテルへ向かう。距離は約1km、監察院の横から中山路を渡り陸橋をくぐって警察署の前へ。銀行支店などの並ぶビル街を歩くとヒルトンが見えてきた。

北京ダック

 さて夕食である。17階の部屋へいったん戻ったあと八尾さんの待つロビーへ。バスで行きましょうか、ということだったのだがあいにく小銭が足りなかったので断念。歩いていくことになる。ふたたびさっきの警察署のかどに向かい、北へ折れて中山路を歩く。途中、国父史蹟紀念館というのがあり、孫文の家などが保存されているのだがもう閉館していた。昔の線路跡を越えたところで区がかわり、中山区にはいる。中山市場を通り抜けて「洋服の青山」に近い交差点を折れてすぐのところにある「天厨菜館」という店に入る。

 ここは北京ダックの店である。台湾の北京ダックは本土よりも本格的という話である。店に入るとしばらくして店員がどどーんと皿に乗った鳥の丸焼きを見せにくる。これからこれを解体して持ってくることになるのである。ちなみにこれ1羽が約\2,300。日本だと幾らぐらいになるのだろう。しかしその北京ダックなのだが、今(原稿を書いている時点)夕飯前でお腹が鳴っている状態なので詳しい描写は避けさせていただきたい。一言書いておくなら、あれで3人分というのはちょっと贅沢な話で4~5人で1羽くらいでちょうどよいのではないかと小食の僕などは思ってしまった。我々などはおろかにも北京ダックの前に次々と運ばれてきた前菜でかなり腹を膨らませてしまい、肝腎の北京ダック様をだいぶ残してしまったくらいである。八尾さんは食べ残しを折り詰めにしてもらい、店の人にプレゼントしたらしい。

台北のデパート

 再び歩いてホテルへ戻り、八尾さんと別れたあと、祖母と2軒隣の新光三越へ買物に出掛ける。パジャマを忘れたので買いにいくのである。日本のデパートはたいてい日が暮れるとさっさと店仕舞いしてしまうが、台湾のデパートは21時ごろになってもまだ開いている。新光三越は新光財閥と日本の三越が共同経営している百貨店であり、昨晩訪れた新光ビルの下にある。玄関にはちゃんとライオンの像もあるが、このライオンは日本のものと異なり、地球儀みたいな球を抱いている。新光のシンボルも獅子だそうなのでどちらかというとそっちの意味で置いてあるらしい。なお日台合弁の百貨店は新光三越のほかにも永埼東急や太平洋SOGO、ほかにも西武や京王などが出資しているものもあり、とくに太平洋SOGOは台北随一のデパートという評判である。

 ついでなのでちょっと本屋による。弟へのお土産にコミックスを買っていく。台湾では日本の漫画が出回っており、コミックのコーナーもほとんど日本で見たものばかり。ドラゴンボールが「七龍球」、ウイングマンが「銀翼超人」などとなっていたと思う。買うものをレジに持っていき、レジにでた表示を見て金を払う。デパートの店員も愛想がない。同じ三越とは思えない。

 それからエスカレーターで下におり、パジャマを買う。売り場に立っただけですぐに店員が駆け付ける。しかし、これはよいな~、と思うものは他のものの倍の値段だったりしてなかなか決まらない。言葉が通じないながらも店員さんはいろいろと品物をもってきてすすめる。結局まよったあげく、店員さんお薦めのばかに可愛らしい犬の絵柄のついたパジャマを購入。さらに地下の食料品売り場へ。部屋に備え付けの飲み物は高いので、飲み物類を買い込む。ミネラル・ウォーターとスイカジュース、あと、さっきの北京料理店で出た柳丁という台湾のオレンジがさっぱりしてて美味しかったのでそれのジュースを買う。祖母は台北にきてまで日本のヤクルトを買っていた。お味の方は、スイカジュースもよかったが、柳丁ジュースが果汁100%なのに、爽やかな甘さで非常に美味しかった。

 では中編はこのへんで。

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