YAGOPIN雑録

世界あくせく紀行

スターフェリー

● 香港編・昼の部(午前)


 アヘン戦争に敗れた中国の清王朝は、1842年8月の江寧条約(南京条約)によって香港島を戦勝国イギリスに割譲することとなった。そして第二次アヘン戦争敗北後の1860年10月には北京条約で香港島対岸の九龍半島をも奪われることとなる。

 かつてモンゴル軍に首都・杭州を奪われた南宋の幼帝・端宗がこの半島まで逃れ、「ここにある8つの山には8匹の龍がいることであろう。」と言ったところ、大臣の陸秀夫が「龍の化身である皇帝陛下がおられますので、九龍がいることとなります。」と答えたため九龍半島という名がついたという。陸秀夫は、端宗病死後、弟の衛王を皇帝に擁立したが、九龍半島に近い崖山においてモンゴル軍との戦いに敗れ、衛王を背負ったまま海に身を投げた。1279年のことで、ここに北宋以来300年続いた宋王朝は滅亡するのである。

スターフェリー
スターフェリー

 九龍半島の先端・尖沙咀(チムサアチョイ)に立って香港島を見ると、幅1kmほどしかない海峡は関門海峡より若干狭く、上海の浦東・外灘間より若干広いくらいでまさに指呼の間であった。香港文化中心という文化施設の建っているところは、中国広東省の省都・広州から続く九広鉄道の終点・九龍駅があったところである。駅自体は1978年に移転しており、今は時計塔がひとつ残されているだけとなっているが、1928年に九龍駅前に開業したペニンシュラ・ホテルは今も風格ある建物がそのままに建っている。時計塔の前には100年以上にわたって九龍半島と香港島の間を往復しているスター・フェリー(天星小輪)の乗り場がある。「モーニング・スター」「ナイト・スター」など、船の名前に「スター」が付けられているため「スター・フェリー」の名があるそうだ。フェリーは2階建てになっており、ロワー・デッキ(下層)が1.7香港ドル(約27円)、エアコンの入るアッパー・デッキ(上層)が2.2香港ドル(約35円)。地下鉄に乗れば9ドル(約144円)かかるので格安と言える。乗り場も2階建てになっており、アッパー・デッキの乗り場で船を待つ。昼間は4~5分間隔で運航されているので、ほどなく小さなフェリーが入港してきた。濃い緑と白に塗られた外観も、ニスの塗られた木の内装も、レトロな印象を醸していて好ましい。前後が対称になっており(上から見ると)楕円形の船型となっているのは、折り返すときにそのまま反対向きに進めるようにという工夫のようだ。

立法会議事堂とトラム(路面電車)
立法会議事堂とトラム(路面電車)

 フェリーは両岸の高層ビルに縁取られた狭い海峡を7分間で渡り切り、香港島の中環(チュンワン・英名Central)に到着した。中環は名前のとおり香港島の中心であり、皇后像広場の隣に立法会議事堂が建っている。1903年に建てられたこの建物は、ドームを持ち、列柱の上に寄せ棟の屋根を乗せた、どことなく欧亜折衷の建物で、イギリス女王を象徴する王冠と紋章がついている。1997年に香港がイギリスから中国へ返還された時にはこれらの象徴を撤去するべきだという意見もあったそうだが、結局そのままになっているようだ。現在の香港は正式には中華人民共和国香港特別行政区(the Hong Kong Special Administrative Region)と呼ばれ、北京市や広東省と同様、中華人民共和国の一級行政区のひとつに過ぎないが、香港基本法第2条に「(中華人民共和国)人民議会は、香港特別行政区にこの法律に基づく高度の自治権の行使並びに行政権、立法権及び終審を含む独立の司法権の保持を認める。」という「港人治港(香港人が香港を治める。)」の原則が定められている。この原則に基づき、香港の法律を定めているのが、この議事堂で開催される香港特別行政区立法会である。立法会議員(任期4年)の選出は60議席中、24議席が直接選挙、30議席は職能団体別に選出され、残り6議席は800人の職能団体代表者などから構成される選挙委員会で選出されるという方法によっており、企業の代表者などが多く選出されるようになっている。ちなみに香港特別行政区の代表者である行政長官(任期5年。再選1回まで)も選挙委員会が選出することになっており、初代・董建華行政長官が2002年に再選されて、今もその職にある。また、香港特別行政区は18の区(中西、湾仔、東、南、油尖旺、深水埗、九龍城、黄大仙、観塘、荃湾、屯門 、元朗、北、大埔、西貢、沙田、葵青、離島の各区)に分かれており、それぞれに議会と行政委員会が置かれている。

 香港の歩行者用信号機は、いつもカチカチと小さな音を立てており、青のときはカチカチカチカチ、黄色になるとカチカチ・カチカチ、赤になるとカッチ・カッチ、とリズムが変わる。カチカチカチカチのリズムになったので道路を横断する。横断歩道の向こうには右からスタンダード・チャータード銀行(渣打銀行)、香港上海滙豊銀行(香港上海銀行。略称HSBC)、中国銀行(香港)と3つの銀行の高層ビルが並んでいる。香港はもともとイギリスの植民地だったため中央銀行というものが存在せず、これら3つの銀行が紙幣の発券業務を行っている(10香港ドル紙幣の一部と硬貨については特別行政区政府が発行している。)。3つの銀行の紙幣は色調は同じだがデザインがばらばらで、さらにイギリス女王の紋章の入った古い紙幣も時折含まれ、お釣りをもらうたびにいろいろなバリエーションの紙幣が楽しめる。香港最大の銀行はイギリス系の香港上海銀行で、紙幣の約8割もこの銀行が発券している。香港上海銀行は香港島内に約200店舗、世界中に約1,200店舗を持つという巨大銀行で、日本で最初に銀行業務を行ったのもこの銀行の支店だと言われている。1985年に完成した48階建ての香港上海銀行本店ビルは、当時、世界一建築費のかかった建物と言われたという。1階が何もない空間になっていて2階以上に店舗が置かれる不思議な建物となっているが、これは風水的な配慮によるものだそうで、そのほか海側にライオンの像が置かれているのは厄除けの意味があり、正面に杯の形をした装飾があるのは運気を受け止める役割を果たすのだそうである。

中国銀行タワーと立法会議事堂
中国銀行タワー
(手前は立法会議事堂)
香港上海銀行とスタンダード・チャータード銀行
香港上海銀行(左)と
渣打銀行(右)

 そして、現在、香港上海銀行に次ぐ香港第二位の銀行となっているのが、2001年10月に中国銀行香港支店ほか中国系の銀行が合併してできた中国銀行(香港)である。中国銀行香港支店は、1990年、香港上海銀行ビルに見下ろされた従来の店舗から、近くに新築された72階建てのビルに移転しており、現在では、この中国銀行タワーが逆に香港上海銀行を見下ろす格好になっている。伸びゆく竹をモチーフに、鋭く尖った外観をしているこの高層ビルは、ライバル・香港上海銀行に鋭い角を向けて同銀行の力をそごうとしており、さらに鏡張りの上に×印の補強材をつけた壁面によって悪運を周囲にはね返しているとも言われている。まさに風水の盛んな香港ならではの話で、中国銀行の周辺にビルを建てる企業は、中国銀行タワーがはね返す邪気をまともに受けないようにやはり鏡張りのデザインにしているという。

ヴィクトリア・ピークからの眺め
ヴィクトリア・ピークからの眺め

 陸から海に向かって地面が落ち込んでいることが良港の条件である以上、たいていの港町はそうした地形の続きとして、坂道だらけとなっていることが多い。小樽しかり横浜しかり長崎しかりであるが、この香港もちょっと山の方に向かっただけで急な坂道を上らなくてはならない。香港上海銀行の裏手から少し坂を上るとピーク・トラム(山頂纜車)の駅がある。ピーク・トラムはヴィクトリア・ピークに登るケーブルカーで、1888年に開業した。開業まもない1894年に香港でペストの大流行があったため、ピーク・トラムを敷設した天罰だという迷信が広がったというエピソードもある(ちなみにこのときのペスト大流行を調査した日本の北里柴三郎博士がペスト菌の発見者となった。)。ワインレッド色の新しい車両は、ちょっと見ると日本のケーブルカーと同じように見える。ただ、日本のケーブルカーは、床が階段状になっていて坂を登っても車内は水平を保てるようになっているが、このケーブルカーは車両の床が平らで、坂を登ると床も座席も山の傾斜に合わせて傾く。傾きは30度くらいで相当な急坂だ。車内が水平になっているケーブルカーならば何とも思わないのに、車内が傾いていて地球の引力が体にかかっているというだけでけっこうスリルがある。ピーク・トラムは開業以来100年以上にわたって無事故だというが、もしケーブルが切れたら、などと少し不安になる。標高約400mの山頂駅には8分後に無事到着した。昨晩、夜景を見た場所だが、青空が広がる昼間のほうが開放感があっていい景色のように感じた。香港島の高層ビル群の向こうにヴィクトリア港(維多利亜港)、その向こうの薄もやの下に九龍半島の市街地が広がる。

旧総督府
旧総督府

 帰りもピーク・トラムを使い、山麓駅に着いた。第二次世界大戦前、ヴィクトリア・ピークの山頂には、イギリス女王の代理人として植民地を統治する香港総督の別荘があり、その往復にも用いられたためか山麓駅は総督府の近くに設けられている。ピーク・トラムの最前列2席は総督夫妻の指定席となっていたそうだ。1885年に建てられ、第4代ジョン=ボーリング総督から第28代クリストファー=パッテン総督に至る歴代総督の住居であった総督府は、今は香港礼賓府と名前を改めており、迎賓館のような使われ方をしている。警備員の目を気にしながら門の中をのぞくと、かつてユニオン・ジャックが翻っていたフラッグ・ポールには赤地に白く香港の花・紫荊花(※バウヒニア)をあしらった香港特別行政区旗が掲揚され、その背後に、ヨーロッパ風の白い壁と黒い東洋風の屋根を持つ邸宅が建っている。総督府がこのような和洋折衷の建物となっているのは、第二次世界大戦中に大破し、日本軍占領時に修復されたためである。内部がどのようになっているのかちょっと見てみたいところだが、一般公開されるのは今のところ1年に1日だけと決まっている。もっとも将来的には博物館として使われる計画があるそうである。(※紫荊花をハナズオウのこととしている資料が多いが、香港旗に描かれている花とは、どう見てもまったく違う。中国名が似ていたために混同されたらしい。)

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